
富山の薬売りの視点から幕末・明治初期の日本を描いた大河歴史小説『潮音』(全四巻)がこのほど完結した。
十年越しの執筆を終えた宮本さんが率直な心境を記した「あとがき」を紹介する。

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薩摩藩の倒幕資金はどこから出たか
江戸時代の終わりごろに九州の薩摩藩と越中富山の薬売りとのあいだで密約が結ばれて、厳しい鎖国政策の目をくぐり抜けて、当時の清国との密貿易が秘密裡に行われていたそうです。薩摩藩は巨利を得て五百万両という藩の借金を返還したどころか新式の鉄砲や大砲などを買う資金を蓄えたというのです。
それが江戸幕府を崩壊させて明治新政府を樹立する圧倒的な武力の礎となりましたが、富山の売薬業者も日本では手に入らない麝香(じゃこう)とか甘草とか高麗人参などの高貴薬を大量に得て、売薬業の市場をさらに広げることができたのです。
清国が欲しかったのは主に当時の蝦夷地で採れる干し昆布で、それは清国の内陸部で多かった風土病の特効薬でした。干し昆布を薩摩に運んだのは北前船を持つ富山の廻船問屋です。
薩摩藩、富山の売薬業者と廻船問屋、清国の四者の利害は一致して、当時極めて危険であった密貿易の広大なネットワークが出来上がりました。しかし、決して知られてはならないことであったため、とりわけ薩摩藩と越中売薬のごく一部の人間だけのやりとりである手紙類も、みな暗号のような符丁で書かれて、読み終わると即座に焼き捨てられて、いまはほとんどなにも残っていません。
この説をわたしが知ったのはいまから約三十年ほど前だったと思います。

子どもの頃に見た薬売りたちの姿
子どものころに富山市内で一年間を暮らしたわたしは、広貫堂などの富山の薬屋さんの店の近くにいたこともありましたし、大阪にいても一年に二度、大きな鞄をかかえた営業マンが家に訪ねてきて、使った薬の分だけの代金を集金し、少なくなった薬を補充していく姿を見ていましたので、あの薬屋さんたちが江戸時代の終わりごろに日本を動かす大仕事をこっそりとやってのけていたのかと驚いてしまったのです。
その度胸や知力に感嘆し驚嘆するだけで、わたしはそれを小説にしようなどとはまったく考えませんでした。
これまで歴史小説というものを書いたことがないから、自分の手には負えないと思ったのではありません。歴史というものが、足を踏み入れたが最後、にっちもさっちもいかない泥沼にはまるような代物であることを勘として感じたのです。
ましてや、秘密裡に行われた江戸時代の密貿易です。手紙の中身も符丁だらけで解読すら困難だとすれば、おそらく途中で投げ出すしかない状況に追い込まれるという恐怖もありました。

文春編集者たちの「脅迫」
気にはなるが、見て見ぬふりをして、うっちゃっておこう。そんな気分で十五、六年が過ぎたころ、文藝春秋の編集者たちとの雑談のなかで、わたしはうっかりと薩摩藩と越中の薬売りが手を結んだ清国との密貿易のことを話してしまいました。
それは絶対に書いてもらわなくてはならない。こうやって編集者に話してしまったのだから、覚悟を決めなさい。手に入る資料はすべて文藝春秋が揃える。わからないこと、知りたいことなども、みな我々がしらべる。とにかく、まず何が知りたいかを箇条書きにしてくれ。担当編集者にまずそれを調べさせましょう。
ちょっと待ってくれ、というわたしの悲鳴のような懇願なんか聞いてはくれず、越中富山の売薬についての数冊の専門書が届き、薩摩藩に関する史書が届き、幕末期の北前船の資料がどっさりと届いたのです。
もう知らんぞ。無理矢理書かせたのは君たちだからな。俺は書けなくなったら途中で止めるぞ。
その言葉を編集者たちは冗談と受け取って笑っていましたが、わたしは本気だったのです。書き通す自信もなく、どんな資料を読んでも、なんの風景も浮かんできません。
しかし、初めての鹿児島取材で大分県豊後地方から海沿いの日向街道を南下して鹿児島に向かっているとき、あ、書けると思ったのです。どう説明したらいいのかわかりませんが、わたしはそのとき日向街道を薩摩へ薩摩へと歩いている行商人のひとりになっていました。
俺はこの男になればいいのだ。
あのときのみなぎるような意欲を忘れることはできません。

二度の大病を経ながら書き続けた
「文學界」には足掛け十年も連載をさせていただきました。小説の最後のところにさしかかったころ、大病をして二度の手術で入院しましたが、元気になって退院して、最後まで書きつづけることができました。
その間、お世話になった幾人かの編集者の方々にこころよりお礼申し上げます。
売薬業に関しての専門的な知識のほとんどは越中史壇会の現会長である米原寛氏のご教示を得ました。米原氏との出会いがなければ、『潮音』という小説は富山の薬という「鍵」の部分で動かなくなっていたにちがいありません。
鹿児島の示現流兵法所史料館館長の有村博康氏は薩摩藩と薩摩示現流に関する多くの知識を与えて下さいました。厚くお礼申し上げます。
なお、小説のなかでは、あえて薩摩弁も富山弁も京都弁も使いませんでした。このみっつの個性豊かな訛りは文章のなかで錯綜すると読みにくくて、わかりにくくて、書くのも読むのも混乱しそうだったからです。
二〇二五年早春 宮本輝
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