台湾はいかにして台湾になったのか? 数々の疑問に応えてくれるスリリングな台湾史
- 2023.11.28
- ためし読み
台湾への親近感は、近年の日本において、かつてなく高まっている。筆者の勤務する大学で、初めて台湾について学ぶ学生さんたちを相手に「台湾のイメージ」を聞くと、おしなべてポジティブな答えが返ってくる。観光地や食べ物の魅力、同性婚を合法化(二〇一九年)した開明性などに加えて、「台湾は親日的」というのもよく挙がるキーワードである。
このような雰囲気は、おそらく筆者の教室に限定されるものではない。中央調査社が実施する世論調査「台湾に対する意識調査」の報告書(二〇二一年一二月)によれば、日本人で台湾に「親しみを感じる」と答える人の割合は実に75.9%にのぼる。その理由の第一位は「台湾人が親切、友好的」(77.1%)であり、第二位は「歴史的に交流が長い」(45.7%)、第三位は「経済的な結びつきが強い」(34.9%)と続く。
ある程度の年齢の方ならば、二〇一一年三月一一日に東日本大震災が発生した折、台湾から二〇〇億円もの義援金が寄せられたことも印象に残っているだろう。この世論調査では、台湾に親しみを感じる理由の第四位が「東日本大震災時に支援を行ったから」(34.4%)となっている。
一八年から一九年頃にかけては、日本でタピオカミルクティーが大ブームとなった。今では一時期ほど店舗を見かけなくなったが、それに代わって最近は「台湾カステラ」や「台湾フライドチキン」といった商品を目にすることが増えているように思う。さらには、日本発祥の、「名古屋めし」の一種とされる「台湾ラーメン」や「台湾まぜそば」といった食べ物がコンビニの棚にまで進出しており、もはや日本社会の台湾愛は止まらない状態にある。
日本社会の台湾への関心は、食べ物だけにとどまらない。二〇年前半に新型コロナウイルス感染症が世界的に急拡大した局面では、政府が市民の行動を制限する強権を発動しながらも、丁寧に説明責任を果たすという台湾の防疫政策が、日本のメディアでも高く評価された。デジタル担当の政務委員(無任所大臣)だったオードリー・タン(唐鳳、一九八一 -)がマスク供給システムを迅速に構築したことも、大いに報じられた。
このほか、日本の高校生の海外修学旅行・海外研修先は、台湾が一四年度にオーストラリアを抜いて一位となった。近年は新型コロナウイルス感染症の影響で停滞状態にあったとはいえ、一九年度の時点で、その規模は四六九校、五万六〇〇〇人に達していた(全国修学旅行研究協会「2019(平成31・令和元)年度全国公私立高等学校海外修学旅行・海外研修(修学旅行外)実施状況調査報告」)。二二年には、京都橘高校吹奏楽部が招待を受けて台湾を訪問し、中華民国の双十国慶節(建国記念日)にあたる一〇月一〇日、祝賀式典にて演奏を行い話題となった。
このように、日本と台湾の間では、とりわけ若い世代で、人と人との血の通った交流が大きく拡大している。これは心から歓迎すべきことである。
台湾の親日は「反中の裏返し」ではない
一方、中国はとんでもない国である。その中国と、台湾は対立している。だから、日本は台湾との関係を大事にして、中国に対抗しなければいけない。今の日本社会には、このような観点から台湾への関心を高めている側面はないだろうか。
たしかに、近年の台湾政府は「中国に併呑されないこと」を重要な政治課題としている。台湾の有権者も、そのような政府の姿勢を強く支持しているように見える。筆者は一九年一二月、世界がコロナの拡大で長い混乱に突入する直前の時期、ちょうど翌月に控えた台湾総統選挙の選挙戦を現地で見物する機会を得た。この選挙において、民主進歩党(以下、民進党)の蔡英文(一九五六 -)候補の陣営は、台湾から中国の影響力をいかに排除するかという論点を前面に押し出し、有権者に支持を訴えていた。結果的に蔡はこの選挙に圧勝して再選され、二四年五月までの四年間の任期を獲得するので、その訴えは民意に支持されたと言ってよいだろう。
しかし、「中国の敵」という側面にばかり注目して台湾を評価しようとすると、おそらく台湾イメージは大きく歪んでしまう。前述の二〇年一月の選挙で蔡英文は得票率57%にあたる八二〇万票を獲得しているが、次点で敗れた中国国民党(以下、国民党)の韓国瑜(一九五七 - )候補も得票率38%の五五〇万票を獲得している。国民党は今でこそ対中融和政策を掲げる政党なので、その意味で「親中派」が負けたことには違いない。しかし、同党は中国大陸の中国共産党とかつて内戦を戦ってきた「反共」政党でもある。台湾の有権者が国民党に投じた五五〇万票が、いずれも共産党を支持する意味で投じられたとは考えにくい。
この一例だけとってみても、台湾と中国の関係は「敵か味方か」といった単純な構図で理解できるものではない。台湾から見た中国との「距離感」はこれまでの歴史のなかで時代によって大きく揺れ動いてきた。本書では、この距離感について論じてみたい。
台湾の「反中」はきわめて複雑な歴史的背景の上に成り立っている。それを万一「親日の裏返し」などと単純化してしまうことがあっては、台湾の人たちに対して大変失礼である。また、せっかく日本社会で高まっている台湾への親近感や敬意が、「反中の裏返し」などというつまらないストーリーの中に落とし込まれてしまっては、非常にもったいない。
もちろん、「中国との距離感」ばかりに注目して台湾を評価するのも、台湾イメージを大きく歪める行為になりかねない。しかし、近年の国際社会では米中対立が深刻化の一途をたどり、台湾海峡をめぐる緊張はにわかに高まっているため、「敵か味方か」という観点で台湾に注目することには大きな意味が生じている。そんな今こそ、そうではない視角からの台湾論も提供できれば、日本社会のよりいっそうの台湾理解に貢献できるのではないか。これが本書執筆の動機であり、狙いである。
台湾にとって「中国」とは何なのか
台湾の中国との距離感について考えることは、「台湾は国なのか」という問いにも直結している。
台湾には台湾という国がある。私たちの多くは普段、特に疑うことなくそう思って暮らしているのではないか。海外旅行を計画するときには「台湾旅行」と「中国旅行」を区別するし、ニュースでは「台湾の蔡英文総統」という言葉が普通に使われる。北京の中華人民共和国政府は台湾を自国の一部だと強く主張しているが、実際にその統治が及んでいるわけではない。
たしかに、現在の台湾は他の国と遜色ない統治機構を備え、非常に安定した秩序を保っている。しかし、日本やアメリカをはじめ国際社会の多くの国々は、台湾を独立した一つの国家と認めていない。加えて、台湾を統治している政府が自称している国号は、実際には「台湾」ではなく「中華民国」である。現在の台湾が一つの国のように見えるのは、戦前は中国大陸にあった中華民国という国が、戦後になって台湾を中心とする島々しか統治しない状態に陥った後、民主化を進めてその身の丈に合った形へと政治体制を転換させた結果なのである。
中華民国とは、国際社会の多くの国がかつて「中国」と見なしてきた国家にほかならない。日本政府もその例に漏れず、中華人民共和国と国交正常化を果たす一九七二年まで、台湾の中華民国と国交を有していた。現在の台湾は、中華人民共和国による併呑を拒んでいるという意味では明らかに「中国ではない」存在であり、中国大陸と切り離された住民による民主的な政治が行われているという意味でも「中国ではない」存在だ。しかし、いまだに中華民国憲法を維持し、中華民国という国号を冠しているという意味では「中国そのもの」としての側面も残している。また、政治的には長らく分断されているとはいえ、台湾の住民の多くは中国大陸からの移民の子孫であり、台湾は今なお中国大陸とさまざまな面で文化を共有している。
本書の構成
かくも複雑に入り組んだ台湾と「中国」との関係を解きほぐすことは容易でなく、本書もその任務を全うできる自信はない。しかし、せめてその糸口のいくつかを示すべく、本書は日本とも関わりの深い話題を主に取り上げながら、以下の構成で話を進めたい。
第一章「多様性を尊重する台湾」では、台湾の自然環境や経済状況をごく大まかに確認したうえで、今日の台湾に住む人びとの民族構成が歴史的にどのように形成されてきたのかをたどる。近年の台湾では、社会の多様性や少数者の権利を尊重する思想が広く共有されており、そのことは日本社会の台湾に対する好印象にもつながっているように見受けられる。では、台湾でなぜそのような考えが重視されているのか、第二次世界大戦後の台湾政治の動きも踏まえて検討したい。
第二章「一党支配下の政治的抑圧」では、第二次世界大戦後、一九五〇年代から六〇年代を通じて、蔣介石(一八八七- 一九七五)を指導者とする中華民国の国民党政権が、台湾内外の反体制的な政治運動をいかに厳しく弾圧してきたのかを確認する。今日の台湾で行われている民主的な政治は、実は多くの人びとの犠牲の上に成り立っているということを理解するためである。そのうえで、二〇一七年に発売されたパソコンゲーム『返校』が巻き起こした社会現象の分析を通じて、今日の台湾がどのような社会を理想として目指しているのかを考察したい。
第三章「人権問題の争点化」では、一九六〇年代末から一九七〇年代初頭にかけ、台湾で行われている抑圧的な政治に、日本がどのように関与していたのかを確認する。当時の日本国内には蔣介石政権の統治に反発する台湾出身者も在留していたが、そのなかには、中国とは別の独立した国家を台湾に建設することを目指した「台湾独立派」の人びとや、台湾が中華人民共和国と統一される未来を望んだ「親人民共和国派」の人びともいた。それを踏まえ、日本における台湾に対する関心は、どのような社会情勢を背景にして高まっていったのか検討したい。
第四章「大陸中国との交流拡大と民主化」では、一九七〇年代から二〇〇〇年代半ばにかけての、台湾をめぐる国際情勢および台湾内部の政治変動について論じる。七〇年代にアメリカ政府が対中接近政策をとり、七九年に両国が国交を樹立すると、共産党の対台湾政策も大きく変化した。国際情勢の転換を背景に、台湾では政治の民主化をはじめ多方面にわたる変革が進展し、二〇〇〇年代には民進党と国民党が政権を争う構図が生まれる。その新たな政治情勢はどのような経緯をたどって形成されたものなのか、時系列に沿って確認したい。
第五章「アイデンティティをめぐる摩擦」では、二〇〇〇年代後半以降の台湾政治の推移を見る。一九七〇年代以来の政治変動にともない、二〇〇〇年代半ばには共産党と内戦を戦っていたはずの国民党が共産党との融和路線を打ち出すという「ねじれ」が発生するにいたった。一方、選挙による競争が定着した台湾において、国民党は有権者の「台湾」という土地への愛着や、「台湾人」としてのアイデンティティにも常に配慮する必要がある。そのような状況下、台湾にとって「私たちの歴史」はどのようなものであり、そのなかで「中国」および「日本」という要素をどう位置づけるかは、とりわけ論争的な問題となってきた。歴史問題を含め、近年の台湾におけるアイデンティティをめぐる複雑な様相について、いくつかの事例から見ていきたい。
最後に「おわりに」では、台湾をめぐる近年の動向について簡単に確認したうえで、本書の議論を総括し、今後の台湾を見ていくうえで筆者が重要だと考える論点について整理したい。
「はじめに」より
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