
〈「このチームはわしではあかんな」野村克也がタイガース暗黒時代に残したもの〉から続く
「負けにどう対処するか」というのは、すべての人と組織に与えられた課題である。不敗の人間やチームはどこにもない。負けたそのときにどう起き上がるか、負けに学び、どんな勝負手を温めておくかで、その後の人生は変わってくる。
私が読売巨人軍の球団代表を務めていた2009年7月のことである。イースタン・リーグで巨人の2軍はヤクルト2軍に1対25で大敗した。知らせを受けた私は顔が熱くなった。何かの間違いではないか、と思って事情を聞いた。マネージャーによると、2軍監督の岡崎郁は試合後、屈辱で意気消沈する選手をベンチに座らせ、こう短く叱責したという。
「今日の負けにどう対処するか。方法は2つある。もう野球をやめてしまうか、練習して力をつけるか。それしかない」
2軍とはいえプロの選手である。中学、高校、大学とさんざん叱られてここまで勝ち抜いてきた若者たちだ。拳骨を振るっても効果はない。プロとしてメシを食う彼らの敗戦にはグダグダ怒らないことだ。彼らには明日も試合があるように見えて、実は後がなく、逃げ場もない。その厳しい現実を、強く分かりやすい「言葉の一撃」で教える。あとは各人の奮起をじっと待つしかないのだ。
しかし、素人のサラリーマンが右も左もわからない組織に異動を命じられたときにはどうすればいいのか。

負け癖のついたチームに投げ込まれた――。それが拙著『サラリーマン球団社長』(文春文庫)の主人公である野崎勝義の出向人生だった。
彼は今日の負けにどう対処していったのか。この本の中から拾い出してみよう。(文中敬称略)(前後編の前編/後編はこちら)
本は独創を生む力
野崎は阪神電鉄航空営業本部旅行部(通称・阪神航空)の旅行部長だった。航空営業一筋に31年間務めた彼は、1996年6月、縁のない阪神タイガースに常務取締役(営業、総務担当)として出向を命じられた。過去、めでたく電鉄本社に戻った者もいたが、多くは成績低迷の責任を背負わされて傷つき、辞任に追い込まれる者も少なくなかった。自殺という不幸な途を選んだ幹部もいる。
内示を受けた後、彼が最初にやったことは、地元の芦屋市立図書館に足を運ぶことだった。その分室には小説家の村上春樹も通っていたが、野崎が頻繁に通ったのは本館である。どちらも古い造りのゆったりとした図書館で、本館にはスポーツに関する資料を豊富に揃えていた。そこで野崎は野球にかかわる本を探し出し、次々に借りたり、書店で買ったりした。
その中には、『スパーキー!』(ダン・イーウォルド)、『FAへの死闘』(マービン・ミラー)、『「Yes」と言えなかった大リーガー』(マーティ・キーナート)といったメジャーリーグ物も含まれていた。

圧倒的読書量
熟読したのは、日本野球機構コミッショナーだった下田武三の『プロ野球回想録』や慶大教授・池井優の『野球と日本人』のような球界を俯瞰する類のものだった。『人を動かす人を活かす』(山本七平、星野仙一)、『ビジネスとしてのプロ野球』(塩沢茂)、『仰木彬「人材育成の黄金律」』(太田真一)といった自己啓発本やビジネス本に関心は移り、やがて西宮の図書館にも足を延ばして片っ端から読破して、その数は60冊を超えた。
出向に備えてこれだけ本に没頭したサラリーマンを、私は他に知らない。その世界の知識を得ることがいかに重要か。それは友人を作る行為に近い、と言った人がいる。「国産ロケットの父」と呼ばれる糸川英夫である。こんな言葉を残している。
「人生は友達なしには成り立ちません。本も大の友人です。本の著者というのは日本人とは限らない。海外の人が書いた本を読むことで、その人はあなたのパートナーになります。私の経験から言っても、本から得たことに感激し、その本に書いてあることに自分の考えを加え、新しいものを生み出したことが何度もあります。本も独創を生む力なんです」
腹をくくる
生真面目な野崎は内示を受けた夜、妻の艶子に改めて告げた。
「うちには財産もないけどな、追い詰められたときには、命を絶つ前に球団を辞めるからな。タイガースをクビになったら、小さな旅行会社にでも拾ってもらうか。死ぬよりはましだ」
それを聞いて、彼女は台所で静かに考えた。
――この人は航空本部を放り出されたんやな。嬉しいことやないけど、まあ球団で頑張って、だめだったらいつでも辞めればいいわ。なるようにならな、しかたない。
一方で彼は、大きな不安を抱えていた。「自分は野球の素人だ」という思いであり、「人付き合いが下手な自分に務まるだろうか」という懸念である。 だが、結論から言えば心配する必要などなかったのである。しぶしぶ出向したタイガースで、3か月後には監督解任をめぐって大騒ぎが起き、その後も仰天するような出来事が次々とやってくる。習うより慣れよ。どの世界でもそうだが、サラリーマンは与えられたところにどっぷりと漬かるしかないのだ。
彼はあらかじめ辞表を書いておいて、会社に乗り込んだ。

独りの時間を持つ
タイガースは試合に負け続けても儲かっていた。27年連続の黒字決算だった。
ファンは阪神電車に乗って観戦に訪れ、調子がよいときは売店でグッズや飲食物を買い、阪神電鉄の持ち物である甲子園球場を満員にしてくれる。タイガースは阪神電鉄本社に多額の球場使用料を払っている。リスクのある経営改革はなくても済むのだ。
帰宅すると、野崎は食事を手早く済ませ、二階の部屋に閉じこもった。妻の艶子はまたかいな、と思っている。夫は酒は飲まず、仕事以外で遅く帰ることはない。賭け事や女遊びをするわけでもなし、硬骨の真面目一辺倒でそれは結構なことではあるのだが、艶子から見れば、魂の大半は仕事に向かい、残るわずかな関心も、少し離れたところに住む母親の介護に向いている。艶子が何か口をはさむと、
「嫁は取っ替えられても、親は替えられへんしなあ」
そうして、熱い茶を飲み、食卓に出ているものからパパパッとせっかちに食べていく。待っていられないのだ。あるものから先に食べて、艶子が、「あれ、もう食べ終わってる」と思ったときには立とうとしている。
自室でひとり本を読み、正気に戻って考える。彼にしてみれば、それが会社に流されない彼の仕事術の一つだった。
自分の中の“常識”を信じる
型どおりの引継ぎを受けて、野崎は「こりゃ、あかん」と思った。オーナーの久万もぬるま湯に浸かっていたが、球団組織もそうなのだ。なんと、タイガースの営業引継ぎのなかに、〈パ・リーグを参考にすること〉と記されていたのだ。
――時代に遅れてるんや。
自分で考え、打開しなければならないのだ。巨人もそうだったが、日本の球団は営業面でも古い体質を残していた。楽天が2004年に参入して、SNSを駆使したチケットセールスを展開したのを見て、球界関係者は仰天したものだ。 野崎や広島カープの鈴木清明のように、競争の激しい旅行業界や自動車業界で実務経験を積んだ者は、野球界がビジネス社会から取り残されていることがよくわかっていた。野崎は着任すると、球団の職員に繰り返し言った。
「タイガースのスタンダードは、世の中の常識とは違っているよ。忘れたらあかん。阪神航空は外様かもしれんがそっちの方がずっと一般常識に近いよ」
傍流の者こそが変えられる
――チケット販売にコンピュータを導入する際、野崎は「ええと思うたらトコトン言わんとモノにはできへんよ」と部下を励まし続けた。コンピュータ販売方式になると、仕事や特権がなくなると反対する人が内部にいた。
新たな販売方式を模索していたころ、野崎はオーナーの久万から「野球、勉強しておいてくれ」と言われる。それは野球のド素人である彼に球団本部長を任せ、編成部門を仕切らせるということだった。
久万にしてみると、他に球団本部長の人材を見つけられなかったのだろうが、常識ではあり得ないこの人事を、野崎は心のどこかで待っていた。
〈現状ではだめだ。何とかしたいという希望がある〉
と前年末のメモに記している。長くぬるま湯に浸かったこの組織は、傍流の自分にしか変えられないと思っていたのだった。
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