諸田 向田邦子さんというと生き方に目が行きがちなんだけど、ほんとに向田さんという人を知りたかったら、文章を読んでもらいたい。雰囲気で好きというだけじゃなくて、作品から深さを知ってほしい。向田さんの〈凄さ・恐さ〉は読まなければわからないですから。私は自分が向田さんの作品しか知らなくて、ただそれが好きでノベライズをしたから、とくにそう思うんです。それと、向田作品で注目してほしいのは、会話で説明をしないところですね。
鴨下 日本の作家は、たいていは地の文より会話のほうがうまい。漱石も谷崎も全員テレビライターにしたいぐらいです。それにもかかわらず、向田さんの場合は明らかに会話よりも地の文章をうまく書いているんだよね。たぶん散文を書くということは地の文章を書くということだ、という決め事が自分のなかにあったんだろうな。
向田 直木賞をいただいたあとに、「小説で賞をいただいたから、絶対に質を落とせない」と姉は言いました。直木賞をとって吉兆で御馳走してくれた帰りに「直木賞を貰ったからには、テレビ界の人間が質を落としたと言われるのが嫌だ。これからは気を入れて書く」って。テレビドラマを書いている脚本家は、ちょっと下に見られている時代でしたから。
諸田 台詞がうまいと褒(ほ)められるだけじゃ満足しないというか、むしろ地の文がうまいと褒められたかったんですね。
鴨下 直木賞をとったときに、テレビ界は全員「おめでとう」と思ったけど、反面では、「また台本が遅れる、困った」という本音もあったと思いますよ(笑)。
向田 姉自身は、すごく不安だったと思います。テレビドラマやエッセイは何となくわかるけど、小説をどうやって書くか…… 。とても不安そうに「これでいいの?」という感じで編集者に渡している姿が、とても記憶に残っています。
鴨下 英雄も天下国家も出てこないマイナーな話ばかりなのに、それがいまや国民文学になっているなんて信じられない。でも、きっと時代が向田さんを求めているんですよ。じつはいま、向田さんが活躍した昭和四十年代に状況がものすごく似ているんです。四十年代は、万国博覧会、ハイジャック、浅間山荘事件、オカルトブームと、とても混乱した時代です。その中で向田さんは営々と作品を書いてきた。いま、平成二十年代という混乱期の中で『向田邦子全集』の新版が出版されるのは、これもまた時代が求めていることなのかもしれません。
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