1998年の日本テレビ入社以来、野球、プロレス、サッカー、ゴルフ、バスケットボール、バレーボール、ラグビー、NFL、MotoGP、マラソンなど、さまざまなスポーツ中継に携わってきたアナウンサーの町田浩徳さん。多くの歴史的瞬間を目撃してきたなかでも、正月2日、3日に行われる「箱根駅伝」はやはり特別だという。
現在も2025年の第101回大会に向けて取材を続けている町田アナウンサーが、『俺たちの箱根駅伝』上下巻を一気に読破。その感想と駅伝中継の知られざる裏側を、実況さながらに滔々と語ってくれた!
全2回の前編です(後編はこちら)
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あまりにリアルで「ノンフィクションなんじゃないか?」
――池井戸潤さんの最新長編『俺たちの箱根駅伝』を第101回大会の予選会直後にお読みいただいたと聞きました。
町田 はい。来年に向けた予選会を経てからのほうがいいだろうと思って、そこから読みはじめたんです。手に取る前は上下巻を読めるのかちょっとひるんだんですが、選手の足音が聴こえてくるような冒頭の予選会の描写から一気に引き込まれていきました。上巻は言葉のひとつひとつが心に沁みて、自分のことと重ね合わせて考えながら何度も読み返しましたし、躍動感にあふれた下巻はもう一気に読み終えてしまいました。
小説の中で、自然に箱根駅伝を解説してくれている部分も絶妙です。ストーリーの中に「レースってこういうものだよ」「中継ってこんなふうに行われているんだよ」と、しっかりガイドする形で説明が入っているので、一冊読み終わった時にはこの大会全体のことが分かります。どんな読者の方でも、次に箱根駅伝を見るときの目が変わってくるでしょうね。
実際、箱根駅伝や中継がどのようにして成り立っているかを説明している部分は、特に放送当日を迎えるまでの中継局(小説内では「大日テレビ」)のディレクターやアナウンサーをはじめとするスタッフや関係者の心の機微、細かな数字も含めてあまりにリアルで、「これはフィクションだと聞いていたけれど、ノンフィクションなんじゃないか? でも登場人物の名前は違うよなぁ」と混乱してしまったくらいです(笑)。
おそらく、私たちアナウンサーの知らないところで、著者の池井戸さんが日本テレビの制作(スポーツ局)側と連絡を取り合いながら、長い期間、取材を続けてようやく完成した作品なんだろうと思っていたんですが、実在のモデルに寄せて書かれたわけではなく、創作の部分が大きいと聞いて、改めて言葉にならないほどびっくりしています。
復路の翌日から総力戦で一年間を取材
――本書の上巻でも箱根駅伝の中継に向けて、アナウンサーの方が事前にいろいろな取材をする場面が出てきますが、実際、日本テレビの方は本番に向けてどのような準備をされているのでしょうか。
町田 毎年、アナウンス部の3分の1にあたる20人以上のアナウンサーが箱根駅伝に携わっていて、まさに総力戦といった感じです。毎年復路が終わった翌日、1月4日の早朝練習から大学は新体制でスタートしますが、この日から担当アナウンサーが取材に行くこともあります。そこから春のトラックシーズン、夏合宿、予選会、駅伝シーズン、本大会という感じで、チームと選手が一年間どんなシーズンを送ってきたのか、取材の空白期間がないようにしないと、やはり言葉にするのが不安になっちゃうんですよね。
箱根駅伝は、優勝したチーム、走り勝った選手はもちろんですけれど、抜かれてしまった選手、夢破れたチーム、故障でメンバーに入れなかった部員もクローズアップされる場合があり、全員が主役とも言えます。本番のレースでは何が起こるか分かりませんし、どの大学の選手がどの区間で先頭に立っても、さらにその選手が独走してタスキを繋いだとしても、1時間は実況できるように取材しておく必要があるんです。エントリーメンバー16人が決まるのは12月10日で、その前からエントリーの可能性がある20名前後×20チームを取材するとなると、取材対象選手だけでも約400名になります。
それを分担して取材するわけですが、アナウンサー1人が1校に責任をもつ担当制です。たとえば私が母校の早稲田の担当だとしたら、取材のアポイントをとってスケジュールを組み、日程が決まったら一緒に取材に行きたいメンバー(アナウンサー)を募ります。優勝を狙うような強豪大学に希望者が多いかといえば、必ずしもそういうわけでもなく、例えば中継所の実況アナならば、トップ通過や区間新に絡みそうな大学へ取材に行くなど、自分の持ち場ならば、どの大学に取材に行っておいたほうがいいか、それを考えて各自が取材希望を出すことが多いです。
新人でも担当大学はもつことになるので、大学によって取材のクオリティーに差が出ないように、ある程度キャリアのある先輩が取材希望として手を挙げて一緒に行くのも暗黙の了解ですね。過去に私は、後輩にいいところを見せようとして、いつも「一緒に行くよ」と言っていたら、最終的に取材をした人数が数十人にも膨れ上がってしまって、取材リポートを完成させるため締切ギリギリまでひたすらパソコンを打ち込むことになった年もありました(笑)。イメージとしては、選手1人につきA3用紙がびっしり文字で埋められているくらいの量ですから、40人を超えた年は、提出してしばらく魂が抜けた状態になっていました(笑)
今はもちろん取材のリポートはパソコンでまとめますけど、昔の取材リポートは手書きで、読むのも書くのも大変でしたよ。取材アナの個性も出るもので、簡潔に過不足なく要点をまとめたものもあれば、ストーリー仕立てで選手の人となりが全てわかるようなものもあります。とにかくどんな形であれ、完成した取材リポート(資料)は中継アナウンサー全員で共有しますので、自分が取材で集めた情報が日本テレビ中継全体の財産になるわけです。
100取材したうちの2つか3つでも放送に……
――長年ご自身が箱根駅伝と関わってきて、特に印象深かったシーンや取材はありますか。
町田 私が入社したころに言われたのは、「取材したうちの二割から三割を放送に出せればいいほうだよ」ということでした。でも実際に入社して1、2年目はサブアナウンサーとして、声を出すことはなく先輩アナウンサーを隣でサポートし、3年目で実況を担当するようになると、言われていたことは噓だということが分かりました(笑)私の感覚でいうと100取材したうちの2つないし、3つくらいが放送に出せればいいという感じですね。
「もっと取材をしておけば良かった」と思うこともあれば、「あのとき聞いておいて良かった」と思うこともあります。2011年の第87回大会にむけて上武大学を取材したときは、4年生の地下(ぢげ)翔太選手から卒業後の進路について「地元の村役場に就職します。箱根は競技人生の集大成であり、これからの人生のスタートラインです」ということを聞き出していました。迎えた大会当日、最初で最後の箱根となった地下選手はアンカーを任され、19位ながら力を振り絞って走る姿が映しだされたんですね。
当時の花田(勝彦)監督が運営管理車から「おい、地下。よく頑張ったな。よく熊本から来てくれたな。ありがとうな。さあ、残りは、お前の花道だぞ。お前の桧舞台だ!頑張って良かったな」と声がけし、それを紹介した蛯原(哲)アナウンサーが感極まって涙ぐみながら「地下選手は地元の球磨村に戻り、村役場に就職して第二の人生が待っています」と実況しました。私が取材した内容でした。地下選手はフィニッシュすると、走ってきたコースのほうを向いて一礼したんです。こういう状況を想定して聞いた話ではないんですが、放送で選手が輝く瞬間があると、100取材してよかったなと本当に思いますね。
『俺たちの箱根駅伝』の中でも、辛島アナウンサーが事前に取材する場面があるんですが、彼の目を見て、選手たちは自分たちへの理解と愛情を感じ取ります。そこで辛島アナは一瞬にして選抜チームの懐に入って取材を進めていきます。限られた取材時間の中でいかにして選手の心の扉を開けるか、これは実際の取材でも本当に重要です。私のプライベートなことや盛り上がりそうな話題を提供して緊張を解きほぐそうと取材時間の多くを使ってしまうこともあるので、選手を目で落として最初の質問から核心に迫っていく辛島アナのような取材ができたら、最高だなと思います(笑)。
町田浩徳(まちだ・ひろのり)
1973年新潟県生まれ。早稲田大学人間科学部を経て98年日本テレビ入社。多くのスポーツ中継に携わり、現在は「Oha!4 NEWS LIVE」(水曜)に出演、「DayDay.」(金曜)や「ライターズ!」のナレーターも務めながら、野球・MotoGP・ラグビーなどの実況を担当
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