注目の話題作『ある晴れた夏の朝』が、文庫で刊行されました。2018年に単行本が刊行されてから累計10万部を突破した話題の本書は、ヒロシマとナガサキの原爆投下について、アメリカの高校生8人が2チームに分かれ、公衆の前で白熱したディベートを繰り広げる様子を綴った青春小説です。来年戦後80年を迎える今、日本に住む私たちが考え続けていきたい原爆投下。長年アメリカに住む著者の小手鞠るいさんから日本の皆さんへ、刊行に寄せて特別メッセージが届きました。あなたは、原爆投下についてどのように考えますか?
ロックの聖地・ウッドストックで書いた「原爆と平和」
かれこれ30年以上、アメリカで暮らしています。マンハッタンから車で北上すること2時間半あまり、ロックの聖地として知られるニューヨーク州ウッドストックという村です。1969年の夏、全米から40万人以上の人たち(その多くは若者)が結集して開かれた音楽とアートのイベントをご存じの方も多いことでしょう。この祭典は大きなムーブメントを巻き起こして、ヴェトナム戦争の終結にも少なからず影響を与えました。ウッドストックは「平和」の代名詞でもあります。ウッドストックの郊外にある森の中で、私は暮らしています。野生動物と人間が共存している、いたって平和な森です。
アメリカでは、原爆投下をどう捉えているのか?
ある日、日本の編集者から執筆依頼が舞い込んできました。「原爆について書いてください」。原爆といえば、日本人にとっては、憎んでも憎み足りない極悪非道な兵器に他なりません。日本は世界で唯一の被爆国。今後、二度と、このような悲劇が繰り返されませんように、みんなで平和を祈りましょう。毎年、8月になると、このような声が日本全国から上がります。「アメリカでは、どうなんでしょうか。広島と長崎への原爆投下を、アメリカ人はどのようにとらえているのか。アメリカ側から書かれた原爆の本は、日本ではまだ出ていないように思います」──。
書きたいと思いました。これは、私が書かなくてはならない作品である、と。なぜなら、アメリカ(正確に書くと、私が「これがアメリカだ」と思っているアメリカ)では、原爆そのものを悪しき兵器であると考える人は大勢いても、原爆投下を「あれは間違っていた」と考える人は、ほとんどいないのではないか、それどころか、アメリカ人の多くは「原爆を落としたことによって、やっとのことで、われわれは、当時の日本の暴走を止めることができた。原爆投下によって救われたアメリカ兵と日本人は多数いたはずだ」と考えているのではないか、と、在米30年を経て、さまざまなアメリカ人の意見を聞く機会にも恵まれてきた私には、そう思えていたから。あくまでも「私には」ということですけれど。
アメリカで暮らす日本人だからこその視点
書きながら、常に葛藤していました。「アメリカの高校生たちが原爆投下の是非を議論する。原爆投下を肯定する立場から意見を述べる生徒も登場する」──こんな作品を書いたら、日本国内で激しい非難を浴びるだろうな、と。それでも、書かずにはいられなかったのです。世界最大の軍事国家・アメリカで暮らす日本人の私だからこそ、書けることがあるはずだ、と。日本は世界で唯一の被爆国。だから平和を祈りましょう、という決まり切った論調に、毎年の夏、違和感を覚えているのは、アメリカ在住の私だけではないはずだ、とも思っていました。広島と長崎には、なぜ、原爆が落とされたのか。落とされるまでに、日本軍は、どこで、どんな戦争をやっていたのか。もしも原爆が落とされなかったら、南からはアメリカ軍が上陸し、北からはソ連に攻められて、一億総玉砕が決行されていたかもしれないわけです。そういうことを含めて原爆投下を考えてこそ「日本は世界で唯一の被爆国。平和を祈りましょう」が生きてくるのではないでしょうか。
書き上げたときには、すっかり覚悟が決まっていました。腹をくくりました、と書くべきかもしれません。どんなに激しい非難を浴びたとしても、私は後悔しないだろう、とも思っていました。事実、後悔はしなくて済みました。むしろこの作品は私に、大いなる自信を与えてくれました。このあたりの経緯については、文春文庫の「あとがき」に詳しく書き綴りましたので、ぜひそちらをお読みください。
近所を散歩中に見かけるウッドストックの風景
私の暮らしているウッドストックでは、アメリカが戦争を始めると、必ず、反戦運動家たちが集まって「平和的な反戦活動」を実践します。幼い子どもからお年寄りまでが広場に集まって「平和のドラム(太鼓)」を打ち鳴らす──というような素朴なイベントが中心ですが、みんなでそれを楽しんでいる、という風でもあります。その一方で、近所を散歩していると「我が家には、ヴェトナム戦争で捕虜になり、まだ帰還できていない息子がいます」というようなメッセージをこめた旗が、庭に立っているのを目にすることもあります。
アメリカは、軍隊や軍人をとても身近に感じる国です。軍人は「国に奉仕する」りっぱな職業として成り立っていますし、人々から尊敬もされています。アメリカで国内線に乗るとき、最初に搭乗するのは軍人です。戦争に反対するアメリカ人はいても、軍隊と軍人を否定する人はいません(私の目には、そう映っています)。そういうアメリカから、私は戦争に反対する一移民として、この作品を書きました。日本人の考える平和と、アメリカ人の考える平和のあいだには、微妙な、あるいは大きな温度差のようなものがあるようにも、感じています。言ってしまえば、日本では平和は祈るもの。アメリカでは行動して勝ち取るもの。そのような違いも、本書から感じ取っていただけたらうれしいです。
最後になりましたが、本書の英文版(“On A Bright Summer Morning” 偕成社刊)を読んでくれたアメリカ人の感想をご紹介しておきます。一アメリカ人の声を聞いてみてください。
It was a fantastic read. I learned many things I didn't know about the bomb. I've always found that I waffle back and forth in a debate that is well prepared. It's hard to make a decision today about something that happened years ago, because you can't replicate conditions, but the arguments in this story seem to hold water - on both sides. What a thought provoking, well written story!"
感動的な一冊でした。原爆について私が知らなかったことをたくさん教えられました。きっちり予習ずみの討論を聞いたことはありますが、いつも自分の意見が行ったり来たりして定まらなかったのを自覚していました。ずっと昔に起きたことについて、現在の目で是非を判断するのは難しいことです。当時の状況を再現することはできませんから。けれど、この作品の中で行われるディベートは、アメリカと日本、どちらの立場の意見も説得力があったと思います。すごく考えを深めさせてくれた、素晴らしい小説でした!(翻訳・文春文庫編集部)
(2024年6月)
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