小林麻美の姿を私が初めて認識したのは、資生堂のCMにおいてだった。当時は、化粧品会社が季節ごとに大々的なキャンペーンを打っており、そこで採用されたモデルや曲なども、おおいに注目されたもの。小林麻美は、尾崎亜美の名曲「マイピュアレディ」と共に、CMに登場していたのだ。
撮影当時の彼女は、二十三歳。「ピュア」という言葉がぴったりの美しさだったのであり、小学生だった私はそのCMを見て、大人への憧れを膨らませたものだった。
本書には何度も「憧れ」というキーワードが登場するが、当時は人々が憧れることができる時代だった。誰もが何かを仰ぎ見て、近づきたい、手に入れたいと思っていた。「憧れ」が消費につながり、日本は景気を拡大させていったのであり、小林もまたその流れの中に存在したのだ。
本書によると当時の彼女は、すでに現在の夫である田邊昭知との交際を始めていた。「マイピュアレディ」の撮影でカリフォルニアに滞在した折は、四十五日間毎日、エアメールを書いていたのだという。
その後、小林麻美はぐっと大人っぽい印象に変わっていく。当時流行っていた、ロングのソバージュヘアをかき上げる時に醸し出されるアンニュイさは極めて都会的で、芸能界で活躍する他の女性達とは一線を画す印象を覚えたものだ。
なぜあの頃の小林麻美は、憂いを帯びた視線で世を眺めていたのか。その答えは、本書の中にある。
東京は大森に生まれ、美男美女の両親のもと、恵まれた家庭に育った彼女。しかし父親には別に複数の女性がいて、家庭を顧みない。母親は外出がちで、夕食もお弁当も、お手伝いさんが作ったものだった。
「お金なんかいらないから、いつも学校から帰ってきたら『お帰り』ってママがいて。それでよその家の子のように、おやつに鼻紙で包んだかりんとうを貰いたい」
という彼女の訴えは、切実である。そこには、家はあっても「家庭」が存在しなかった。
家の中の寂しさから逃れるかのように、彼女は遊ぶ。中学時代には東京独逸学園に通うボーイフレンドと一緒にパーティーへ行ったり、米軍キャンプで知り合ったボーイフレンド達と外泊したり。はたまた日劇ウエスタンカーニバルに通っては補導されたりという、正真正銘の不良少女だったのだ。
CMによく登場していた頃の小林麻美の黒目がちの瞳に、諦念のような悲しみのようなものが宿っていたのは、このような背景があったからなのだろう。芸能界の仕事をガツガツしている感じが、彼女の姿からは漂わなかった。彼女が本当に欲していたものは、芸能界における成功ではなかったのだ。
田邊との恋愛について、
「父性の喪失が、私たちの共通項だったかもしれません」
と、小林は語っている。家に帰らない父を持った彼女は、
「私は父のような存在が欲しかった。自分の世界を切り拓いていくような」
との思いを持っているのであり、十五歳年上の田邊は小林にとって、父と重ね合わせることができる存在だったのだろう。
しかし田邊と小林は、結婚できない関係だった。自社に所属するタレントと交際することはご法度で、田邊は結婚を望んでいない。二人の関係はずっと隠されることになる。
結婚できない相手である田邊を、小林は待ち続けた。あの都会的な女性が、ほとんど演歌のように待ち、耐えていたのだ。
本書が描き出す、小林麻美のもう一人の運命の相手は、ユーミンこと松任谷由実である。同じ学年で、育った境遇も似ていたこともあり、二人は、
「私とユーミンは前世でも姉妹、いや夫婦?」
と小林が語るほどの仲に。“下品ではない不良少女”出身のユーミンと小林は、ソウルメイトであり、戦友のような存在だったのだろう。
二人の蜜月時代、別れ、そして再会。本書は、二人の友情の変遷をも描き出す。小林は、田邊と交際して十七年目に妊娠し、独身のまま極秘裏に出産する。その時にユーミンが、元々は小林のアルバムのために作った曲を書き直してお祝いとして歌ったのが、「Happy Birthday to You ~ヴィーナスの誕生」だという事実を知って、私は「そうだったのか……!」と目を見張った。
「DAWN PURPLE」は、一九九一年、バブルが崩壊する頃に発売されたアルバムである。一九八〇年代からバブル期にかけて、ユーミンのアルバムは空前の売り上げを叩き出していたのであり、毎年冬に発売されるニューアルバムを、私達は神からのご託宣のように待っていたものである。
そんなアルバムの一曲目に、小林の出産を祝う曲は配置された。人々が浮かれて恋愛を繰り返していた時代、ニューアルバムの一曲目に出産の歌……? という軽い違和感が、当時はあった。しかし時代の先端を行くユーミンだからこそ、「これからは、出産」的な意味を込めた歌なのかも、と聴いていたのだ。
しかし本書を読み、“ヴィーナス”が小林麻美であるという真実を知った上でこの曲を聴くと、歌詞が胸に迫って、目頭が熱くなってくる。出産によって生まれ変わろうとする友を祝福するこの歌は、小林の恋と孤独と覚悟を知っている親友にしか書くことのできないエールだったのだ。
それは同時に、はなむけの曲ともなる。
「私、これからも闘う」
と言うユーミンに対し、
「私にはもうファイトがないの」
と小林は言った。小林はユーミンのみならず、芸能関係の交友を一切絶ち、姿を消したのだ。
それから長い年月が経ち、小林の息子が就職した後に、二人は再会。かつてと変わらぬ友情が、たちまち復活する。ユーミンは芸能の世界で戦い続け、小林は子供を愛し、守るという戦いを続けた結果の、リユニオンだった。
本書を読み、憧れの小林麻美がこのようにドラマティックな人生を送っていたとは、と驚いた私。書き方によってはスキャンダラスに取り上げられかねない事実の数々が丁寧に記された本書は、著者の取材に応えた人々と著者との間に深い信頼関係が存在しなければ、成立しなかったものであろう。
著者の延江浩氏は、エフエム東京に長年勤務し、「村上RADIO」等、数々の名番組を世に出したラジオマンである。同時に、一九九三年に小説現代新人賞を受賞してデビューした小説家でもある。
その昔、縁あって延江氏と知己を得た私だが、彼の武器は、尋常でなく強い“好き力”であろう。ラジオの世界はもちろんのこと、音楽、小説、映画など様々なジャンルにおける才能豊かな人々を愛し、敬意を抱き続ける力を、彼は持っているのだ。
それは、憧れる力と言うこともできる。若者達が何かに憧れることを諦めてしまった今の時代であっても、延江氏は男女やら長幼やら国籍やらの区別なしに、眩しく輝く存在に対して素直に手を伸ばし続ける。だからこそ、小林麻美やユーミンといったスター達との間に、深い信頼関係を築くことができるのだ。
小林麻美の美しい人生を描く本書は、憧れるという行為の甘酸っぱさを思い出させる本でもある。ロングのソバージュヘアを揺らす物憂げな瞳の女性を、「素敵!」と眺めていたあの頃の自分に、四十年以上が経った今も小林麻美は素敵な大人であり続けていることを、伝えたくなった。