〈「親日」や「反中」の二元論では捉えられない なぜ多様性が台湾の“コアな価値観”になりつつあるのか?〉から続く
来年(2024年)1月13日に台湾総統選が行われる。民進党が率いる蔡英文総統から誰にバトンが渡されるのか? 台湾有事などのリスクが声高に叫ばれるいま、東アジア情勢、ひいては国際情勢の鍵を握る台湾の現在地をどう考えたらいいのか。
ここでは、台湾をめぐる国際情勢を読み込みながら一つの台湾現代史を紡がれた、中国近現代外交史・現代台湾政治の研究者である家永真幸さんの『台湾のアイデンティティ「中国」との相克の戦後史』(文春新書)を一部抜粋して紹介。
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2024年1月、台湾で総統選挙がおこなわれる。1996年の台湾での最初の直接選挙から数えて、今回は8回目にあたる。民進党は現職の蔡英文総統の後任候補として頼清徳(1959‐)を擁立したのに対し、これに挑む野党側は候補者の一本化に失敗し、最大野党の国民党からは侯友宜(1957‐)、第三勢力である台湾民衆党からは市民に人気の高い柯文哲(1959‐)が立候補している。
これまでの総統選挙では、96年に当選した李登輝が一期4年間を務めた後、2000年と04年は民進党の陳水扁、08年と12年は国民党の馬英九、16年と20年は民進党の蔡英文が勝利し、2期8年ごとに政権が交代してきた。いわば二大政党制のような状態で政局が推移してきたことになる。
選挙の争点は多岐にわたり、経済や生活を重視する有権者も多い。しかし、2000年代に李登輝が国民党から離党する一方、国民党が共産党に接近したのにともない、中国との距離感は民進党と国民党の支持層を分断する重要な争点となっている。その傾向は今なお維持されていると言ってよい。
ただし、世論の大勢は性急な独立や統一を望んでおらず、ほとんどの住民は「現状維持」を望んでいる。ここで言う「現状」をどう理解するかは議論の分かれるところだが、少なくとも台湾、澎湖、金門、馬祖が大陸中国とは分断され、異なる政治体制下に置かれている状態を当面は維持したい、というのが多くの有権者の望みであろう。
中国との関係の「現状維持」に加え、台湾の政治家が無視することのできない重要な要素として、台湾という土地への愛着や、台湾人としてのアイデンティティに対する民意が挙げられる(小笠原欣幸『台湾総統選挙』)。台湾の国立政治大学選挙研究センターは、大陸中国との統一か台湾の独立かという論点のほか、台湾住民のアイデンティティが「台湾人」なのか「中国人」なのかについても世論調査をおこなっている。
それによると、23年6月のデータで、台湾の民衆のうち自身を「台湾人」だと考えている者の割合は62.8%なのに対し、「中国人」だと考えている者は2.5%に過ぎず、「どちらでもある」が30.5%を占める。長期的な傾向としては、「台湾人」は増加傾向、「中国人」と「どちらでもある」は減少傾向にあり、調査が始まった一九九二年時点では「台湾人」は17.6%にとどまっていたのに対し、「中国人」は25.5%、「どちらでもある」は46.4%にのぼっていた。「台湾人」が「中国人」を抜いて逆転したのは九五年度の調査からである(国立政治大学選挙研究中心「台湾民衆台湾人/中国人認同趨勢分布」)。
もちろん、台湾に住む人びとのアイデンティティの問題は、「台湾人か中国人か」の二者択一に限られるものではない。80年代以降の政治の自由化や民主化にともない、原住民や客家人の言語や文化の尊重を求める声も高まったことから、台湾では多文化主義の理念による国民統合が図られてきている。また、それと並行して、女性の政治参加を求める声や、性的マイノリティの尊厳は守られなくてはならないとする声も社会から広く支持されてきた。これらは「台湾人か中国人か」とは別次元の論点である。ただし、これらは「台湾人」には誰が含まれるのか、「台湾人」とはどうあるべきかという問題意識と密接にかかわってもいる。
いずれにしても、近年の台湾の総統選挙において、各候補者は住民の台湾という土地への愛着や、台湾人としてのアイデンティティを無視して勝利することはできない。とはいえ、国民党はもともと大陸中国の共産党と「唯一の合法中国政府」の座をめぐって内戦を戦ってきた政党である。「台湾は中国の不可分の一部である」との認識を共産党と共有するとともに、中華民国によって大陸中国と台湾を統一する目標を決して放棄したわけではない。これは、大陸中国とは別に台湾共和国を打ち立てることを究極的な目標に掲げる民進党とは、理想とする未来像を大きく異にするところである。
未来像が異なれば、「歴史」の捉え方も変わってくる。中華民国を中心に据える歴史観をとれば、中国大陸で過去に起こった出来事こそが「私たちの歴史」にとって重要だということになり、また日中戦争は日本の侵略と戦った戦争と位置づけられることになる。これに対し、台湾を中心に据える歴史観をとれば、台湾という地理空間で過去に起こった出来事こそが重視され、日中戦争は日本の支配下に置かれた状態で参加した戦争と位置づけられることになる。
これらの分岐を背景として、台湾にとって「中国」とは何なのかという問題は、国民党政権期と民進党政権期を通じ、しばしば深刻な争点として政治問題化してきた。そこでここでは、2008年の民進党から国民党への政権交代および、16年の国民党から民進党への政権交代時の変化を中心に論じることで、台湾にとって「中国」という要素がどのような政治的摩擦を生み出しているのかを検討したい。
劉暁波の馬英九評価
台湾の政治体制は、1997年の第4回憲法改正以降、フランスに近い「半大統領制」に分類される仕組みを採用している。すなわち、直接選挙で選ばれた総統は行政院長(首相)を任命することができ、総統は国家の安全に関する権限を、行政院長はその他の行政に関する権限を分担して掌握する。一方、総統とは別の直接選挙で選ばれた、立法委員によって組織される立法院は、不信任決議により行政院長を解任する権限を持つ。そのため、台湾の総統は政治構造上、政権を安定的に運営するためには立法院との関係にかなり気を遣わなければならない(松本充豊「総統に求められるものは何か」)。
陳水扁政権期、民進党は2001年と04年の立法委員選挙で第一党とはなったが、過半数の議席を獲得することはできなかった。そのため、00年に歴史的な政権交代が起こったにもかかわらず、台湾では民進党の思い通りの改革が進んだわけではなかった。そのような状況下、台湾社会にはさらなる国会改革を求める世論があり、それが民進党と国民党に対する圧力となったことから、05年6月には両党が賛同する形で第7回改憲がなされた。この改憲では、さまざまな重要な変更の一つとして、立法院の議席半減、小選挙区比例代表並立制が規定された。これにより、小政党が立法院の議席を獲得するのは難しくなり、民進党ないし国民党が安定的な政権運営をおこなえるようになる可能性が高まった。
この新たな制度の下、陳水扁総統は2期目の任期中、側近や身内の金銭スキャンダルにより支持率を大きく低下させた。そのため、08年1月の立法委員選挙では、国民党が民進党に圧勝した。さらに、同年3月の総統選挙では、国民党の馬英九が勝利する。馬は陳水扁政権が2期目に中国との関係を緊張させたのに対し、台湾海峡両岸関係の改善による台湾経済の活性化を訴え、広く支持を集めた。
後で述べるように、馬は2期目の任期中、その対中融和政策が原因で支持率を著しく低下させ、国民党は2016年に政権を再び民進党に奪還されるにいたる。しかし、馬は当初、決して共産党に媚びた政治家と評価されていたわけではなく、むしろ東アジアの政治情勢を好転させるリーダーとなることが大いに期待されていた。そのことは、大陸中国の民主活動家である劉暁波(1995-2017)が当選前の馬をきわめて高く評価していたことからもうかがえる。
劉は89年の天安門事件における民主化運動のリーダーの一人で、その後も人民共和国にとどまり民主化のための文筆活動を続けた言論人であった。劉は天安門事件後に複数回にわたり投獄されており、共産党政権とは強い緊張関係にあった。後の08年には共産党の独裁を批判する「〇八憲章」の発表を他の活動家らと準備し、逮捕・投獄される。服役中の2010年にはノーベル平和賞を受賞するが、授賞式への出席は認められず、その後、病に倒れ17年に死去した。
劉は2000年代の言論活動のなかで、共産党政権が台湾に「統一」を要求するのに対し、台湾が「民主」を絶対条件として応じることにより、大陸中国も民主化していくことへの期待をしばしば表明していた。そのため、劉にとってパンダを利用したパフォーマンスによる統合の推進などは論外であった。劉は決して国民党支持者というわけではなく、共産党政権に民主化を要求してくれるのであれば陳水扁政権にも期待をかけていた。
では、劉がなぜ馬を高く評価していたかというと、総統就任前の馬は89年の天安門事件に強い関心を示し、天安門事件の問題が解決しない限り台湾海峡両岸の政治協議には応じられないという厳しい姿勢をとる政治家だったためである。また劉は、陳水扁政権の台湾独立志向と比べた時に、統一を志向しながらも民主を重視する馬英九の態度はより望ましいと考えていた。なぜなら、前者は共産党政権、大陸中国の民意、アメリカ政府の三者の機嫌を損なうのに対し、後者は共産党政権の恨みしか買わないためである(劉暁波『統一就是奴役』)。
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