『真田武士(もののふ)心得〈一〉 右近純情』(井原忠政 著)文春文庫

 累計150万部を突破した「三河雑兵心得」シリーズ、26万部突破の「北近江合戦心得」シリーズで人気を博す、時代小説作家・井原忠政さん。新たに「真田武士心得」シリーズが刊行され、「井原戦国三部作」が幕を開けた。

 徳川、豊臣の天下取りを描いた前2シリーズに対し、今作は天下に翻弄される側の真田家が舞台。主人公は実在の武士・鈴木右近(うこん)だ。井原さんはなぜ無名の人物を選んだのか。

「『三河雑兵心得』の主人公・植田茂兵衛はトボけたおっさん、『北近江合戦心得』の大石与一郎は感受性豊かなイケメンです。何れも架空の人物ですが、3作目は全く違う存在を、と考えたとき、心も体も“野人”のような人物を書きたくなった。その時、歴史の片隅にいた右近に出会ったのです」

 右近は名胡桃(なぐるみ)城事件(北条氏側の猪俣邦憲〈いのまたくにのり〉が偽の文書を使って真田氏の城代・鈴木主水〈もんど〉を城外に誘い出し、その隙に名胡桃城を占領した謀略事件)で両親を失った嫡男・小太郎(こたろう)が、成長し名乗った名だ。

「最初はかわいそうな子どもだと思っていただけなのですが、調べていくうちに、非常に珍しい壮絶な最期を遂げたことがわかりました。最初と最後以外ほとんど記録が残っていない人物ですが、それゆえ物語になると確信したのです」

 復讐を誓い、叔父でもある仇敵・中山九兵衛(きゅうべえ)を追いながら剣の腕を磨く一方、主君・真田信幸(のぶゆき:のち信之)とその妻・稲姫(いなひめ:小松殿)に強い愛情を抱く。

「右近は真田家中では、城を奪われた間抜けな城代の息子として白い目で見られ、ひねくれた性格に育っていきます。そんな中、彼は『真田家に仕えている』とは思っておらず、信幸夫妻に心酔している。現代の言葉で言えば“推し活”に近い。仇討を志すのも親孝行や義務感ではなく、感情の爆発ゆえなのです。それを表す言葉が、タイトルの『純情』でした」

 衝動のままに生きる右近。その姿は、忠義や仁義などの武士の道徳が尊ばれ、一方で謀略が渦巻き裏切りも当然の戦国時代において、あまりに異質だ。特に、権謀術数の権化である真田昌幸(まさゆき)にとって、右近の存在は“天敵”だと、井原さんは語る。

井原忠政さん

「昌幸の中にも、かつては右近のような『純情』があったはずです。しかし、真田家を守るためにそれを押し殺さなければならなかった。だからこそ、感情のままに生きる右近が眩しく、そして苦手としている。

 昌幸の嫡男・信幸は、そんな右近を“猛獣使い”のようにして父をコントロールしようとします。当の右近は全く気づいていないのですが……(笑)」

 純情一途な右近だが、その外見は「熊」とあだ名をつけられるほどの巨体で、無骨な若者だ。しかし、主君の稲姫から下賜された鎧は鮮やかな「緋縅(ひおどし)の鎧」で、アンバランスさが際立つ。

「『機動戦士ガンダム』に登場する『MS-06S シャア専用ザクⅡ』という赤い機体を思い浮かべながら書きました。あのゴツイ感じが、なんだか右近にしっくりくるかな、と(笑)」

 史実の隙間を想像で補い、現代に通じる人間像を描く――それが井原流の歴史時代小説だ。

「戦国の人も現代人も、組織の中で理不尽に耐えて生きるのは同じ。だから読者には共感してほしいし、右近のような生き方を羨ましいと思ってもらえたら嬉しいですね」

 第二巻『真田武士心得〈二〉 関ケ原純情』も好評発売中。天下分け目の決戦に臨む右近の成長にも、要注目だ。

いはらただまさ/2000年、城戸賞入選、経塚丸雄名で脚本家に。『鴨川ホルモー』などの脚本を担当。16年、『旗本金融道』で小説家デビュー。20年、筆名を井原忠政に変えて「三河雑兵心得」シリーズ、22年、「北近江合戦心得」シリーズを刊行開始。