- 2024.06.03
- 読書オンライン
華やかで優しい「宮廷もの」と思いきや……読者の予測を裏切る、衝撃のアニメ原作
東 えりか
『烏に単は似合わない』(阿部 智里)
出典 : #文春オンライン
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
累計200万部を突破した大人気和風ファンタジー「八咫烏シリーズ」。NHK総合で毎週土曜日に放送中のアニメ『烏は主を選ばない』の原作小説として、現在注目を浴びている。アニメの放送と原作小説のヒットを記念して、「八咫烏シリーズ」の第1作『烏に単は似合わない』(文春文庫)の解説を全文公開する。
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「大人」のイメージが強かった賞を、20歳で射止めた
まず、読者のみなさんにお断りしておかなくてはならない。この小説は途中からあなたを思いもしない世界へ導いていく。タイトルと装丁から想像していた異世界ファンタジーは、ある時点でがらりと色と姿を変える。
もし、あなたが花とゆめと豪華絢爛な世界で起こる美しくも悲しい物語を望んでいたら、読み終わった後に少々肩すかしを喰らったような気がするかもしれない。
反対に、ファンタジーなんぞに全く興味がないけれど、帯に書かれた謎解きに興味を持った硬派のミステリー好きなら、最後の1ページを読み終えた後、手を打って喜ぶだろう。
そうなのだ。この物語ほど、最初に頭に描いた世界観と読み終わったときの印象が違う作品も少ないのではないか。
そしてこの驚愕の小説を書き上げたのが弱冠20歳の女子大生であったことにもう一度驚いてもらいたい。すれっからしの本読みで、どんな本でも、もうあまり驚かなくなった書評家の私が一発でファンになってしまった作家、阿部智里のデビュー作である。
本書は2012年の第19回松本清張賞受賞作である。偉大な小説家の名前を冠に頂いた文学新人賞の場合、その作家が名を馳せた分野の小説が受賞することが多い。当然、松本清張という名にふさわしい、ミステリーや歴史小説で受賞し、超人気作家になった人たちが勢ぞろいである。『半落ち』『64』の横山秀夫、時代小説の第一線を走る岩井三四二、葉室麟、梶よう子、『利休にたずねよ』で直木賞を受賞したが、惜しくも若くして亡くなった山本兼一など、大人の新人賞というイメージが強かった。
だが阿部智里はなんと20歳でこの大きな賞を射止めた。勝因は彼女の持つスケール感の大きさであったと私は確信している。
華やかな「后選び」のはずが、物語の中盤で一転する
舞台は八咫烏(やたがらす)が支配する世界。金烏(きんう)と呼ばれる宗家の長が支配している。宗家の下には宮烏で構成されている東西南北の四つの家があり、それぞれの役割が分担されている。人々は普段は人の姿をしているが、一朝、事が起こり何か飛び立つ必要性がある時は烏に姿を変えることができる。しかし貴族階級である宮烏では、鳥形(ちょうけい)となることははしたない事とされている。
宮烏以外は山烏と称され、家来や下男、最下級になると鳥形のままで〝馬〟と呼ばれる荷役などを担う。
八咫烏と言っても普通の人にはイメージも湧かないだろう。山本殖生『熊野八咫烏』(原書房)という世界各国の八咫烏に相当する架空の生き物を研究した本によると、古代の中国から瑞鳥とされた三本足の大烏のことを指す。太陽の中にあり、天界思想や人類創生にもかかわり、その霊性は宇宙の秩序付けや神仙思想にもつながる深遠な存在だそうだ。日本では神武天皇東征の折、熊野の険しい山の中、先導したのが八咫烏であったと日本書紀に記されているという。そのことから熊野の神使は八咫烏になったそうだ。
身近なものでは日本サッカー協会のマークが八咫烏をデザインしたものだ。神武天皇の故事にならい、ここから光が輝いて四方八方を照らし、ボールを押えている姿は、サッカーを統制・指導し、ただしく発達させ、栄光を世界に輝かせることを意味している。
閑話休題。
この物語の発端は、宗家の若宮の后選びが本決まりになったことだった。有力貴族である東家、西家、南家、北家から姫が一人ずつ選出され宮廷の桜花宮へ登殿の運びとなった。后に選ばれ、次の若宮を産めばお家は安泰、姫自身も赤烏と呼ばれる皇后となってこの国に君臨することができる。そのため、各家では幼いころからお妃教育を施した選りすぐりの姫を立て、優れた女房を付けて桜花宮へ送り込むのだ。
語り手である東家の二の姫は、疱瘡を患ってしまった姉、双葉の代わりに急きょ登殿が決まった。子供のころから病弱で人と交わったことのない二の姫は、幼く常識知らずで、人の雰囲気を読めないため、他の姫たちから笑われるばかり。仮名がないのをいいことに、今上陛下の妻、大紫の御前から「あせび」という麗しくない名前をくだされるが、それすらありがたいと言う始末である。
物語は、選ばれた姫たちの性格の違いによる諍いや恋のさや当て、各家の勢力争いを絢爛豪華に描いていく。ファンタジーとはいえ、人に似せ人の暮らしを模した世界では、現代でもあるような、権謀術数渦巻く陰謀が張り巡らされているが、そこは女だけの宮廷。艶やかで優しい雰囲気の物語が続く。
しかし中盤から、それが突如として変わり始める。一つの失踪事件と死が、まるで晴天の空が俄かに掻き曇るように、あれよあれよという間に世界が逆転する。読み始めの甘い味がいつか金臭いものとなり、読後にはほろ苦さが残っている。必ず冒頭に戻って読み返したくなるだろう。
新人賞作家がサバイブするのは大変だけれど……
作者は若いながら、かなりの読書歴を持つだろうと推測される。この回の選考に携わった選考委員の作家もそこは見逃さない。
石田衣良はこう評価する。
この作品にはライトノベルの枠組みを超えるスケール感と細部の異常なまでの想像力があった。この異世界創生能力に、ある種の哲学性が加わったら、鬼に金棒だろう。
また小池真理子は、表現力の拙さを指摘しつつその文才を褒める。
時代を超えて普遍的な「女」の本質をまるごと描いてみせている。物語を楽しもうとする読み手を飽きさせない。(中略)読み手の五感に訴える文体が早くもできあがっているからだろう。
残念ながら選考委員全員が諸手をあげての賛成、という結果ではなかったようだが、松本清張賞という性格や色合いから考えて、それは当然のことであったと思う。ライトノベルとかヤングアダルトと呼ばれる青少年向けの小説の隆盛は長く続いていて、今はその垣根は非常に低くなっている。剣や魔法が登場する異世界ものであっても、その奥行や広がりを描ける想像力に多くの本好きは惹かれるのだ。
石田衣良が選評冒頭で述べたように、出版界も、文学賞も、小説も変わらなければならないと多くの人が思っている中で、阿部智里という若い作家があらわれたことは僥倖であったのではないだろうか。
受賞直後のエッセイで、阿部はこう書いている。4歳かそこらの時、虹を食べたと母に語り、突然降りだした雨に困って、大きなキノコに雨宿りしたそうだ。妖精をあっちこっちに見つけ、風の神さまを木の上に見つけたそうだ。そんな物語を母親は書き留めていたらしい。嘘つきとなじるか、想像力が豊かだと将来を楽しみにするか、親の資質が問われるところだが、さすが阿部智里を生んだご両親は天晴れである。
この二人の元で、彼女は十数年前から作家を目指していたと授賞式で高らかに宣言した。大言壮語といわば言え、私はその心意気にいたく感動したのだ。もちろん、作品を読んだうえでのことである。
新人を判断するうえで難しいのは、受賞作だけしかない場合だ。いかにその作品が優れていようと、世の中には〝まぐれ〟が厳然と存在している。年間200人とも言われる新人賞受賞作家で5年後に生き残っている率は、大沢在昌『小説講座 売れる作家の全技術~デビューだけで満足してはいけない』(角川書店)によるとひとりかふたり。多くが受賞作だけで消えていく。「この作品しか書けないのではないか」阿部智里への心配はその一点であった。
その心配は一年後に払拭された。それも私の期待を大きく上回る形で。八咫烏のこの世界をさらに大きく広げた『烏は主を選ばない』を上梓したのである。
ここで多くを語ることはできないが、時間軸は『烏に単は似合わない』とまったく同じである。なかなか桜花宮に姿を現さない若宮は、果たして何をやっていたのか。東西南北、四家それぞれが企んでいたこととは何だったのかを描き出している。
若宮のお付のものの失敗が、すでにデビュー作にも取り入れられており、大きな物語として、すでに構想の中に練り込まれていたのには驚かされた。桜花宮の物語が上級の本格ミステリーなら、2作目は固い筆致で進められた、さながらハードボイルド小説のようである。
この夏には3作目がすでに用意されていると聞く。この2年の間に醸された八咫烏世界の群像劇は、果たしてどんな姿に変貌しているのだろう。若き才能がひゅんひゅんと若竹のように伸びていく様子を、みんなで暖かく見守っていこうではないか。
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※こちらは2014年に刊行された『烏に単は似合わない』(文春文庫)の解説の転載です。2024年5月現在、「八咫烏シリーズ」は12巻(うち2巻は外伝)まで発売中。
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