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地政学リテラシー七箇条――動乱の世界で秩序を保つための必須原則!

出典 : #文春新書
ジャンル : #ノンフィクション

地政学時代のリテラシー

船橋洋一

地政学時代のリテラシー

船橋洋一

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『地政学時代のリテラシー』(船橋 洋一)

 ウクライナ戦争に続いて、中東でも戦争が始まった。二〇二三年十月七日、ガザを実効支配しているハマスがイスラエルを無差別攻撃し、千四百人を殺害、子供、女性を含む二百三十人の人質を連れ去った。イスラエルはガザのハマスの拠点を連日のように攻撃し、二カ月で一万八千人以上が犠牲になった。その四割以上が子供である。ヨルダン川西岸ではパレスチナ人の蜂起が起こりつつある。レバノンのヒズボラもイスラエルへの攻撃態勢を強めている。イスラエルとサウジアラビアの関係正常化は大きく後退するだろう。

 イスラエルは抑止力の維持に失敗した。その回復は簡単ではない。抑止力に対する懐疑は、イスラエルを先制攻撃と相手の“殲滅”作戦に傾斜させる危険がある。イスラエルはガザに進軍したものの、効果的な占領計画と戦後計画を持っていない。パレスチナとの共存──ともに主権と生存権を認め合う──の覚悟がない限り、それは描けない。今後、実存への恐怖感をさらに募らせ、いずれはイランの核開発を阻止する軍事攻撃に打って出る可能性がある。それは究極の中東危機をもたらすだろう。

 イスラエルの右派政党リクードの創設者、メナヘム・ベギン元首相は「世界は畜殺される者に同情しない。世界が尊敬するのは戦う者だけである。我々は甘かった」との言葉を残している。ホロコーストの教訓について語った言葉である。ゴルダ・メイヤーは一九五六~一九五七年の第二次中東戦争の時の外相だったが、この時のパレスチナゲリラによるイスラエル民間人の虐殺に対し、イスラエルが報復し、ガザの子供たちを多数、殺したことについて「彼らが最初に攻撃を始めたのだ。彼らはその償いをする必要がある、それも高い代償を払わねばならないことを知る必要がある」と述べた。それもまたホロコーストの教訓なのだろう。いや、イスラエル建国の父、デイビッド・ベングリオンは一九四八年の第一次中東戦争の時、「アンマンを爆撃し、ヨルダン軍を破壊する、シリアは落ちる。もし、エジプトが戦い続けるなら、ポートサイドもアレクサンドリアもカイロも爆撃する。聖書の時代に我々の祖先に対して彼らがしたことに復讐するのだ」と述べた。

 イスラエルの極右政党はパレスチナを認めない。ヨルダン川西岸への“入植”強行を支持する。“入植”は将来の併合への整地作業なのか。極右政党の閣僚はガザへの核兵器使用の可能性まで口にした。パレスチナ民族抹殺の暗い情念の表れなのか。

 一方、ハマスもヒズボラもイスラエルの存在を認めない。従って、二国間解決──イスラエルとパレスチナのそれぞれの主権を承認する──も認めない。それはイランのハメネイ師も同じことだ。

 イスラエルの生存を認めない中東和平はない。しかし、パレスチナを無視し、イランをただ敵視しても中東和平は成り立たない。テロリストたちを皆殺しにしたとしても、テロリズムを根絶やしにはできない。

 私の米国の友人は、9.11テロの時、ブッシュ政権の外交当局の要職に就いていた。ブッシュがアフガニスタン戦争に止まらずイラク戦争に傾斜した時、「過剰反応は敵の思うつぼです」と強く反対した。ブッシュはイラクの民主化を夢想し、戦争に踏み切った。友人は追われるように政権を去った。あの時のことを思い出す。イスラエルは過剰反応の罠にはまりつつある。思慮深い政治指導力を欠いた国家の悲劇を思わずにはいられない。

 終戦から八十年近く経ち、先の大戦と戦間期の失敗から我々が学んだ教訓──主権平等と民族自決、人権と基本的自由の尊重、すなわち「法の支配」──を世界はもはや忘れ去ったかに見える。

 もう一度、世界の国々の間の矛盾と衝突を武力紛争と戦争にしないために我々が何をするべきか、何ができるかを探求しなければならない。

 ここで必要となるのは、地政学的なリテラシーである。人間社会にあって変えられないことと変えられることを区別すること、そして、過去の国々の行動の成功と失敗から学び、その教訓を現在の問題の取り組みに活かすこと、である。

 世界と社会の中で変えられないこと─地理、人種、民族、宗教、グループ・アイデンティティ─がどのように国々の行動を縛っているのか。変えられること──技術革新、イノベーション、政治指導力、ナラティブ、世論──を国々はどのように行使し、また、働きかけようとしているのか。

 そうしたことを知るため、地政学リテラシーを磨く必要がある。

 以下、地政学リテラシーの七箇条を記したい。

◇◇◇

一.国際システムは、自己保存を最重要課題とする国家が単位のため、本来的にアナーキーであり、弱肉強食の世界である。

「中国は大国だ。あなた方は小国だ。それは厳然たる事実だ」

 二〇一〇年七月、楊潔篪中国外相がASEAN(東南アジア諸国連合)地域フォーラム(ARF)外相会談でシンガポールの外相をにらみつけて吐いたこの言葉が、二〇一〇年代に始まった「危機の二十年」の時代の幕開けを告げた。

 中国の挑戦の不気味さは、その専制的政治体制と個人独裁統治とともに、共産党パワーエリートの歴史観と対外観に起因する。政策決定過程の不可測性とともに、失地回復主義(irredentism、中でも台湾統一)と中華意識(「中国の夢」)と米国・西側の「衰退」不可避論などの歴史情念の過剰が、中国との対話を難しくする。秩序形成に向けての協同作業をやりにくくさせる。中国学者のジョン・K・フェアバンクがかつて述べたように「中国の国際秩序観は、国内の統治(ガバナンス)の反映」でもある。中国が強大になればなるほど、中国は自らの統治観──国家間の平等な関係、法の支配、チェック・アンド・バランスなどへの拒否感──をより前面に押し出してくるだろう。そうなればなるほど、中国の攻勢は、既存の勢力均衡と国際秩序への挑戦、すなわち現状維持の変更へのベクトルを持つことになる。

 地政学は本質的に現実主義に基づく世界観である。物事を「ありのまま(as it is)」に見るところから認識は始まる。現実主義とは、理想とモラルを無視することではない。人間が作り上げる社会と国家において理想とモラルは強大な力を持つ。現実主義は、国際政治学者のジョセフ・ナイが言うように「最良の出発点」にほかならない。そして、「着地点」に達するには実務主義が欠かせない。

二.平和と安定のためには、勢力均衡と国際秩序の正当性が必要である。

 二〇一〇年代、中国とロシアは南シナ海とクリミアで国際法を無視し、力による「現状変更」を強行した。中国の国際政治学者は「確かに中国が強大化したことが現状維持を変えた。しかし、米国と日本が弱体化したこともまた現状維持を変えたのだ」と喝破した。勢力均衡は、国際秩序を覆そうとする国の能力を制約する。国際秩序の正当性に関する合意は、それを覆そうとする国の欲望を抑制する。勢力均衡が崩れれば現状維持も崩れる。国際秩序が乱れれば、現状維持の正当性も崩れる。

 十九世紀以降、国々の興亡のドラマは、ユーラシアの勢力均衡と国際秩序をどのようにつくるかをめぐって展開した。二十一世紀もそれは変わらない。EU(欧州連合)、ロシア、中国、インド、そして中東有力国が覇権争いと合従連衡を繰り返すだろう。

 戦後の地政学の第一人者だったズビグネフ・ブレジンスキーは四半世紀前、次のように警告した。

「潜在的に最も危険な地政学的シナリオは、中国、ロシア、そしておそらくイランがイデオロギーではなく不満と怨念に駆られて形成する反覇権主義連合であろう。そうした事態を回避するため、米国はユーラシアの西端、南端、東端において欧州、インド、日本との間で地政学的な戦略を動員する必要がある」

 日本のCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)、FOIP(自由で開かれたインド太平洋)、Quad(日米豪印四カ国連携)、日豪戦略的協調、日米韓協調はいずれもこのユーラシアにおける挑戦への応戦であり、「法の支配」に基づく勢力均衡と国際秩序に向けての重要な取り組みである。

三.平和維持には、抑止力が必要である。

 抑止力とは「相手を傷つけるパワー」のことである。そのパワーを常時、維持し、相手にそのことを分からせておくことが相手にこちらを攻撃させない、つまり抑止するために必要である。中国もロシアも米国に直接、介入させないため、戦争一歩手前の「グレーゾーン」領域で現状変更を図っている。ここではサイバー領域を含め、抑止力の対応が遅れている。日本は戦後、抑止力という最も戦略的なパワーを知的にも政治的にも摂取して来なかった。それを正面から論じるところから安全保障論議を深める必要がある。

 ただ、抑止力は「信頼に足る保証」と「信頼に足る脅威」の双方そろってこそ成り立つ。「信頼に足る保証」、つまり外交が十分行われず、「信頼に足る脅威」の方に傾斜すると「安全保障のジレンマ」の罠に陥ることになる。こちらが防衛力増強や同盟強化を図ると、向こうも同じように行動し、その結果、双方とも望まないのに衝突のリスクを増大させてしまう。米中の間の外交と対話の強化を急がなければならないが、日本もありとあらゆるレベルでの中国との対話を続ける必要がある。

四.物事には当面、「解く(solve)」ことができない事柄もある。その場合は、「収める(resolve)」ことでしのぐ。

 バイデン政権の対中政策を立案、執行しているジェイク・サリバン大統領補佐官(国家安全保障担当)とカート・キャンベル(NSCインド太平洋政策調整官)は政権に入る前、「これまでの対中関与政策はこれという儀式もなく終わった」と断じた上で、「中国との共存とは問題を解決するというよりもむしろ条件を管理するべく競争を受け入れることを意味する」とフォーリン・アフェアーズで論じた。「現在の中国が国家として崩壊するとの前提に基づく、またそれを目的とするような新封じ込め政策はお門違い」と見なすのである。

 対ソ「封じ込め」政策がソ連崩壊に帰結し成功しただけに、中国に対して「封じ込め」を口にすること自体、中国崩壊を企図していると受け取られる危険性がある。ただ、習近平は米国が中国を「抑え込み、取り囲み、封じ込めよう(suppress, encircle and contain)としている」と非難している。一方で、米国は中国が米国衰退論を前提に勢力圏を拡張することのないよう牽制している。二〇二一年三月の米中外交トップ会談で、アントニー・ブリンケン国務長官は中国側に「米国売りに賭けてもうかったためしがない(It's never agood bet to bet against America.)」とのバイデンの言葉を引用し、米国を見くびらないように警告した。

 中国の経済危機が深刻になってからは、米国の中に中国衰退論が広がっている。下手に「封じ込め」をするよりこのまま衰退させるのが得策だとの意見も表明されている。「ナポレオンが言ったように、敵が間違いを犯しているときは止めるな」というわけだ。(ジョン・ミュラー「封じ込め反対論」、フォーリン・アフェアーズ、二〇二三年九月二十一日)

 対中「持久戦」の時代と心得るべきである。客観的解決(solve)が難しければ主観的決着(resolve)で時を稼ぐ戦いである。認知戦がますます重要になって来る。

五.国家の生存にとってパワーは富より優位であり、安全保障は国益より重要である。

 大国や資源国は、地政学的目的のために市場、金融、技術、サプライチェーンをパワーとして用いる。国連も大国も相手を制裁するにあたって経済を制裁の道具に使う。中国の経済台頭に伴い、また、米国の対中競争に伴い、このような経済相互依存の武器化が常態化してきた。

 グローバル化を上手に活用しながら「国民経済」を守る。経済安全保障政策によって自由で開かれた国際秩序とルール・規範を守り、鍛える。そうして「国民安全保障国家(national security state)」の「国の形」をつくることが求められる。

六.戦略は統治を超えられない。統治の要は、政治指導力である。

 国家安全保障は、「政府一丸」と「社会一丸」で臨む以外ない。どれほど立派な戦略を練り上げたとしても、それを執行するガバナンス、つまり国家統治を効かせなければ実現できない。そして、そのガバナンスを効かせることができるかどうかは政治指導力による。政治は本質的に緊急事態・状況(contingency)への対応と危機管理の営為である。そこでの最も大切な要素は、政治指導力なのである。

 日本の場合、戦後、緊急事態と有事への取り組みは、戦前への“逆コース”を想起させるというので忌避されてきた。有事の法制度の未整備は、新型コロナウイルス危機の際に露わになった。サイバー・セキュリティに対する官民連携、通信情報活用、能動的サイバー防御、インテリジェンスなどの対応能力も依然、遅れている。

 日本をはじめとする民主主義国の国家安全保障にとって民主主義そのものが障害になっている。危機における民主主義国の弱さは、『アメリカのデモクラシー』を著したアレクシ・ド・トクヴィルがつとに指摘したところである。トクヴィルは、「外政(外交と安全保障)」は、民主主義が要求し、また民主主義を特徴づける自由、人権、言論の自由、司法の独立、開放性といった特質がむしろ邪魔になる領域でもある、と述べている。

 米国の政治と社会の「大分断」は、共和党、民主党を問わずに「アメリカ・ファースト」を再生産するだろう。それは、米国の世界における役割と世界への関与の行く末に大きな影響を及ぼさざるを得ない。

 経済格差と社会分断を広げないよう、ポピュリズムとナショナリズムを増殖させないよう、中道の政党政治とメディアを守り、育てなければならない。

七.歴史は、国々(states)の記憶である。国家は、歴史から学ぶことができる。

 二〇一〇年代から始まった「危機の二十年」の深刻な問題は、ロシアも中国も、そして米国においてもまた、歴史から学ぶ地政学的洞察力が弱まっていることにあるのではないか。

 ソ連崩壊という「二十世紀最大の地政学的悲劇」、列強に蹂躙された「百年国恥」、駐イラン大使館を占拠され、四百四十四日間、大使館員を人質に取られたトラウマ……どこも、帝国の屈辱に囚われている。

 その屈辱感が、未来への前向きな参画意欲と世界を共に作り上げていく協力・協調の精神を歪め、萎えさせてしまう。

 ヘンリー・キッシンジャーはその処女作(『回復された世界』)の中で「歴史は国々の記憶である(History is the memory of states.)」と記した。地政学の核心的な思想はこの一言に凝縮されている。国々の生きる術、すなわち戦略と統治を知るために人間社会は歴史を紐解いてきた。国家は生きるために歴史を必要とする。歴史は国々の記憶として投射されるのである。そこから正しく、賢明に学ぶことこそが政治指導者のもっとも大きな責任である。

◇◇◇

 二十世紀最大の理論物理学者の一人だったアルベルト・アインシュタインはユダヤ人だったが、人生の半分は平和を現実主義的に希求した知識人(public intellectual)として行動した。彼はイスラエルの国家建設を支持したが、一九二九年に次のような警告を同胞に発している。

「もし、我々がアラブの人々と真摯な協力と真摯な協定への道を見出すことができなければ、我々は二千年の歴史から全く何も学ばなかったということになる。もしそうであるならばそれがもたらす運命を甘受することになっても仕方がない」

 イスラエルの歴史は、この洞察の起点に立ち戻ってもう一度、書き起こすしかないのではないか。イスラエルもアラブの国々も平和共存という実存のために歴史を紐解き、学びなおす以外ない。地政学リテラシーを磨かなければならない。

 地政学リテラシーは、政治指導者が現実を「ありのまま(as it is)」、冷静に捉え、パワーを注意深く使い、秩序を公正に保つための生きる術である。歴史から学び、機会をつかみ、リスクを管理し、賢明に統治することに資するための洞察と知恵なのである。


「はじめに 地政学リテラシー七箇条」より

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