〈ある日突然、先輩グループに呼び出され…中江有里さんがいじめを受けた翌朝、中学校に登校できた理由とは〉から続く
本書『万葉と沙羅』の主人公・沙羅(さら)は、通信制高校で再会した幼なじみの万葉(まんよう)に、本という宝を探すコツを教えてもらい、さまざまな本について語り合うようになっていく。それぞれの読み方や視点の違いを知ることで、より一層、読書の楽しさや奥深さを発見できる。本書では、読書家として知られる中江さんが実際に読んで心を動かされ、中学生や高校生に太鼓判としておすすめしたい名著25冊が登場する。(全3回の3回目/1回目を読む)
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16歳のときに出会った、遠藤周作の小説
この小説で取り上げている25冊の名著は、大人になってから読んだ本もあるし、子ども時代から愛読している本などいろいろ入っていて、中高生に読みやすいんじゃないかな、と思う太鼓判の本ばかりです。たとえば、マリー・ホール・エッツの『わたしとあそんで』も実際に小さいときに読んでいた絵本です。本当に、大好きだった。
私がちょうど沙羅と同じ年齢の16歳のときに読んだのが、遠藤周作の『砂の城』。この本の主人公も16歳の女の子なんです。(手元の本を見せながら)当時買った本がこれなんですけどね。奥付が昭和63年3月15日19刷です! でも、これが見つからなくて買ってしまった同じ本がわが家に何冊もあるんです、ふふふ。(愛おしそうに)色が褪せてこんなに茶色くなっちゃってる。ボロッとしてるでしょう?
この本を買ったとき、自分は背伸びしていたとは思いますけどね。高校1年生で単身東京に出てきてまだ友だちもいなくて新しい生活に馴染めないときに、本を読むことだけが余暇を過ごす楽しみでした。でも、学生の自分にはお金がない(笑)。(本の価格を見ながら)文庫が当時360円とかだったのは、今考えてみると、ほんと安い!
タイトルの『砂の城』って何だろう?って惹かれて、それまで遠藤周作の本を一度も読んだことがないのに、買ったんです。最初、理解できなかったらどうしよう、と読み始めたんですけど……笑。
『砂の城』では、16歳の主人公・泰子がだんだん大人になっていく過程が描かれます。冒頭が「十六歳の誕生日を早良泰子(さがらやすこ)は一生、忘れることはできないだろう」から始まるんですけど、私がそのとき16歳だったから、自分と同じ年だ!と思ったので、読むことができたんだと思います。
けっこうシビアな話なんですけど、よくあのとき読めたな、と。でも、本を読むきっかけって、そういうちょっとした共通項なんですよね。主人公と私では、生きている時代や立場も違うけど、同じ16歳。それだけで、この本の世界に没頭できた。
主人公・泰子のお母さんは早くに亡くなっているのですが、そのお母さんが、「16歳になったら娘にこの手紙を読ませてくれ」と、手紙を遺していくんですよ。そこにこう書かれています。自分にはかつて好きだった男の人がいて、その人は兵隊として戦地へ行く前に、「負けちゃ駄目だよ。うつくしいものは必ず消えないんだから」とお母さんに言って、その人は去っていく。
この兵隊さんのセリフが、ものすごく胸に響いたんですね。なぜかというと、当時の私は仕事を始めたばかりで、オーディションで落ち続けて撃沈してたんです。自分のどこがだめなのか? どうしたらいいのか? ということが皆目わからない。こたえが見つからない堂々めぐりの中で、この世界で通用しない自分はだめなんじゃないかな、と行く先が見えなくなっていました。事務所の人にも、「この子、期待はずれだった」と思われていたかも。「今の自分はもうだめなんだ」と自分で自分を否定し、どうにもならないときに、その言葉をかけられたような気がしました。
要するに、「うつくしいもの」――心の芯にある純粋な気持ちと私は捉えて、そういう気持ちは消えないんだよって、その兵隊さんに言ってもらった気がしたんですよ。だから、もうちょっと頑張ってみようって思えた。本の中のセリフが自分の中にこんなに大きく響いたことはそれまでなかったですね。このセリフが当時の自分を支えてくれたんです。
自分に合う本を探すコツとは?
現実の自分とは違うシチュエーションで出てくるセリフだけど、どう受け止めるかっていう解釈の仕方は読み手の自由。そこが読書の良いところです。どんなふうに受け止めたって全然問題はないんですよ。だって、実際にその言葉が自分を支えてくれた事は確かなのだから。創作の世界の言葉が、自分に響くこともあります。
そういうことがあって、この本は私にとって大事な一冊になりました。当時、苦しんでいたから、よけいに心にしみたっていうこともあります。高1で大阪から東京へ出てきてホームシックにもなっていたし、仕事がうまくいかないとか、学校も転校したばかりでなじめていないわけだし、そういう状況で、もうだめだと追い詰められたときだったから。大人になってから思うけど、本当にそういうつらいときだからこそ、本って心にしみるんだな、と感じています。心にたくさん傷があったり穴があったりする方が、言葉ってちゃんと引っ掛かってくれる。人生って、悩みとかストレスがないときってないんです。何も悩みのない状態に皆あこがれるけど、悩みやストレスはきっと永遠にあり続けます。
『万葉と沙羅』では、古本屋でバイトする万葉くんが読書が苦手な沙羅ちゃんに本を選ぶコツを教えてたりしますけど、自分に合う本を探すっていうのは、それってある意味「勘」なんですよね。その本のイラストがいいなぁでも良いと思うし、全体的な雰囲気、帯の文句とか、なんでもいいんです。自分が引っ掛かるものがあるっていうのがたぶん大事で。普段からアンテナを張ってないと、なかなか引っ掛かんないんですよね。だから、「なにか読もう」と思って選ぶというところから、まさに読書は始まっています。読書ってすごく能動的なものなんです。受け取るばっかりではなくて、自分から入っていかないとあまりキャッチ出来ないんです。で、キャッチする所はたぶん読む人によってそれぞれ違っている。みんな一人一人違うわけだから、たとえ同じ本を読んでも響くところが違って当たり前で、正解も間違いも何もないんですよ。それぞれ感じたことが、全部正しいんです。
悩みやストレスで困ったとき、中高生に伝えたいこと
悩みがあるのは、生きていれば当たり前のことです。いままわりにいる大人たち――お父さんもお母さんもみんな中高生のとき同じように悩んでいたから。悩んでいたけど、みんな大人になってる。そして、たぶん大人になってまた別の悩みを抱えるようになる。ただ、その乗り越え方とか発散の仕方を覚えるだけ。
自分を鼓舞したり機嫌を良くするっていう事は、誰かにしてもらうんじゃなくて、最終的に自分にしかできないんですよね。それが出来て、誰が得するって自分が得しますよ。自分の機嫌の取り方は、自分が一番良く分かりますよね。
そのためには、手段はたくさん使った方がいいです。自分のまわりにいる人たちの存在は大きい。でも、そういう人間関係って、相手を自分で選べないし、出会いには運不運もありますから、いい人に恵まれない状況のときでも、本だけは選べます。本当に出会いたい本を自分から探しにいくことができる。そしてそれは、自分にとって大きなプラスになっていきます。
『万葉と沙羅』では、私自身がこれまで偶然選んだ本もあるし、「あ、これ読んでみたい」と思って選んだ本もたくさん入っているんですけれども、こういった本もあるよという参考にしてもらえたら嬉しいな。芹沢光治良の『緑の校庭』や宮沢賢治『銀河鉄道の夜』、山田詠美『ぼくは勉強ができない』など、おすすめの本ばかりです。
沙羅も万葉も、苦しいところを乗り越えようとしている。悩みのない人なんていない。でも、苦しいとかつらいって、あきらめずに生きている証拠なんです。あきらめてたら、そんなこと感じないから。
実は、まわり道は一番近いのだ。
私自身がいろんなことでまわり道をしてきたと思っています。高校をたくさん通ったこともそうだし、その他にも、人生そのものがまわり道をしているって。後から考えると、もっとこっちからこういけば良かったのに、全然そういうふうに来られなかったなぁってことばかりで。でも、歩んできた道のようにしか来られなかったんだよねっていう、そういう自分も分かるんです。この生き方しかできなかった。
でもまぁ、最終的にはまわり道するっていうことが、自分の生き方そのものなんですよね。小説を書くこともそうですけれども、書き始めるときにスタートからゴールまで一番合理的にまっすぐ行った話が面白いのかっていったら、ちっとも面白くないだろうなって思う。だから、A地点からB地点、B地点からC地点に行くときに、いかにまわり道をしてどのようにしてそこにたどり着くか、ということを考えます。
読書で一番大事だと思うもの――私が読みたいものは、「過程」なんです。もちろん人生も本も結末にたどり着くのは大変なことだけれども、「過程」の中で自分がいかに成長していくか、何を身に着けていくか、ということが、実は生きるってことの醍醐味だと思っているから。それは小説を書くことも全く同じだし、あと、まわり道してきたから、いろんな景色を見てこられたんですよ、ほんとに。
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