小学五年生の時、私は「ぶたさん」と呼ばれていた。

 体型の悩みをクラスメイトの女子に打ち明けたところ「じゃあ『ぶたさん』て呼ぶわ」といきなりつけられた綽名だった。

 この話を大人になってから周囲の人に話したら「ひどい綽名だね」と言われたが、私は一ミリも傷ついていなかった。

「ぶたさん」=ファンシーなぶたのキャラクター的イメージだったから。

 大人になって再会した友達から「もしかして綽名、嫌だった?」と訊かれたので、こう答えた。

「みんなに『ぶたさん』と呼ばれるの、嬉しかったよ」

たかが綽名、されど綽名

『ブータン、世界でいちばん幸せな女の子』を読み始めて、かつて「ぶたさん」と呼ばれていた時代を思いだした。ブータンこと丹野朋子も自分の綽名について「存在を認められた」と喜んでいる。あ、同じだ。

 当時の私は新しい学校に転入したばかり。クラスに友達と呼べる人はいなかった。だから綽名をつけられたことで、クラスの中に居場所ができた気がした。

 たかが綽名、されど綽名、名前にはいろんな意味や願いが込められているように、綽名にも由来はある。どんな由来にせよ、つけた方とつけられた方、互いの仲が深まったと感じられたし、友達と呼べるようにもなった。

 本書の「ブータン」の同級生たちも、みな綽名がある。

 老人病院でブータンと再会した「ワタベ」は苗字を呼び名にしただけの綽名。独身。

 仲間内で一番早くに結婚した「ゴリ」は男の子の母。旧姓剛力。

 既婚で子どものいない「カジドン」旧姓梶本。

 グループ唯一の理論派「ノッコ」も既婚で子なし。

「ヤッチン」は独身で新聞社勤務。

「ユウちゃん」は専業主婦。娘が一人いる(後者三人はファーストネームからの愛称と思われる)。

写真:milatas/イメージマート

 ところで「ブータン」とは、本書にもある通り、国の名前でもある。ブータン国王が来日した際「世界一幸せ度が高い国」と紹介されたのを覚えている人もいるだろう。

 正確にはブータン王国が独自に測った幸福度のことで「国民総幸福量」と言うらしい。経済的な豊かさではなく、個人の幸福度、精神的な豊かさを指している。

 経済的に豊かであることは幸せのひとつかもしれないが、目には見えない幸せ、個々に感じる幸せもある。

 私の場合だと締め切り後、ベッドで横たわる時「あぁ、幸せ」と思う(眠った途端に幸せ時間は終わる)。

 丹野朋子は「ブータン」という綽名をつけられたことで、世界一幸せ度が高い人間になるのを目標にした。しかしブータンは何を幸せとしたのかが気になるが、本書を読み進めるにしたがって、語り手たちの幸せ度が浮かび上がってきた。

物語の語り手は「ブータン」の同級生・娘・同僚…

 最初の語り手のワタベは伯父の入院した老人病院でリハビリトレーナーとして働くブータンと再会する。独身だからと伯父の世話を押し付けられているようにも見えるが、ワタベは父親のいない自分に愛情をもって接してくれた伯父への恩返し、と粛々と行っている。

 次の語り手はブータンの娘・紗季(中三)。五歳の時に出ていったブータンが、実家に戻ったのには理由があった。

 ブータンは「笑顔を忘れずにいる」為に紗季とバアバ(紗季の祖母)のそばにいることが重要だと話す。それが娘の幸せかどうかは気にしていない。幸せとは、他者の犠牲の上に成り立つ。

 次の章、時期はブータンが家電量販店勤務だったころに遡る。語り手は大手家電メーカーから派遣販売員としてやってきた上月音杏。

 ここではブータンの幸せは奪われてしまう。しかしそのことを気にしているように見えない。

「幸せとは、他者の犠牲の上に成り立つ」と記したが、たとえば恋愛は常にそういうものだ。

 四番目の語り手、リハビリトレーナーに転身したブータンの担当客・福澤瑠璃子は八十二歳。心はしっかりしているが、身体は寄る年波には勝てない。「目標を持つように」とブータンに提案されて、若い頃に諦めたローラーコースターに乗ろうと決める。

 目標ができたことでリハビリに励み、嫌いな牛乳も飲むようになる。若作りしてコースターに二人の姿は可笑しい。思わず笑みがこぼれる。

 幸せは人を「笑顔」にする。瑠璃子の「笑顔」は幸せが生まれた証だった。

 五番目の語り手はカジドン。年に一度程度開かれる中学の小さな同窓会の場でふいにワタベが口にしたブータンの名前。やがて当時起きた「ブータン事件」(校内で教頭の財布が盗まれ、犯人として疑われたのがブータンだった)の真相に迫っていく。

 そこで真犯人と思われる意外な人物が浮かび上がる。結局友達だけじゃなく、気づけば夫婦間でも疑心暗鬼になっていく。

写真:NanaIseki/イメージマート

幸せは気づいたもの勝ち

 本書の中心にはブータンがいる。

 そして彼女を取りまく同級生たちが登場する。ある時期になると同級生は道が分かれていく。独身、既婚に分かれ、既婚はさらに子持ち、子なしに分かれる。似たような境遇同士がくっつき、境遇が変わればまたグループ編成も変わっていく。

 そして境遇を測りあう。決して口には出さないが、どちらがより幸せか、あるいはそうでないか。

 不思議なことに、みな自分の不幸せには敏感だ。

 売れ残りの寂しい人生だと嘆いたり、高望みしたくないけど実は夢を見たがったり、人から奪った幸せを失うことに怯えたり、子どもがいないことを引け目に感じたり……。

 でも自分の幸せには、なかなか気づけない。

 裏返せば、幸せは気づいたもの勝ちということ。

 名は体を表す、というが、ブータンが綽名のように幸せ度高めに生きるには、なかなかキツイことが多い人生だろう。紗季の言うように「幸せぶって」生きていたのかもしれない。

 でも幸せぶることから、幸せは見つかる。

 不幸せを蔑んでいたら、そんな顔になってしまうから、ブータンは「笑顔」で居続ける。

 幸せは目には見えないけど、不幸せを決め込んだ人は多分幸せには見えない。

 誰よりも幸せ度高いブータン。幸せは経済的な豊かさもあるかもしれないが、それだけが幸せではない。

 たとえばブータンみたいな友達がいることは幸せと呼べる。たとえ会えなくても、幸せな時間は何度も思い出せる。思い出して笑ったり泣いたりできる、そんな友達がいることは、これ以上ない幸せだと思う。

『ブータン、世界でいちばん幸せな女の子』