〈マラソンは芸術だ…箱根駅伝に挑み続ける早稲田大学競走部に継承される教え〉から続く
早稲田大学時代は3年時に箱根駅伝で区間賞(区間新)&総合優勝を果たし、実業団では世界選手権や2度のオリンピックに出場した花田勝彦さん。引退後は指導者として上武大学を箱根駅伝初出場に導き、連続出場を果たした。
現在は母校の競走部駅伝監督に就任し、さらなる高みを目指す花田さんは、池井戸潤さんの『俺たちの箱根駅伝』をどう読んだのか――。
ロングインタビュー後編です。
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早稲田から世界へ、オリンピックへ
――上武大学で12年間、実業団のGMOインターネットグループ(以下、GMO)で6年間指導者を務められた後、2022年6月に母校・早稲田大学競走部の駅伝監督に就任されました。
花田 早稲田では「箱根駅伝優勝」という目標はもちろんありますが、もうひとつ「早稲田から世界へ」というテーマがあります。推薦枠こそ少ないですが、幸い全国優勝した強い選手も入ってくれてきて、そういういい選手をスカウトした立場として、かつての自分がそうだったように、きめ細かくその選手をしっかり育てるのが大事だと思っています。
やはり箱根駅伝はとても大きなコンテンツで、学生にとっては最大の目標です。これを走り切ってさらに世界、オリンピックを目指すには、もっとハードなことに挑まなければいけないんですが、ハードなことをやっていくと失敗体験も増えていく。
うまくいかないことを乗り越えなければいけないんだけど、箱根駅伝という成功体験があるので、卒業後の練習環境に疑問を持ち、ハードワークすぎるんじゃないかとか、大学時代に立ち戻ってしまったりする。それでうまくいくこともありますが、上を目指すのであれば新しいチャレンジをしなければならない。その難しさをGMO時代には痛感してきました。
上武大学、GMOでの経験を経て、東京オリンピックが終わった頃、指導者としてうまくいかないことも多く、休みたいと思ったこともありました。そんなときに瀬古さんに相談に行ったら、「休んでる場合じゃない、早稲田が大変だからちょっと一緒にやろう」と言われ、早稲田大学で指導することを決めました。
約30年ぶりに母校に帰ってきて、これまで選手たちに言い続けてきた「世界を目指しなさい」ということが、早稲田ではすっと入る子が多いことに驚きました。自分自身も瀬古さんから、「はじめから将来はオリンピックを目指して、オリンピアードで人生を設計しなさい」とずっと言われてきたんですが、大迫(傑)君や現役の選手たちにも、そういう教えが受け継がれているんだな、と。
昔は喧嘩ばかりの師弟が今は
――小説『俺たちの箱根駅伝』の中での、師弟関係に重なる部分もありますか。
花田 そうですね。現役時代は瀬古さんと喧嘩することが多かったんですが、自分が年齢を重ねて指導者になってみれば、瀬古さんの偉大さ、懐の広さがわかるようになりました。GMOを辞めるタイミングで相談に行ったときには、「お前には早稲田の監督があっている」「大学の指導の方が合っていたんじゃないか」と言われて。実はSB食品での現役時代にも、「早めに引退して早稲田の監督をやれ」と言われたことがあったんです。でも、選手を続けたい気持ちがあって迷っているうちに、後輩の渡辺(康幸)くんが先に引退して、長距離ブロックを指導することになりました(後に駅伝監督に就任)。
そんな経緯もあったので、自分としては早稲田で指導することはないだろうと思っていたんですが、巡り合わせというか……瀬古さんも私のことをよく知ってるから、迷っている私を誘ってくれたんだと思います。海外に出してもらうタイミングだったり、選手としての岐路であったり、節目節目でいろいろとサポートしていただいて、今にまでその関係性が続いている。そんな師弟関係の在り方は小説と通じる部分があるかもしれません。
特に私は高校まで指導者がいなかったので、私にとっては瀬古さんが初めて専門に指導してくださった方でした。早稲田に勧誘されたとき、瀬古さんは引退したばかりの30代前半。ご自身の師である中村(清)先生の指導を継いで、家庭的な指導を目指されていたので、「東京に来たら東京の親だと思って何でも言え」と言われましたね。それを真に受けて、平気で遠慮もせずに文句を言っていたし、「師は弟子の8倍を学べ、と中村先生の本に書いてありますよ」なんて、立てついていましたから、よく「バカヤロー」と怒られました(笑)。
今になってみると私と瀬古さんは本当の親子みたいな……私もやんちゃだったので、昔は喧嘩ばっかりしていましたけど、この歳になってものすごく仲がいいですね。だから自分も、相談してきてくれる子たちには、遠慮せずに24時間365日話を聞くと伝えています。選手を強くすることも大事ですけれど、大学生活の4年間という時間は限られていて、卒業後は社会に出さなければならない。彼らの次の人生のことも考えて、自分の子供、自分の弟だったらと考えながら、話をしています。
今年はチームとして結果が求められている
――瀬古さんと花田さんの選手時代と、今の箱根駅伝は変わってきていますか?
花田 昔のように根性論的な方法で勝てる駅伝ではなくなってきていますね。青山学院大学の強さをみても、原監督のマネジメント力はもちろんありつつ、選手の体作りをするフィジカルトレーナーのグループがいたり、栄養管理専門のグループがあったりとか、様々な専門に特化したサポート体制が必要になってきています。私も練習メニュー作りだったり、選手の現場の指導は専門家として見ていますが、管理栄養士やメンタルトレーナーにスペシャルな部分はお任せしています。
さらにはシューズなどのギアの影響力も大きいです。『俺たちの箱根駅伝』でも、アトランティスというシューズメーカーが出てきて、池井戸さんの『陸王』と関連に思わずニヤリとしましたが、実際にシューズはひとつの武器というか、それでレースが大きく変わるところがあります。今後はウェアもひょっとしたら新しいものが出てくるかもしれないし、いかに最新のテクノロジーにアンテナを立てて入手するか、も大事ですね。さらにそれを使いこなせる体作りをしなくてはならないという難しさもあります。
今年、早稲田で駅伝監督就任3年目になり、ある程度チームとしての結果を求められていると感じています。「個の強化」を早稲田は重んじていますが、個が集合してチームとして結果を出すときが来た。秋からの3大学生駅伝(出雲、全日本、箱根)では優勝争いに関わる順位……3位以内を目指したいと思っています。昨年までの結果ではまだ5位以内にも入ってないんですが、ひとつ高い目標設定をしています。
パリ五輪には、マラソンに大迫君、1万メートルには太田(智樹)くん、競歩に髙橋(和生)くんというOBが出場します。私が学生のとき、1991年に東京で世界陸上があり、早稲田のOB選手の応援に行き、「いつかこういうところに立ちたい」という気持ちで自分を鼓舞していたので、箱根駅伝はやはり最終ゴールではなく、早稲田の選手にはその先を見てほしい。
よく早稲田は「推薦組」と「一般組」がいると言われるんですが、そういう分け方じゃなくて、世界を目指す人と、箱根駅伝を目指す人っていうところで、最終目標や取り組み方が違っても、夏以降はまずは箱根駅伝がターゲットです。それを乗り越えて越えて、やがて世界へと羽ばたけるよう、チーム一丸で一緒になってしっかり目標を達成できればいいですね。
花田勝彦(はなだ・かつひこ)
1971年京都市生まれ。滋賀県立彦根東高校を経て早稲田大学人間科学部へ。3年時には箱根駅伝に総合優勝、4区区間賞(区間新)を獲得。94年ヱスビー食品陸上部へ進み、96年アトランタ五輪で10000m、97年アテネ世界陸上でマラソン、2000年シドニー五輪で5000m・10000m日本代表。2004年に引退後は上武大学准教授・上武大学駅伝部監督に就任、同大学を08年箱根駅伝初出場に導き、以来8年連続で本選出場。16年GMOインターネットグループ陸上部監督に就任。22年6月より早稲田大学競走部駅伝監督に就任。
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