阿川家に僕が出入りするようになったのは昭和四十年代の初頭からである。佐和子姫がまだ中学に入って間もない頃だったろうか。どういうわけか弘之大先生に気に入られ、書生の如く扱っていただいた。
大先生は周知の如く大変な食通であり、初めて夕食を御馳走になった時、みずから有名なドライマティニィを作って下さり、今夜は家内のライスカレーを御馳走する、家内のカレーは絶品である、と宣言されて奥様のカレーをいただいた。当時僕はカレーに凝っており、カレー評論家を自称していたので、どうだと意見を求められて
「正直な意見を云うんですか」
「勿論、正直に云いたまえ」
「松竹梅に分類するなら、竹の中、というところでしょうか」
大先生は吹き出され、台所に向かって大声で、オーイ! お前のカレーは竹の中だと! その日のうちにその話を岩田豊雄(獅子文六)先生に電話で報告。たちまち翌日奥様のところに岩田先生から速達が届いた。宛先の表示が「竹中華麗様」。この封筒は後日見せていただいた。そんなことから心許されたらしい。夏の避暑時の留守番とか、逆に別荘をお借りするとか結構阿川家には一時深入りした。深入りして一驚・感嘆したのは、とにかくこの家族の時代離れした男尊女卑の風習であり、それに唯唯諾諾と盲従する奥様と佐和子姫の江戸時代の女のような忍耐力だった。虐げられているから暗いかといえば、そんなことはない、明るいのである。
僕の祖父母は慶応生れの、それこそ江戸時代の人間だったが、ある日祖父が何かで激昂し、祖母に向かって出て行け! と怒鳴ったらその時祖母は全く怯えず「台所の隅にでも置かせていただきます」とそれから一週間台所で暮していた。幼時期のあの記憶が久しぶりに蘇った。
大先生の書かれた原作を、僕は何本か脚色している。その殆んどが私小説だが、阿川家ほどドラマの素材として面白い材料は見当らない。
暴君ネロが君臨してそれに従う一見柔順な妻と姫がいる。女二人はネロと全く性格がちがう。娘はむしろ母の血を引いており、いかにも柔順を粧ってはいるが、内心の程は傍目には判らない。このネロと妻、ネロと娘という全く異元素の生物たちが日々相対して化学反応を起こす。その化学反応の情況が、何とも面白いドラマを生むのである。
かつて一度だけこの家族をモデルにして、ネロ的やくざの親分と柔順な妻女というホームドラマを企画したことがあった。親分が若山富三郎。美くしい夫人が八千草薫さん、娘が若かりし大竹しのぶ。ポシャった。無念だった。しかし大先生の原作私小説を脚色した時は、大体ネロは芦田伸介、奥様は八千草薫が演じた。佐和子姫はこれらに登場していない。佐和子姫はその頃まだ全く目立たない、静かにして奥床かしい娘さんだった。
姫が突然テレビに出たり、物を書き出したりして世に出た時は、腰を抜かさんばかりにおどろいた。これまで猫をかぶっていたお化けが、突然外衣をかなぐり捨てその正体を見せたと思った。
大先生はどう思っておられるかと、ある日恐る恐る電話をしたら、老境に入りかけておられたかつてのネロは、一寸淋し気に電話口で笑われ、「近頃はサワコのお父様と云われてねぇ」と力なく溜息をつかれただけだった。ネロの哀しみを僕は感じた。
かつて瞬間湯沸かし器と恐れられた父の、その唐突なエネルギーと破壊力に抑圧されていた阿川佐和子という圧力釜が、突然釜の中の圧力を飽和状態にまで高めて爆発し、釜のフタを破壊し上にのっていた湯沸かし器をぶっとばし、聞く力を武器にこの世にいきなり踊り出た事態に、僕は殆んど呆気にとられていた。
僕にもかなり瞬間湯沸かし器の所がある。
前触れもなく突然爆発し、周囲を呆然とさせることがある。だから大先生の気持ちがよく判る。
瞬間湯沸かし器には湯沸かし器なりの、怒りの三段論法というものがあって、AがBだからBはCとなり、CはDとなって「判らんか‼」となるのだ。だがその内心の展開の速さが人に伝わらないから、「どうして? 何を怒ってるの?」となる。それを一々説明するのは、腹立たしいし馬鹿々々しい。そこで湯沸かし器は孤独な自己嫌悪に落込むのだ。
姫よ。
あなたも大先生の血を引いているから、いずれはそうなる。老いてそうなる。老人ホームの孤室でそうなる。その日を愉しみに待っていよう。