昔、イギリスで勉強された大学の老先生がいて、いつもすてきなスーツをりゅうと着こなしていた。
大学の教養学部は埼玉の、かなり奥地の方にあった。先生はその近くに住み、銀座でも新宿でもなく、近所の商店街の中にあるテーラーでスーツを作り、それに合うネクタイやシャツも全部、店の主人に言われるがまま購入し、そのままに着ていると言っていた。
その無造作ぶりがすてきで、何から何までイギリス紳士みたいだと思った。そんな先生は、ある世界的なコレクションをお持ちだったのだが、亡くなったあと、そのほとんどをイギリスの大きな博物館に託された。
『リボンちゃん』に出てくる「テーラー城崎」はきっとそんな店だったのだろう、と思いながら読んだ。
物語の舞台となる、その店を経営しているのは、三十三歳の主人公、百花の伯母、加代子さんだ。
「テーラー城崎」はアーケード商店街からそれた路地の一角にあり、少し引っ込んで建っている上に、店の前に桜の木があるのでなかなか客が「たどりつけない」。そして、「たどりつけない客は、この店に縁がないってことだ」という店の経営方針により、目立った看板も出さずにやってきた。
義父や夫亡き後、テーラー城崎はもうスーツの仕立てをしていない。幼稚園や保育園、小学校指定の体操服入れや履き物袋を作り、ズボンやスカートなんかの裾上げやリフォームなんかで細々と生計を立てている。
加代子さんは洋裁学校に行っていて、ちゃんと紳士服を作る知識は持っている。だけど、義父たちに「仕立て屋っていうのは男の仕事だから」とにべもなくはねつけられ、作業場に入れてもらえなかったらしい。
百花はいつも頭に大きなリボンをつけており、加代子さんからは「リボンちゃん」と呼ばれている。
彼女は自称「よくわかんない店」に勤めている。倉庫を改装した店で海外ユーズドの家具や洋服、雑貨を売っていて、時にはその二階でカポエイラ教室をやったりしているのだ。そして、そこの社長から、「できる人だけど、なにをやりたい人なのかがよくわからない」などと心配されている。
そんなテーラー城崎に近くの精肉店の女性から、昔買ったお気に入りのビスチェのリフォームの依頼が持ち込まれ、百花は加代子さんから頼まれて手伝う。それ以後、曜日によって柄の違うショーツや、中学生用の透けないキャミソール、半身不随になった女性のための下着など、さまざまな依頼が持ち込まれるようになる。

なんとなく、「寺地さん、今回はテーラーを舞台に、手芸なのね」と思いながら読み始めたのだが、下着を扱うこと、それは本当にかなり個人的な、その人の内面に触れることなんだなあ、と改めて気づかされた。
そう考えると、私はここ何十年も下着にも洋服にもあまり気を遣わずに生きてきたような気がする。つまりはあまり自分自身には関心を持たずに生きてきたのではないか……と省みたりした
そう、寺地さんの小説を読んでいると、時々、ふっとその手を止めて「こうなのかな?」「ああだったかな?」と自分に置き換えて考えてしまう。
ストーリーを楽しめるのはもちろんなのだが(今回ますます、その運びに磨きがかかり、あっという間に読み終えた)、楽しい友達との会話がすごいスピードで進んでいたとしても、その中に立ち止まって考えたり、あとで気づかされたりすることがないわけではないのと同じように、たくさんの学びを運んでくれる。
例えば、寺地さんの小説は、ずっと「他人が自分を傷つけること」そして、その「自分が他人を傷つけてしまうこと」に注視して書かれてきたように思うが(主題は別にあっても、その根底に絶対に忘れられない問題として低いベースの音のように響いている)、百パーセント、人を傷つけないことが可能だと書いているわけではない。傷つけてしまうかもしれない、だけど、私たちはそれを正したり、反省したり、また元からやり直したりできるかもしれない、ということを教えてくれているような気がする。
ところで、大阪で下着のデザイナーというとすぐ鴨居羊子さんを思い浮かべてしまう。「ゆったりとした奇抜なデザインやカラーの下着を身につけることで生まれる精神的自由の尊重を提唱」され、故田辺聖子さんなどとも交友のあった方だ。もしかして、この中に鴨居羊子さんをモデルにした人がいたりするのかな、と予想していたけど、わからなかった。だけど、ゆったりとした奇抜なデザイン、精神的自由……というのが、寺地さんの小説やリボンちゃんの下着にちょっと通じるところがあって、次にお会いすることがあったら、鴨居羊子さんを考えたりしたの? と聞いてみたい気持ちになった。
最初に私が書いた、イギリス紳士のような先生とテーラーの関係だが、それは美しい幻想にまみれている。でもそれは、加代子さんのような人を閉め出すことで出来上がった空間だったかもしれないのだ。
コレクションだって、日本の博物館が「ぜひ、うちに」と所望していたけれど、先生は「日本にはそれを置いておける施設も、能力もないから」と断ってイギリスに送ってしまった。厳しく、美しいお話であるけれども、一面、誰かを傷つけているのかもしれない。
私は小説家なんてしているけれど、どうもそういうところには疎いところがある。
寺地さんの小説を読んでいる間、奇しくも今作の最後で、加代子さんが助手席に座る自動車を運転する百花のように、「原田さん、ほら、その道は違っていますよ」とか「ハンドルが少し曲がっていますよ」とそっと袖を引いてもらっているような気がしたし、これからもずっとそうであってほしいと願う。
◆本の紹介
幼い頃から可愛いものが大好きで、頭のリボンがトレードマークの百花。”よくわかんない店”で働きながら、マイペースに日々を過ごす彼女は、あるとき伯母の加代子が営むテーラーを手伝うことになる。女性であることを理由に、紳士服を作ることが許されなかった加代子は、夫亡き後、日用品を中心に製作しているが、あるとき「下着のリメイク」の依頼が届き、手芸好きの百花の力を借りることにしたのだった。
下着にまつわる固定観念を軽やかにすり抜け、読む人の心をそっと解きほぐす物語。
◆評者プロフィール
はらだ・ひか
1970(昭和45)年、神奈川県生れ。2005(平成17)年「リトルプリンセス2号」でNHK創作ラジオドラマ大賞受賞。2007年「はじまらないティータイム」ですばる文学賞受賞。著書に『ランチ酒』『三千円の使いかた』『財布は踊る』など。最新刊は『一橋桐子(79)の相談日記』。
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