- 2024.09.13
- 読書オンライン
「帝国ホテルは3つそれぞれに個性が違って、東京は…」角田光代×帝国ホテル東京総支配人・八島和彦対談
IMPERIAL編集部
『あなたを待ついくつもの部屋』 (角田光代 著)
帝国ホテル発行の会報誌「IMPERIAL」で11年間にわたって連載した、角田光代氏の掌編小説集『あなたを待ついくつもの部屋』がついに刊行されました。
収められた42編のショートショートは、幻想的な夢の世界を描くものもあれば、現実の夫婦を描いたものもあり、また過去と現在を行き来して語るものも。5ページ弱の紙幅ながら、どれを読んでも心揺さぶられる珠玉の短編集です。
連載完結を記念して行われた、帝国ホテル東京総支配人・八島和彦氏との対談を転載します。(初出・IMPERIAL123号)
インペリアル編集部◎構成
三宅史郎◎写真
◆ ◆ ◆
八島 足かけ11年の長きにわたりご連載いただき、御礼申し上げます。お客さまだけでなく、私どもスタッフも毎回楽しみにしておりました。ありがとうございました。
角田 こちらこそありがとうございました。今日は新しく東京総支配人になられた八島さんとの対談を楽しみにして来ました。
八島 2013年の連載第1回は、オールドインペリアルバーを舞台にした「母と柿ピー」でした。私は当時客室予約課にいて、お客さまからの予約のお電話を受ける日々の合間に拝読しました。そして、角田さんの分身のような主人公が登場する前号の最終回「光り輝くその場所」は、東京総支配人として拝読いたしました。
角田 総支配人になるとお忙しくなるのですか?
八島 デスク仕事よりも、ロビーやレストランでお客さまのお顔を拝見するようにしています。コロナ禍に一区切りついて、お客さまが戻ってきてくださり、館内を見て回る機会が多くなりました。
角田 嬉しい忙しさですね(笑)。
八島 お客さまのお気持ちを拝察するということでいうと、角田さんにはずっとお客さま目線でスタッフを描いていただきました。拝読して、「ああ、お客さまはこんなホテルの利用のされ方をしているんだ」と気づきにつながったことが何度もあります。飾り気なしのお客さまの心模様が私どもに伝わってくることがなかなかないものですから、毎回新鮮でした。それにしても、不思議です。お客さまやご家族、周囲の人々、そしてスタッフの心のひだに入り込んだストーリーを、どのように思いつかれるのでしょうか?
角田 大変でした、本当に! 東京・大阪・上高地の3か所を交互に舞台にするという年に4回の連載で、原稿を書き終えて送信すると、折り返し編集者から確認に添えて、次号はどこを舞台にするか連絡がきます。何を書いたら良いか、とにかく思いつかないんです。思いついてプロットが決まれば、2~3日で書き上げるのですけれど……。
八島 ご苦労おかけいたしました! 連載前には取材で3か所宿泊なさったそうですね。
角田 ええ。1泊ずつと短い時間でしたが、3か所とも個性が違って、私にとって東京は特別な場所、大阪は旅先のホテル、上高地は想い出が大切にしまってある場所というイメージです。東京は文学賞の選考会や授賞式でたびたび行きますが、泊まったことはありませんでした。大阪の取材は桜の頃で、造幣局の桜の通り抜けや近くの天満宮のアーケードに行きました。ホテル内では空が見えるプールが素敵でしたね。上高地は、マイカーで行けない場所が日本にまだあるんだ! とか、スタッフの皆さんが全員、寮に入っている!と驚きました。ホテル周辺の散歩が楽しかったです。
八島 アップダウンがなくて歩きやすいですからね。上高地は私も入社時に行き、4か月間、寮暮らしでしたが、まだ2人部屋でした。
角田 連載の2回目で上高地の携帯圏外を題材に「月明かりの下」を書いたのを思い出します。
八島 ちょっと神秘的でロマンチックな話でしたね。10年経って、いまは上高地の電波状況は改善されて、寮も一人部屋になっています。
角田 それは良かったです(笑)。
帝国ホテルの見えないドラマ
角田 連載で、一番のヒントになった資料は、「さすが帝国ホテル」でした。
八島 1999年に始めたスタッフの働きぶりを表彰する「さすが帝国ホテル推進活動」の記録ですね。
角田 はい。ちょうど連載も20回になったとき、前任の金尾幸生さんにご紹介いただきました。いろいろなセクションのスタッフの方の、お客さまには気がつかないエピソードがたくさんあって、読んでいて泣けてくるくらい感動しました。どこで落としたかわからない物をすばらしい連携プレイで探し当てたこと、エレベーターのバラ、ランドリーの時間厳守の話、具合の悪くなった方をホテル前で見つけて救急車に乗せたことなど、こんなにドラマがあるんだ、と感動しました。
八島 なるほど、連載で思い当たる回がありますね。24回「忘れものの重さ」や、23回「ジャズと幽霊」のルームサービスのお辞儀のことも……。
角田 そうです! ドアが閉まってもスタッフがお辞儀をしているなんてお客さまは知りえないことです。「さすが帝国ホテル」を読んでから5年がたち、できることなら連載を続けたかったのですが、さすがに11年で一区切りとさせていただくことにしました(笑)。
編集担当 締切りを必ず守って下さって、本当にありがたかったです。
角田 本当に、本当にね、大変だったんですよ(笑)。
文学賞の授賞式を帝国ホテルで
――角田さんにとって足かけ11年の連載は最長記録でしょうか。
角田 小説の連載ではいちばん長いですね。2015年から5年間は『源氏物語』の新訳を手掛けていて、他の小説をいっさい書けなかったんです。その中で唯一書いていたのがこの「IMPERIAL」の連載でした。
八島 それは光栄です。
角田 帝国ホテルは、自分にとってまったく知らない世界です。自分の実生活とは関わりの無い方のことを考えることが苦しくもあり、楽しくもありでした。
八島 帝国ホテルのお客さまと一言にいっても、利用される目的はそれぞれ異なります。「亡きお父さんを偲んで」と写真を飾ってお泊まりになる方も実際にいらっしゃいます。4月に東京総支配人に着任したとき、「十人十色とよくいうけれど、私は一人十色だと思っている。同じお客さまでもタイミングによって心地良いと感じるサービスは異なる。どう寄り添えるかは、とても難しいのだが、同じサービスは一つとして存在しない。そういう想いで仕事をしてほしい」と挨拶をしました。それをわかってもらうには最適の教科書です。
角田 畏れ多いです。帝国ホテルはとても人間らしいのです。ラグジュアリーなホテルは、ときおりサービスが事務的に感じることもありますが、帝国ホテルは人間らしいあたたかみを感じます。いまおっしゃったような、マニュアルではなくお客さまを見なさいという気持ちがある。それが帝国ホテルの個性だと思います。80代で現役の客室係の方もいらっしゃるのですね。
八島 小池幸子ですね。勤続62年になります。我々からするとお母さんみたいな存在で、この9月で引退が決まり、とても残念です。小池の上には先輩で師匠のような竹谷年子というライト館でマリリン・モンローの接客をした、伝説の客室係がいました。
角田 すごいエピソードですね。今日もロビーで花の手入れを、第一園芸の若い方とベテランの方、二人の女性が一緒になさっていて、胸がきゅんとしました。
八島 社員だけではなく、帝国ホテルを支えて働いてくれる方たちにも光を当てていただき、私も何度も胸をうたれました。最終回はご自身がモデルでいらっしゃるかのように感じました。
角田 モデルではないのですが、作家にとって一番身近なホテルは授賞式なのです。二十歳の時に集英社が主催する賞の第一回柴田錬三郎賞の授賞式をのぞきに来たときがありました。当時、集英社で少女小説を書いていて、「授賞式をやっているから見に行こう」と誘われて仲間何人かと編集者に入れてもらって「わー、すごい!」と圧倒されたのが帝国ホテルでした。それから二十何年か経って私が『紙の月』という小説で柴田錬三郎賞をいただいた時も授賞式は帝国ホテルで、受賞の挨拶で二十歳の時にのぞきに来た時の話をしました。
――ちょうどこの連載の第1回目を書きあげられたタイミングですね。
八島 そんな深いご縁があったのですね。『源氏物語』でも読売文学賞を受賞され、帝国ホテルでの授賞式には紫の御着物でいらっしゃったと伺いました。
1000年の伝統を持つ『源氏物語』には及びませんが、帝国ホテルは今年、ライト館開業100周年を迎え、3年後には、大阪開業以来、30年ぶりに帝国ホテルブランドの新しいホテルが京都にできます。タワー館が2024年の夏から、つづいて本館が建て替え工事に入り、2036年に完成します。この本館の場所に、地下から最上階まですべてホテルとして使用するグランドホテルを2036年めざしてつくる一大プロジェクトです。
角田 建物が変わっても、これまで変わらずに受け継がれてきた帝国ホテルらしさは、変わらないでしょうね。連載が終わって寂しいけど選考会と授賞式で来続けますので、これからもよろしくお願いします。
八島 この連載は、一回一回がまさに帝国ホテルの歴史の一頁になっているような、我々にとってたいせつなことがすべて盛り込まれた連載です。帝国ホテルの財産として継承していきたいと思います。ありがとうございました。
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