〈「できることも、まだまだある!」もうすぐ104歳、石井哲代さんの元気の秘訣は、お喋り、脳トレ、食べること。〉から続く
3月20日、広島県世羅町の「せら文化センター」で、『103歳、名言だらけ。なーんちゃって』(小社刊)の著者である石井哲代さんと中国新聞のふたりの記者(木ノ元陽子さん・鈴中直美さん)による講演会「長う生きてきたからわかること」が開催されました(主催・世羅町、世羅町社会福祉協議会)。当日はあいにくの大雪でしたが、ファンの皆さんが大勢集まり、会場は熱気と笑いに包まれました。盛り上がった講演会の模様(後編)をお届けします。(前編を読む)
100点のラインを下げて、できたことを喜ぶ
――(木ノ元・鈴中) 哲代さんは、歳を重ねて、できなくなってきたことを受け止めながらも、周りの人たちの助けにすごく感謝されていますよね。ご近所の方や姪御さん、ヘルパーさんたち、 いろんな方の力をうまいことお借りして。
哲代 はい、ありがたいです。
―― 去年の秋ぐらいに3回目の入院をされて、その後、哲代さんのお家は隙間風だらけで寒いから、 冬の間だけ施設に越冬入所されて、先週またご自宅に戻られて。
哲代 それが残念なことに、家に帰ってみたらね、 友達が亡くなっとってんですよ。私より若い人が。お悔やみにあがったんですけどね。まだまだだったのに。
―― 哲代さんが入院をしてしまうと、私たちは「もう戻ってこれないんじゃないか」ってすごく心配をしていたんです。でも、お医者様が「2週間ぐらいで帰れたらいいね」とおっしゃったら、哲代さんはちゃんと2週間後に帰ってきました。今回も、この講演会の日にちが決まっていたから、それに合わせてまた施設から出てこられて。そしてまた一人暮らしをするという……。生きることへの強い覚悟のようなものを感じます。
哲代 そんなもんじゃないんです。ほんまにね、我ながらしぶといだけと思いよります。 でも、みんなの邪魔になっても、生きておりたいです。
―― とはいえ実際のところ、家の前の坂道を下りることも今はちょっと難しくなっていますけど、哲代さんはいつも私たちに、「100点のラインを自分から下げる」って教えてくれますよね。畑で大根を抜いたり、タッタッタ(シニアカー)を乗り回してたりしていたときが100点で、そのときから見たら50点になってしまったけど、100点のラインを下げて、今がまた100点だと思えばいいと。できたことを一生懸命喜んで、「 できた、できた」「上等、上等」っていつも口癖のようにおっしゃっていますよね。
哲代 そう言うてくれると、非常にきれいに聞こえますが。
―― ご自身のことを褒めるのがすごく上手ですよね。 よく「自分で自分の機嫌を取る」っておっしゃるんですけど、前は自分を叱ったりもしてましたけどね。最近、結構甘い……。
哲代 自分でも思いよるんです、ちょっと点が甘いって(笑)。もうちょっとちゃんとしなさいと思うんですが、できませんね。
―― 私たちもこういうふうに考えればいいんだなって、すごい参考になってますよ。
哲代 そうですか。そう言ってくれたら嬉しいです。
―― この間、「3年日記」をまた買ってましたよね。
哲代 まだ生きるつもり(笑)。104歳、105歳、106歳。紙がもったいないから全部埋めんといけんてね。いよいよ化けもんじゃね。まあまあ、これこれ、我ながらびっくらです。
―― 施設に入っておられるとき、ちゃんと日記つけてましたか?
哲代 空白かも。一人暮らし再開したから、また書きます。
―― 皆さんの前でお約束を。
哲代 ちっくしそれは無理でございます(笑)。なーんちゃって。えへへ。まあ、元気出しましょう。エイエイオー!
弱気の虫を退治する方法
―― 私たちが取材させてもらう中で、哲代さんからいろんな名言が飛び出すんですけど。
哲代 そうですか? 米にしんにょうのほうの「迷言」ではないですか?
―― 名前の「名」のほう。
哲代 わお~。
―― 私たちの心に残っているのは、「弱気の虫が出てきたら早めに退治するんだ」とか。哲代さんにも弱気なときがありますよね。雨が降ったりすると、ちょっと寂しくなっちゃったりとか。
哲代 これでも弱気。えへへ。
―― ちょっとわかりにくいですけどね(笑)。その弱気の虫の退治の仕方も色々教えてくれますよね。たとえば、独り言がすごく多い。大きな声で自分にいつも言い聞かせてらっしゃるんです。自分の背中を押すような感じなのかなと思うんですけど、「さあ、これからご飯をいただきますよ」とか「美味しいお茶入れましょうよ」とかね。
―― 自分を励まされているように感じます。歌もよく歌っておられますよね。すぐ替え歌にしちゃったり。
哲代 なんもかんもボロが出ますな。
―― 今日、一曲披露してみます? 哲代さんが作曲した「中野ソング」のサビの部分だけでも。
哲代 やってみようか。
(元気に歌い出すが、歌詞を忘れ、途中からチャラララ……で歌い切る)
哲代 失礼いたしました。
―― 無茶ぶりしてごめんなさい(笑)。チャララで歌い切るのはさすがでございます。
哲代 惜しいことしました。聞いてもらいたかったのに。
―― 哲代さん、最後に、いつも聞かせてくれるあの話をしてください。「物事っていうのは 表と裏があるから、悪いことが起きたときに、一方だけから見ちゃダメだよ。物事はいいほうから見ないと」っていつも教えてくれるじゃないですか。
哲代 そうですね、一生涯の中でね、いいほうに考えた方がね、 ずっと得ですけぇね。いいほうへ考えたほうがよろしいですね。もし、情けないことがあっても、ひっくり返してみたらいい面があるということはね、 これ真理でございます。100年生きたもんの真理でございますのでね、心配せずに 前を向いて生きましょうね。こうして100年生きてきたんでございます。だから、のんき、のんき!
―― のんきとはいえ、「自分を機嫌よくさせるのも、自分の折れた心を起こすのも自分しかいない」ってよくおっしゃっていますよね。「誰も起こしてくれないもんね」って。
哲代 そうですね、自分で自分の心をコントロールせにゃいけませんな。はい。 皆さんはそのようにされとる人ばっかりだと思います。拍手~!
(会場、大きな拍手)
―― 最後に一言、皆さんに。
哲代 とにかく前を向いて生きましょう。後を振り返ったところで何にもなりません。あーしまったと思ったところで後の祭りです。しもうたと思うたら、早くひっくり返していいほうに考えて、自分は100年生きてきたような気がするんです。ひとつ、元気でおやりくださいね。どうもありがとうございました。
石井哲代(いしい・てつよ)
1920年、広島県の府中市上下町生まれ。20歳で小学校教員になり、56歳で退職してからは畑仕事が生きがいに。近所の人からはいまも「先生」と呼ばれている。26歳で同じく教員の良英さんと結婚。子どもはおらず、2003年に夫が亡くなってからは親戚や近所の人に支えられながら一人暮らしをしている。100歳を超えても元気な姿が「中国新聞」やテレビなどで紹介されて話題になり、2023年1月に刊行した初めての著書『102歳、一人暮らし。哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方』がベストセラーに。
木ノ元陽子(きのもと・ようこ)
1970年、大阪府堺市生まれ。中国新聞社編集局次長。
鈴中直美(すずなか・なおみ)
1973年、広島県東広島市生まれ。中国新聞社報道センターくらしデスク。
103歳、名言だらけ。なーんちゃって
発売日:2024年03月21日
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