魅力的で多彩な登場人物、謀略あり&裏切りあり&意外な真相ありで二転三転する展開、胸に迫ってくる人間ドラマ、現代社会にも通じる熱いメッセージ。これが本当にまだこの作家の二作目なのかと思うくらい、史実を胸熱のエンターテインメント小説に仕立て上げる手腕に感嘆してしまう。『戴天』は、中国史に詳しくない読み手をも夢中にさせる吸引力を持った作品だ。
著者の千葉ともこは二〇二〇年に『震雷の人』(現・文春文庫)で第二十七回松本清張賞を受賞してデビューを果たした。前作も本作も題材として扱っているのは中国は唐の時代に起きた安史の乱だ。ただし登場人物は異なるので、こちらから手に取っても問題はない。前作ではこの騒乱の時期を辺境の人々の視点から、本作では中央の人々の視点から描いている。
玄宗の時代、開元の治と呼ばれ絶頂期を迎えた唐。しかしほどなく官僚の腐敗や玄宗が楊貴妃にいれこんだことから政治は揺らいでいく。七五一年にはタラス河畔で唐とアッバース朝の間で戦闘が起き、高仙芝が率いた唐軍は甚大な損害を被る。そして七五五年から始まったのが、節度使だった安禄山と史思明が起こした安史の乱である。
主要人物は複数いる。山東貴族の名門の息子、崔子龍は友人の裏切りによって陰部を欠損し、失意のままタラス河畔の戦いに従軍するが、宦官・辺令誠の策略にはまって退散。約三年半後、崔子龍と彼が率いる兵たちは首都・長安に戻って潜伏している。一方、僧侶の真智は亡き義父の意を継ぎ、宰相の不正を糺そうと一計を案じるが窮地に陥ってしまう。その際に救いの手を差し伸べたのが楊貴妃の女性奴隷、夏蝶である。やがて反乱軍が迫ってきた時、彼らの運命は複雑に絡まり合っていく。タラス河畔、競走が行われている山中、長安の離宮、華清宮などと舞台は転換し、章を追うごとに読者の頭にはまったく異なる景色が広がっていくはずだ。
単行本刊行当時、著者にインタビューをした(小学館の電子雑誌「WEBきらら」二〇二二年七月号。文芸サイト「小説丸」に転載あり)。その際に聞いたところによると、崔子龍には名家の生まれという「持っている側の立場」と、身体を欠損したために「持たずに虐げられている立場」の両方の苦しみを持たせたかったという。主要人物のうち唯一の実在人物である辺令誠に関してはあまり資料はないが、史書に載っている行動だけを読んでも一貫性のなさが印象に残り、そこから人物を創作した。彼に関しては「恐怖」を描きたかったといい、「人は知らず知らずに権威に支配されて、自分の考えを持たなくなってしまう。(中略)ただ権威に従うだけで誰も自分のせいだと言わなくなり、洗脳されていく。そうした部分を書きたかったんです。崔子龍も辺令誠も権威に苦しんでいますが、崔子龍の場合は人の話を聞かないし、辺令誠の場合は人の顔が見えなくなっている。どちらにも、力対力のしがらみから抜け出してほしい、という思いでした」。
また、身体に欠損のある男、去勢された宦官、俗世界から距離を置いた僧侶という人物を選んだのは、「権威の一面として、男性性があると思っていました。働いている頃、ホモソーシャルな狭い組織の中で男性自身も生きづらそうだと感じていたんです。やせ我慢は本当の強さではないし、辛い時は辛いと言っていいんじゃないか、というところは書きたかったです。それで崔子龍や宦官のように狭い世界で生きづらさを抱える存在と、僧侶という不羈の世界にいる存在を出しました」。
夏蝶や、出番は少ないが三日月の形の傷を持つ女将も強さを秘めていて魅力的だが、「女性がすごく強かったことも、私がこの時代を好きな理由です。この頃はまだ女性も馬に乗る時に跨っていたんですよ。唐のあと次第に纏足の時代に入り、女性は走れなくなるし、馬に乗る時も横座りするようになるので」とのこと。
こうした登場人物たちが各々の信念をもって、国が傾きかけた時に行動を起こす。国を乗っ取ろうとする者、立て直そうとする者、陰で操ろうとする者、糺そうとする者――。誰が正しく、誰が間違っているとは言いきれない。個々の立場によって正義は異なり、単純な善と悪の二項対立では説明できないのだ。そのなかで、人民のために行動するとはどういうことか、真の政治とは何か、権力とは何かを問いかけてくるのが本作だ。再び著者のコメントを引くと、本作で描きたかったのは「英雄」だという。「自分にとっての英雄とはなんだろうと考えた時、自分を大切にできる人だな、と思った」と。
作中、辺令誠はこう語る。
「英雄などと権力に一石を投じているようで、力の僕そのものだ。そして、美徳として語られる英雄への忠心や群れに対する自己犠牲が、群れと群れの衝突を起こす」
この言葉には、力で圧する英雄や、自己犠牲をともなう英雄的行為を否定する著者自身の思いもこめられている。では、描きたかったのはどのような「英雄」なのか。それは、真智が語っている。
「支配に対する一つの在り方として、独尊という言葉を考えます。(中略)私たちは独り尊い。私も尊い、あなたも尊い。その独尊たる者を、人は英雄と呼ぶのではないでしょうか」
これは現代社会を生きる自分たちにも投げかけられている言葉だろう。自分は自分にとって大事な存在だということを自覚する。その前段階があってこそ、人は権威に支配されず、惑わされず、自分の頭で考え、自分の意志で行動できるといえるのではないだろうか。
驚くことに、著者は独学で中国史を学んだという。幼い頃に酒見賢一の『後宮小説』を夢中で読み、そこから中華ファンタジーを読むようになり、学生時代には夏休みを利用して二か月ほど湖南大学に留学した。卒業後は劇団関連で演出か台本を書く仕事を希望していたが、就職氷河期でほとんど枠がなく、公務員となった。小説なら一人で演出も照明も役者もできると思い、小説教室に通い始める。そこでは中国の時代ものの他に現代小説も書いていたが、長篇としてはじめて書いた『震雷の人』でデビューを決めたというわけだ。
唐の時代には親近感を抱いているという。小学生時代にバブルを経験し、就職活動時には氷河期を迎えていた著者にとって、絶頂期からみるみるうちに転落した唐の情勢変化は、自分が生きてきた時代と重なるものがあったようだ。また、公務員時代には日本の行政機構の基本が唐の律令や制度を参考に作られていることから、「役職名や機構の仕組みが同じで、遠い気がしなくて」。
著者の第三作となる『火輪の翼』は〈安史の乱〉シリーズ最新刊で、この騒乱を終わらせようとする人々の姿が描かれているという。今度はどのようなドラマを見せてくれるのか、こちらも楽しみである。
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