- 2024.11.07
- 読書オンライン
「一見すると、よさそうな施設でしたよね」しかし…評判がよくない老人ホームに潜入取材、同行したケアマネだけが“気がついたこと”とは
甚野 博則
『実録ルポ 介護の裏』より#3
〈「認知症だから大丈夫」と骨折を放置…ベテラン介護士が目撃した、老人ホームで行われる“衝撃的な虐待行為”〉から続く
「将来は施設に入ってゆっくり暮らしたい」自身の老後について、漠然とそう考えている人は少なくないだろう。しかし、少ない年金受給額による費用の問題もさることながら、老人ホーム職員による利用者への虐待という問題も顕在化してきている。
ノンフィクションライターの甚野博則さんは自身の母親の介護をきっかけに、制度について一から調べ、全国の現場を訪ね歩いた。ここでは「介護業界のリアル」をまとめた『実録ルポ 介護の裏』(文春新書)を一部抜粋して紹介する。
甚野さんが“潜入取材”により目の当たりにした「評判がよくない老人ホーム」の実態とは――。(全4回の3回目/最初から読む)
実際に老人ホームに“潜入取材”
取材を続けていくなかで、実際にある「住宅型有料老人ホーム」に“潜入取材”を行う機会を得ることになる。そこからは消極的介護の実態が見えてきたのだった――。
〈ここに入居している高齢者の生活を見ていると、人間扱いされていない感じがする〉
2022年の夏、一通のメールが週刊文春編集部に届いた。送り主は関西でケアマネとして働く山田敏子さん(仮名)だ。山田さんが仕事で月に一度訪問している有料老人ホームに関する情報提供だった。その施設が、利用者を〈人間扱い〉していないように感じているというのだ。一体どういうことなのか。
彼女とは何度かメールや電話でやり取りをすることになった。安い入居費用で365日、デイサービスを行っていると謳う老人ホームが、実際にはまともな介護をしていないといい、これが介護施設といえるのかと疑問に思っているとのことだった。
そんな彼女が疑問視する施設は、地元の株式会社が運営しており、利益優先主義の経営者のもと、人手不足の状態が続いているという。現役のケアマネが問題視する施設とは、一体どんなところなのか。そんな疑問を抱きながら、京都駅から30分ほど在来線に揺られて小さな駅に着いたのが同年9月のこと。駅前で山田さんと待ち合わせをし、詳しく話を聞くことになった。
山田さんの年齢は40代前半。もともと大学で福祉を学んでおり、そのまま介護業界に入ったという。結婚後、一時期は介護の仕事を離れて海外で暮らしたこともあったが、帰国後は再び介護の職に就いた。現在はケアマネジャーとして働いている。
話をするなかで、山田さんからこんな提案があった。
「うまく言葉で説明できないので、今から施設の様子を一緒に見学しませんか?」
彼女の話によれば、同じ会社が経営する介護施設が近隣の市に10か所以上あるという。地元では知らない人がいないほど手広く介護事業を展開しているが、どの老人ホームも介護関係者には“評判がよくない施設”として知られているそうだ。10か所以上ある施設のうち、彼女の顔が知られていない施設があるというので、そこに2人で“潜入取材”を試みることになったのだった。
「施設を見てみたいと電話すれば、たいていは中を見学させてくれるはずです」
午後1時過ぎ、私は山田さんが運転する車の中から「15分後に少し中を見学させてもらえませんか」と施設に直接電話を入れてみた。すると電話口の女性は、「今からですか」と少々驚いた様子だったが、「大丈夫です。お待ちしています」と明るく答えてくれた。
異様に静かなホール
目的の介護施設は、大きな畑の真横にあった。田園地帯にポツンと建つ殺風景な施設だった。建物の壁には大きく「住宅型有料老人ホーム」と書かれているが、いかにも安普請の2階建てアパートといった印象だ。広々とした駐車場に車を停めて、早速、入り口にいた女性職員に声をかけた。すると、電話での説明とは違い、対応した職員は「今、コロナの関係で、中まではお見せできないんですよ」と話すのだ。
「そうですか。でも先ほど電話で見学の約束をしたうえで、ここへ来たのですが……。この辺りの老人ホームを、いろいろと見学しようと思っていまして」
そう返すと、女性職員は「ちょっと待ってくださいね」と建物の奥へと消えた。暫くすると女性の責任者が現れて、「今日は特別に、中も見学していいですよ」と言った。一体、何が特別なのか。その説明はなかったが、私たち2人は案内役の別の女性職員に連れられて、いよいよ施設の中に入れてもらえることになったのだ。
ちなみに、この施設の職員には名字を聞かれた以外、見学の目的などは一切聞かれることはなかった。
「まずは、2階のお部屋からご案内します」
そう女性職員に促され、なぜか正面玄関ではなく、建物の裏手に回るよう言われた。人とすれ違えないほどの細道を歩かされると、案内されたのは職員用の小さな通用口だ。入り口でスリッパに履き替え、すぐ横にあるエレベーターに乗り2階へ上がった。
エレベーターを降りると、中央に幅2メートル程の直線廊下があった。その両脇には利用者が暮らす約30の居室が並ぶ。居室のドアは引き戸だが、全ての戸が全開になったままで部屋の中が丸見えだ。室内に人は誰もいなかった。
「部屋の中、ちょっと見てもいいですか?」
そう職員に聞いてみると、「どうぞ」と答えた。目の前の居室の中を覗いてみると、8畳ほどの部屋にシングルサイズの介護用ベッドと、小さなタンスが一つ。床に直置きされた大きな遺影がタンスに立てかけられていた。この部屋に住む女性の夫なのだろう。遺影の老紳士が微笑んでいたのが印象的だった。
他の居室も順番に覗いて歩くと、小さな仏壇がある部屋や、衣類が散らかっている部屋など、生活感が漂っている。
見学中、山田さんは女性職員にこうたずねた。
「お昼ご飯はもう終わったんですか?」
女性職員が「そうですね」と頷くと、山田さんは続けた。
「誰も居室にいらっしゃらないですけど、お昼ご飯が終わって、入居者のみなさんは今、何をされているのですか?」
一瞬、間があいて、女性職員はこう説明した。
「今日はみなさん1階で寛いでいらっしゃると思いますよ。全員、2階にいないっていう日は珍しいんですけどね……」
今日は特別な日であるかのような口ぶりだ。なぜ今日に限って入居者が誰一人部屋にいないのかの説明はなかった。
続いて私たちはエレベーターで1階へと移動した。
「あそこで、みなさん食事なども召し上がっています」
職員が廊下の先を指さすと、奥に食堂兼ホールが見えた。正面玄関を入ってすぐの場所に位置する。最初に私たちが職員に話しかけた場所だ。ホールにはたくさんのお年寄りが座っているが、みんな異様に静かで無表情だった。昼食を終えて、うつむいている人、遠くをじっと見ている人ばかり。身体や手足を動かしている人が誰一人いないことに違和感を覚えた。すると職員が、「コロナの関係もありますし、今日の見学はここまでに」と言い、山田さんと私がホールに近づく間もなく、再び裏口へと誘導された。
最後に女性職員は、こう言いながら施設のパンフレットと名刺を差し出した。
「今は満室ですので、もし入居をご希望される場合は、早めにご検討いただいた方がよいと思います」
「まるで養鶏場のニワトリ」
施設を後にして車内に戻ると、山田さんは開口一番こう言った。
「一見すると、よさそうな施設でしたよね」
確かに、女性職員の愛想もよく、悪い印象は持たなかった。ところがこの後、山田さんはこう続けたのだ。
「正面玄関ではなく、私たちを裏口から入れたのは、ホールでの様子を見せないためですよ。施錠されたホールにお年寄りを閉じ込めて、一日中何もせずただボーッと過ごさせているんです」
言われてみれば、そう見える。身体や手足が動いていないのは、寛いでいるからではなかったのだ。通常、デイサービスでは、体操やクイズ、手芸や工作など、さまざまなレクリエーションを行うはずだ。
「利用者さんたちは、リハビリやレクをするわけでもありません。毎日、朝8時から夕方6時まで一人残らずホールに集められます。職員が話しかける様子もほぼ無かったですよね。それでもデイサービスを利用したことになっているんです」(山田さん)
こうした対応は、この会社だけのことなのだろうか。別の介護施設管理者が、次のように説明する。
「介護の効率化を重視するあまり、利用者を一か所で集中管理する施設があるとの話はよく聞きます。人手不足なのでしょう。見守りはしているわけですし、交代で入浴介助も行う。最低限のことをしていれば、デイサービスを利用したことになり、介護保険を請求できますからね」
山田さんが話を続ける。
「2階の居室のドアが全部開いていましたよね。勝手に部屋の中に私たち見学者を入れてくれましたけど、普通はありえません。居室は入居者個人のプライベートな空間です。この施設では、入居者の方たちのプライバシーも守られていないのでしょう。また、この会社の系列は、壁に何も貼られていない殺風景な施設が多いんです。職員さんが積極的に催しを提案していれば、廊下の壁にイベントごとの記念写真や壁新聞、制作物などが、賑やかに貼り出されているものです」
ケアマネとして気づいた点を次々と挙げながら、彼女は一言、こう呟いた。
「まるで養鶏場のニワトリの様です」
もらったばかりのパンフレットを開くと、月額基本料が11万円だと書かれている。室料、食事、おやつ、服薬管理などが含まれた価格だという。身元引受人や保証人もいらず、入居前の健康診断も不要だと書かれていた。
「この辺りの住宅型の老人ホームの相場が20万円前後ですから、それに比べたら確かに安いです。安普請の建物を次々に建て、利用者を集める。しかし介護スタッフが足りないため、どの系列施設も利用者を一括で管理するような介護を行っているのです」
パンフレットを改めて眺めると、こう書かれている。
〈独りになっても一人じゃない〉
〈長生きを心から喜べる社会を創造する〉
人手不足という施設の都合で、利用者をほとんど飼い殺しにしている「消極的介護」。これが虐待にあたるかは意見が分かれるかもしれない。ただ一つ言えるのは、利用者一人ひとりの人生や個性を無視した、“介護”とは名ばかりの介護施設が存在しているということだ。
山田さんが続ける。
「私の担当する女性の利用者さんは、前任のケアマネからこの会社の施設を勧められました。若いケアマネで経験も少なく、想像力が働かなかったのでしょう。その利用者さんには軽い認知症がありますが、月に一度施設に伺ってお話をし、私が帰る頃になると毎回、『私も一緒に帰れる?』と聞いてくるんです。ある時は、荷物を鞄に詰めて職員にバスの時間を尋ねたこともあったそうです。きっと、この施設での暮らしが嫌なんです。でも部屋には鍵がかかり、外には出られません。彼女から『今日は帰れる?』と聞かれる度、胸が締め付けられる思いがします」
山田さんは、この利用者の経済状況が許せば今後、別の会社の施設に入ることを勧めようと思うと語った。
経営の効率化や介護スタッフの人手不足は、この施設のように、利用者の生きがいを蔑ろにすることにも繋がる。だが、残念なことに、介護職の人手不足が解消される見込みはない。厚労省は、2025年度に全国の介護職が約32万人も不足すると推計している。2040年度には、約69万人の介護職が不足するといい、この数字だけを見れば介護現場は既に崩壊しているといえるだろう。
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