〈市民の6割のアイデンティティが「中国人」ではなく「台湾人」 台湾の未来、2024年1月の台湾総統選の行方は?〉から続く
馬英九政権のもとで台湾は中国に対して融和政策をとり、国際社会の中での活動空間を拡大させた。しかし、時とともに対中依存への不安が高まっていった。「台湾人アイデンティティ」はどのように育まれたのか?
ここでは、台湾をめぐる国際情勢を読み込みながら一つの台湾現代史を紡がれた、中国近現代外交史・現代台湾政治の研究者である家永真幸さんの『台湾のアイデンティティ「中国」との相克の戦後史』(文春新書)を一部抜粋して紹介。
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馬英九政権の対中融和政策
馬は総統就任後、毎年6月4日に談話を発表し、自由、民主、人権、法治といった価値観への関心を表明し続けた。総統再選を期す12年の選挙の前年にあたる11年6月の談話では、劉暁波と艾未未(1957-)の名前を挙げ、言論活動によって拘束されている人びとを釈放するよう共産党政権に呼びかけてもいる。
しかし、大局的に見て、総統就任後の馬は共産党政権批判のトーンをかなり抑え、大陸中国との経済交流を活性化させることに注力した。結果的には、馬の在任中に劉暁波が期待したような人民共和国の政治変動が起こることはなかった。
馬は2008年の総統就任前から、大陸中国との関係を安定化させることを選挙公約に掲げ、そのなかで「九二年コンセンサス」という概念を強調していた。これは、92年に香港で開かれた海基会と海協会の協議において、両者は中国大陸と台湾がともに「一つの中国」に属すことを口頭で認めたとされる事案をさす。あくまで口頭での確認とされるため、正式な文書に記録されているわけではないが、馬はこの共通見解を基礎に共産党との関係構築を試みたのである。実際、共産党政権はこれに応じ、馬英九政権期には海協会と海基会の間で次々と経済上の協定が結ばれていった。
馬英九政権の対中融和政策の成果として、まずは大陸中国から台湾への旅行客の増加が挙げられる。2008年、台湾は大陸中国からの団体旅行を全面開放し、11年には個人旅行の受け入れも始めた。馬の任期最終年度の施政報告によると、16年1月までに大陸中国からの団体旅行の受け入れ総数は1068万人、外貨収入は5455億新台湾ドルに達し、個人旅行も受け入れ総数340万人、外貨収入507億新台湾ドルにのぼった。また、馬英九政権期には空運と海運による直航便も増加した。09年には中国企業による対台湾投資が解禁される。さらに10年、中台間の自由貿易協定に相当する両岸経済枠組協定(ECFA)が締結され、品目を限定した漸進的な関税引き下げが実施されるとともに、後続協定の交渉も開始された。
馬政権が対中融和政策をとったことは、国際社会における台湾の活動空間を拡大させる成果ももたらした。共産党政権は台湾の政府が国際社会において正式な国家の代表として振る舞うことを認めない。しかし、馬政権が共産党政権から譲歩を引き出したことで、台湾の代表は09年から16年にかけ、「中華台北(Chinese Taipei)」の名義でWHOの年次総会(WHA)にオブザーバー参加することができた。また、13年には、民間の窓口機関を通じて日本との間で漁業協定を締結している。
パンダ受け入れをめぐるグレーな解決
文化イベントに注目すると、馬英九政権の成立を象徴したのが「パンダ受け入れ」であった。05年の連戦国民党主席の大陸中国訪問に際して、共産党政権は台湾へのパンダ贈呈を提案していた。しかし、当時の陳水扁政権は飼育環境の未整備を理由に受け入れの許可を出さなかった。これに対し、馬英九政権は成立早々にパンダ受け入れを許可し、08年12月に台北市立動物園がパンダのペアの飼育を開始するにいたった。二頭の名前は、「離れ離れになっている家族の再会」を意味する「団円」という表現にちなみ、「団団」と「円円」と命名されていた。
パンダは1980年代以来、ワシントン条約で国際商取引が禁止されていた。共産党政権の立場としては、台湾は人民共和国の「国内」であるため、このパンダ贈呈は国際法の適用外ということになる。そのため、馬英九政権がすんなりパンダを受け取ってしまうと、「台湾は人民共和国の一部である」と認めてしまうことになり、それは民進党政権から批判の対象とされるだけでなく、台湾は「中華民国の一部」だと考える国民党寄りの思想の持ち主に対しても説明がつかなくなるという問題があった。
そこで、このパンダ授受にあたっては、大陸側はワシントン条約の定める輸出許可証明書に似た形式の書類を発行し、台湾側はそれをワシントン条約の定める証明書の代わりと見なす措置をとることで、馬英九政権に「人民共和国の国内交易ではない」と主張する余地が与えられることになった。大陸側からと台湾側からでは見え方が異なる、グレーな解決が図られ、共産党政権もそれに協力したのである。実はこの方式は、陳水扁政権期の2002年から、ワシントン条約に抵触する漢方薬の原料を台湾に輸入する際に採用されてきたものでもあった。大陸中国と台湾の双方の政府は、深刻な政治的摩擦を抱える一方で、政治問題によって経済活動が妨げられないようにするための工夫も積み重ねていたのである(家永真幸『国宝の政治史』)。
台湾人アイデンティティへの配慮
馬政権の対中融和政策は、当初は一定の支持を得ていた。そのため、12年の選挙で馬は民進党の蔡英文候補を破り、再選を果たす。しかし、台湾社会では次第に、経済の対中依存の高まりや、共産党が文化面で台湾へ浸透していくことへの警戒が高まっていった(川上桃子、呉介民編『中国ファクターの政治社会学』)。とりわけ、13年に医療、金融、印刷、出版などのサービス業の自由化を規定する「海峡両岸サービス貿易協定」が調印されると、台湾世論は馬政権の対中政策形成過程の不透明さに強く反発した。14年3月、台湾の学生たちはこの協定が承認されるのを阻むため立法院に突入し、一か月近くにわたり議場を占拠した。この一連の抗議活動は「ひまわり学生運動」と呼ばれる。
この運動の発生前から、2期目の馬英九政権の支持率は低迷を続けており、国民党は16年の総統選挙で再び政権を民進党に譲り渡すことになる。また、ひまわり学生運動後、台湾社会では国民党に対する反発だけでなく、政治全般への不信が高まった。そのため、一四年の台北市長選挙では国民党とも民進党とも距離をとる無所属の柯文哲が一大旋風を起こして当選した。柯はその後、19年に台湾民衆党を結成し、台北市長を2期8年間務めた後、24年の総統選挙に出馬することになる。
15年11月、馬はシンガポールのシャングリラホテルにて、共産党の習近平総書記と会談をおこなった。これは四九年の分断後初となる、台湾海峡両岸の指導者同士の歴史的な会談であった。ただし、この会談の実務的な意義は薄かった。また、会談で馬と習は「中華民国総統」「中華人民共和国主席」という正式な役職名を使わず、「馬英九さん」「習近平さん」と呼び合い、互いの関係性をあいまいに処理した。習がなぜ、支持率が低迷し、任期切れも近い馬にわざわざ会ったのかについては、不明点も多い。一説には、16年の選挙で民進党政権が成立すれば、台湾海峡両岸の指導者同士による会談の機会が失われるとの判断があったためともされる(竹内孝之「顕在化する米中覇権争いと中台関係」)。
馬政権が一貫した対中融和政策をとり、国民党は共産党から経済的な利益を供与され、共産党の代理人かのように振る舞ったことで、台湾政治における共産党の影響力が強まったことは否定できない。ただし、馬政権は、内政においては台湾の有権者の「台湾人」としてのアイデンティティにも配慮を示していたことも無視できない。
たとえば、馬英九はパンダを受け入れる一方で、台湾固有の「台湾黒熊」という動物の保護活動を支持するパフォーマンスも行った。この動物は、ツキノワグマの亜種で、胸の白いV字の斑紋を特徴とする。その野生の個体数はパンダよりも少ないと見積もられており、近年の台湾では台湾のシンボルとして扱われることが増えている。政府は13年末頃から台湾黒熊をモデルにした「タイワン・オーベア」なる広報マスコット(いわゆる「ゆるキャラ」)を提案し、普及に努めている。台湾に旅行される方は、よく意識していれば、空港など公共の場所で目にすることが多いのではないかと思う。
また、馬政権末期の2015年12月には、台湾南部の嘉義県に国立故宮博物院の分館がオープンした。故宮博物院はもともと、清朝の宮殿であった北京の紫禁城を民国政府が接収し、清朝皇室が保有していた美術コレクションを主な収蔵品として、1925年に生まれた博物館である。日中戦争、国共内戦を経て、国民党はその収蔵品から名品を選りすぐって台湾に持ち込み、自らが中華文化の適切な保護者であることを内外に向け訴えてきた。65年には台北に新館が建設され、台湾観光の目玉の一つとなり今日にいたる。
この博物館は、中華文化を象徴する施設であることから、国民党政権下ではきわめて重視される一方、民進党政権は改革を望んでいた。台湾の南北文化格差を縮小するため、南部に故宮博物院の分館を設け、中華文化ではなく広く「アジア」の博物館とする計画は、もともと陳水扁政権期に推進されたものである。国民党はむしろ大陸から持ち込んだ収蔵品の分割に反対する立場だった。それを、馬は政権末期に遂行したのである。分館がオープンしたのは総統選挙の直前の時期であったため、有権者へのアピールの意味合いも強かったのではないかと推測される(家永真幸「馬英九政権の文化政策と両岸関係」)。
蔡英文政権と歴史をめぐる摩擦
16年の総統選挙では、民進党の蔡英文が国民党の朱立倫(1961-)を破って当選した。同時におこなわれた立法委員選挙でも民進党は過半数の議席を獲得し、初めて安定的に政権を運営できる地位に立つことになった。
蔡英文政権は、台湾の経済構造の転換や社会のセーフティーネットの強化などに加え、過去の政治的抑圧と向き合い、社会的亀裂の修復と和解を目指すことを重要な政策課題とした。この課題は、政治学の用語では、非民主的な政治体制から民主的な政治体制へと移行する過程における、「移行期正義」の推進とも呼ばれる。その一環として、蔡は一六年、原住民族に対する過去の抑圧について政府を代表して謝罪し、漢民族中心の歴史観を批判した。また、国民党が過去に不当に取得した資産を調査し没収する、いわゆる「不当党産」処理もおこなった。17年には、過去の国民党による政治的抑圧に向き合い、人権教育を強化するための組織として、国家人権博物館を成立させる。これらの政策は、台湾社会が全体として抱えている課題に正面から取り組むものであったと言える。
一方で、社会のなかには依然として、台湾を中国の一部と見なすか、それとも独立した主体と見なすかをめぐる立場の違いに根ざす摩擦が強く残っていた。その摩擦は、とりわけ台湾住民にとっての「私たち」の歴史をどう叙述するかをめぐって、しばしば深刻な政治的争点として表面化した。
かつて国民党一党支配体制下の台湾では、「台湾」ではなく「中国」を中心に据えた教育が徹底され、当時の若者たち(今も現役世代)の間では何の疑念もなく「中国人」としてのアイデンティティをもつことも一般的だった。しかし、李登輝政権期以降、「中国」を基軸とする教育の転換が図られ始め、1997年には中学校の教科書として『台湾を知る〔認識台湾〕』が導入される。2000年代の陳水扁政権下では、「台湾」を中心に据えた教育のいっそうの推進が図られた。しかし、馬英九政権期の14年に発表された高校のカリキュラム改革では、「中国」の歴史重視への揺り戻しが図られる。この問題は、価値中立的な記述を求める歴史学者らが強い批判の声を上げるなど、大きな反対運動に発展した。蔡英文政権は成立後ほどなく、当該カリキュラムを廃止している。
中国との一体化の歴史観を退ける
これに似た論点として、蔡政権は一16年11月、上述の国立故宮博物院の南部分館の屋外スペースに設置されていた「円明園十二支動物銅像」を撤去した。円明園とは北京郊外に位置する清朝の離宮であり、南部分館に設置されていた銅像は、かつて円明園に飾られていた干支をかたどった十二体の動物銅像のレプリカである。円明園は一九世紀後半のアロー戦争においてイギリス・フランス連合軍によって破壊・略奪を受けており、十二支像の実物はそのときに散逸したとされる。また、円明園自体は中国が過去に受けた屈辱を示すものとして、廃墟のまま残され公園となっている。
南部分館の十二支像は、世界的人気俳優で、中国の統一戦線組織である全国政協委員の肩書ももつジャッキー・チェンが、分館の成立を祝賀して贈ったものであった。チェンには『ライジング・ドラゴン』(2012年)という監督・主演作品があり、かねてより円明園十二支像の問題を中国ナショナリズムと絡めて描いていた。中国では経済発展が進むなかで、海外に流出した古美術品を中国国内に買い戻すことが愛国的な行為と見なされる風潮が生まれ、たとえば巨大企業である保利グループは十二支像のうち牛、猿、虎、豚の四像を入手し、北京市内の保利芸術博物館で展示している。
つまり、馬政権は「中国の屈辱の歴史を大陸と台湾で共有しよう」という強烈なメッセージの込められた贈り物を受け取り、展示したということになる。これに対し、台湾社会からは一部でかなり強い拒絶反応が起こり、分館の開館3日目の15年12月30日には像に赤いペンキがかけられる事件が発生した。蔡政権による像の撤去は、そのような事態を背景にしていたのである。
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