
宮城谷昌光さんといえば『夏姫春秋』で直木賞を受賞し、『太公望』『三国志』『孔丘』など数々の名作を世に出してきた中国歴史小説の大家。そんな宮城谷さんの異色作が『歴史の活力』(文春文庫)だ。経営者や組織のリーダーを人相、言動などさまざまな観点から分析した宮城谷さんによる唯一のビジネス本でもある。宮城谷さんによれば、中国の歴史や古典には、日本を代表する企業の創業者たちの言行と不思議なほど類似例があり、中国史を知ることはすなわち日本を知ることだという。
そんな宮城谷さんの作品に「人生のどん底で出会った」と語るのが、シンガーソングライターにして俳優としても活躍する吉川晃司さん。映画『キングダム』で趙の総大将を演じて話題になり、還暦を前に奥田民生さんと「Ooochie Koochie」を結成して話題の吉川さんが、宮城谷さんとの秘話や自らの現在地を語る。

◆◆◆
――救われる。
湿った地下のスタジオで読みながら、何度となく呟きました。
三十三歳のとき、僕は人生の窮地にありました。いろんなトラブルが重なり、若手数人を引き連れて、独立して新たに会社を立ち上げざるをえなくなったのです。文字通り、徒手空拳、ゼロ、いや、マイナスからの出発でした。

若手スタッフを前に、「利益が出るまで、俺はこのスタジオで寝泊まりする」と見得を切り、そこから十年余りの地下生活がスタートしました。しかし、それまで一人のシンガーとして突っ張って生きてきた人間には、助言を請うべき師匠も先輩もいません。おまけに、人間不信に陥っていました。
そこで、すがったのが書物でした。日本の歴史小説を手はじめに、『三国志』を経て、中国史の世界にのめりこんでいき、出会ったのが、我が「人生の師」、宮城谷昌光さんの著作でした。そこに描かれている中国古代の人間のなんと豊かなことか。男たち――自分の美学や志を全うしつつも、世の現実との軋轢に苛まれている――が吐く台詞が、一々絶句してしまうくらい素敵でした。何度も何度も繰り返し読みました。
宮城谷さんの仕事場で質問したこと
本書『歴史の活力』からは、僕が魅了された宮城谷文学の創作の源泉を知ることができます。
古今東西の文献から渉猟された中国の偉人、日本の戦国武将、経済人、財界人、市井の人たちの思想、名言、箴言、挿話。これらを駆使して、さまざまな視点から僕らの前に提示されるのは、われわれはいかに生きるべきか、というテーマです。知識は誰からも盗られることはありません。ただ、それをいかに生きるための知恵に変えていくか。
これだけの知識を、宮城谷さんは、どうやって身につけたのだろう。ここまで自在に、縦横無尽に使えるようになるまで、どれだけの積み重ねの日々があったのだろう――。
二十年前、かねての念願が叶って、宮城谷さんのお宅、仕事場をお訪ねしたときに、最初に僕が話題にしたのは、中国最古の夏王朝を扱った初期の長編『天空の舟』のことでした。

「知る者は言わず、言う者は知らず」。本書にも引かれている、僕も大好きな老子の言葉があります。この小説を世に問うまで、世に知られることのない雌伏の時をいかに乗り越えられたか、とお伺いすると、「自分の小説を書く、人間を知るために、私は中国史を勉強したのです。長い時間を費やしました」と宮城谷さんはおっしゃいました。そして、中国の古典を勉強することで、日本があらたに見えてきた、と。
僕がいざ独立して事務所を経営すると、それまで憧れてきた宮本武蔵の「侍スピリッツ」だけでは通用しない世界がありました。そうなると、剣豪が剣を置いた時に、いかに人生と闘って何をしていたかが気になりだした。そういえば、戦国武将たちは苦境に陥った時、必ず中国の故事を持ち出して考えていなかったか。どうやら日本文化の根底を考えていくと、中国古典の教養を抜きに語れないのではないか。そうして、宮城谷さんの中国に辿り着きました。紀元前一六〇〇年頃の夏王朝の世界に、僕は「日本」を見ていたのです。
中国の故事を現実の現場で活用してきた経済人
二〇〇九年、僕は大河ドラマ「天地人」で、織田信長を演じることになりました。ところが、調べていくと、どうも信長はうつけでも傍若無人でもないし、残忍という一語では片づけられない。
そこで、宮城谷さんに教えを請いました。
――信長が印章に使っていた「天下布武」という言葉は、「天下を武力で治める」という意味でとらえられることが多いのですが、実際は、武という文字は「戈」と「止」という字が合わさって成り立っていて、本来は「争いを止める」という意味があるのです。ですから、信長には平和な世の中を築くという理想が、戈をおさめる、すなわち武を止める、平和にするという意図があったのではないでしょうか――。
一言一句をおろそかにしない宮城谷さんの助言から、一つの言葉を通して見えてくる新たな世界がひらけてきました。
『歴史の活力』は、『天空の舟』発表後、まもなく執筆されています。本書に、中国の故事を現実の場で活用してきた経済人が多く取り上げられていることには、宮城谷さんの明確な問題意識が感じられます。
「企業がもたねばならぬ社会的責任がなおざりにされている現状から、その根底にある教育の荒廃は、推して知るべきであろう。教育とは、なにをおしえるよりも、まず人としての社会的責任をおしえるものだからである。
たとえばいまの世ほど、経済ということばが『経世済民』(世を経め、民を済う)の短縮形であることを、忘れられているときはない」(12 哲理篇)
歴史を過去のものとせず、未来への力に変換すること。本書で、宮城谷さんが、われわれに継承しようとされているのは、このことではないか、と僕は思います。
僕はすぐ花を咲かせたが、世間という逆風に見舞われた
宮城谷さんの言葉で、ひときわ忘れがたいものがあります。
「すぐに綺麗な花を咲かせる木は、地中で根がしっかり張っていない。なかなか花が咲かない木は、見えないところで根を張り巡らせ、少々のことでは決して折れない」
ああ、これは宮城谷さんご自身のことをおっしゃっていたのではないか、と後に思い至りました。僕はすぐに花を咲かせたけれど、世間という強風に見舞われた。根っこがやはり弱かったのでしょう。背水の陣で溺れかかっていたときに、僕は、中国史に出会いましたが、実際、背水の陣で勝った軍なんてほとんどないのです。
深く感銘を受けた僕は、長い間売れずに下積み生活を続けていたある芸人さんに、この言葉をそのまま伝えました。そして、その後、彼は見事ブレイクを果たしたのです。すっかり売れっ子になったその人から、「あの時、吉川さんの言葉に勇気をいただきました」と感謝され、あれは俺のセリフではなく、宮城谷さんの言葉だよ、と笑ったものでした。それくらい、言葉には力がある。人を生かしもするし、殺しもするのです。

近道をする者は大道には戻れない
三十代のはじめに中国史に出会い、今年八月に還暦を迎えます。一昨年には、映画『キングダム 大将軍の帰還』で、趙の総大将である龐煖を演じるために一カ月山に籠りました。原作での龐煖は身長五メートルもあろうかという大男。怪物的な“武神”を演じ切るために、七十一キロから八十六キロまで体重を増やし、山中で巨大な矛を振り回す特訓に明け暮れました。医師の友人には、「普通車は何十年も乗れるけど、スポーツカーはすぐ廃車になる。それと同じでアスリートは早死にするんだ。お前みたいな生き方は、身体も筋肉も心臓も酷使しているんだぞ」と言われます。
実際、五十五歳の時には心臓の手術を受け、志半ばで仲間たちが相次いで倒れていき、自分の残り時間は常に意識しています。しかし、楽な近道だけはしたくない。最近も、奥田民生くんと「Ooochie Koochie」というユニットを組むにあたり、音楽理論を一から勉強し直しました。遠回りしてでも、どれだけ時間がかかっても、「本物」に辿り着きたい、という強い欲望が自分の中にあるんです。近道をする者は大道には戻れない。これもすべて、歴史と宮城谷さんから教わったことです。
-
『酒亭 DARKNESS』恩田陸・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募締切 2025/08/02 00:00 まで 賞品 『酒亭 DARKNESS』恩田陸・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。
提携メディア