- 2021.09.23
- インタビュー・対談
知られざる『三国志』の名将たちの光と影。何進、皇甫嵩、張遼、高順らの運命の分かれ道。
「オール讀物」編集部
『三国志名臣列伝 魏篇』(宮城谷 昌光)
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#歴史・時代小説
『三国志』(文藝春秋)全12巻で知られる、作家の宮城谷昌光さんが、9月11日(土)にオンラインで「『三国志』再発見!講義」を行った。約1時間半の講義は、『三国志』を知るための基本的な知識からはじまり、やがて知られざる名将・猛将たちの話へと広がっていった。
劉備を中心に『三国志演義』が書かれた理由
もともと日本人に馴染みが深いのは、羅貫中による小説『三国志演義』である。
「これはもともと講談や演劇として、長い間、中国国内で民衆に支持されていたお話が、元から明の時代に生きた羅貫中の手によって、蜀国の劉備を軸にしてまとめられたものです。当時の中国は、漢民族からすると異民族に支配されていた時代でした。そのため漢民族には、自分たちの王朝の復活を願う気持ちが強かった。そこで漢王朝の後継として劉備が建てた蜀漢を中心とし、その敵としての曹操の魏や孫権の呉を描くことで、漢vs.元を想起させる二重構造を、羅貫中は演出したのではないかと思います。だから、どうしても劉備の配下の関羽や張飛、諸葛亮らが活躍する仕立てになってきます」
劉備が善で、曹操や孫権らは悪であるという、はっきりとした勧善懲悪の仕立てになっているのが、小説『三国志演義』であり、それは読み物として確かに面白い。宮城谷さんも「全8巻の岩波文庫版を、何度も通読した」というが、あまりにも劉備たちにとって都合のいい仕立てになっており、だんだんと「曹操だってもっと優れた人物であり、すばらしい戦い方をしたのではないか」ということを感じるようにもなった。
そこで2001年5月号から月刊「文藝春秋」で連載を開始した、自身の『三国志』は、曹操の祖父の時代、後漢を舞台にして書きはじめた。「当時の担当者や編集長は、劉備はおろか曹操も孫権も出てこない『三国志』にびっくりしたことでしょう(笑)。ただし曹操の祖父が宦官であったという事実があり、なぜ男性機能を失った宦官に子孫がいるのだろう? そこには功績のある宦官が養子をとって家を継ぐことが出来る制度があり、後漢王朝で絶大な権勢をふるうようになった皇帝の外戚の排除に、宦官たちが活躍したという歴史上の背景がありました」