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生きていたら百歳――天上から聞こえてくる高峰秀子の言葉とため息

生きていたら百歳――天上から聞こえてくる高峰秀子の言葉とため息

斎藤 明美

『高峰秀子の引き出し』(斎藤 明美)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #随筆・エッセイ

『高峰秀子の引き出し』(斎藤 明美)

 生きていたら、高峰は百歳になる。

 それが今年、二〇二四年である。

 各方面にご協力をお願いしながら、片手にも足りない数のメンバーで会議をし、手紙を書き、メールを送り、挨拶に回り、打合せし、ポスターやチラシを作り……様々な記念事業を計画準備して、今年を迎えた。

 だが、しかしである。

 高峰は喜んでいない。それどころか、怒っていると思う。

 天上から下界を見下ろして、松山とこんな会話をしているのが私の耳元で聞こえる。

「善三さん、あの子はもともとそう出来がいい子ではなかったけど、やっぱりバカですね、こんなことをして」

「違うよ、秀さん。あの子はバカじゃないよ。ただ、秀さんのことが好きで好きでしょうがないんだよ」

「相変わらず甘ったれです、明美は」

「いいじゃないか、ああして一所懸命やってるんだから、やらせておやりよ」

「明美には他に一所懸命やらなきゃいけないことがあるはずです。ホントにしょうのない子……」

 そして高峰は深くため息をつく。

 恐ろしいことに、この仮想会話は99%当たっている。

 高峰が死んでも、私にはこういう時、彼女がどう言うか、こんな場面でどんな言葉を発するか、わかる。

「斎藤明美という人は私を理解してくれた」

 高峰が最後に書いてくれた拙著のあとがきにこの一文がある。私の勲章である。

 それほど理解しているはずなのに、高峰が良しとしないことを全力でやっている。

 なぜ高峰が怒っているのか、理由もよくわかっている。人様に迷惑をかけること、自分のために他人様の手を煩わせることを、高峰は何より嫌ったからだ。事実、そんなことを一度もしてこなかった人だ。

 私は松山家の番犬として、松山の言うことには逆らったことはあっても、鎖の端を握っている女主人にだけは絶対忠実だった。「お座り!」と言われれば嬉々として座り、「伏せ!」と言われれば喜んで伏せた。それが私の幸せだった。

 逆らったことは二度だけだ。一度目は高峰が私に折れてくれた。だが二度目の今回ばかりは無理だと思う。

 松山が私に言ったことがある、

「愛情というのは、相手が望むようにしてあげることだよ」

 その言葉にも逆らっている。

 だが私は、高峰秀子という一人の人間には、生誕一〇〇年を記念するだけの値打ちがあると信じている。逆らう理由はそれだけである。

 いつか自分が死ぬ間際に、そっと「高峰秀子」という引き出しを開けると、紙片が一枚入っているだろう。

「私の名も存在も、すべて無くなることを望んでいます。ただ煙のようになって消えていきたい」

 高峰が言うように、「しょうのない」ヤツだ、私は。

 令和六年二月  斎藤明美

文春文庫
高峰秀子の引き出し
斎藤明美

定価:847円(税込)発売日:2024年05月08日

電子書籍
高峰秀子の引き出し
斎藤明美

発売日:2024年05月08日

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