法で裁けない悪人を成敗する復讐代行グループの活躍を描く中山七里さんの人気シリーズ〈ハングマン〉。その魅力はどこにあるのか、書評家のあわいゆきさんに語っていただきました。
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銀行に足を運ぶと、必ずといっていいほど誰もが目にする——それなのに記憶に残りづらく、当たり前に通り過ぎてしまうものがある。
それは、オレオレ詐欺に対する注意喚起だ。
私たちはオレオレ詐欺の広告が目に入るたびに思う。こんなものに引っ掛かるはずがないだろうと。みすみす赤の他人に騙されて大金を振り込んでしまう誤った「判断」を、下すわけがないと。鼻で笑ってしまって、結果的に一瞬で忘れる。
しかし、自分が誤った判断を下すわけがないと、なぜ決めつけられるのだろう? どれだけ司法が秩序立っていても冤罪が起こり得るように——何人ものプロフェッショナルが関わっていても、誤った「判断」は発生する。それなのに個人のスケールで正しい判断を常に下せるわけがない。だから私たちはときに強く後悔し、誰かを恨み、いちど下した/下された判断の覆せなさに苦しむ。
しかし、そんな苦しみを解消してくれる存在がいたとしたらどうだろう? あきらかにおかしいにもかかわらず、司法的には大きな罪に問えない手続きを踏んでいるから手が出せない……。そういった相手を葬るべく暗躍する私刑執行人が、目の前にあらわれたとしたら。
なんと私刑執行人は小説として描かれることで、私たちの目の前にあらわれた。それこそが中山七里さんの描く、復讐代行グループ〈ハングマン〉シリーズだ。属しているのは警視庁捜査一課に勤めている春原瑠依、城南大学に通う学生の比米倉内記、元刑事で現在は私立探偵をしている鳥海秋彦。
プロフィールのみを記すと不穏な要素のない3人にも思えるが、その実態は復讐代行グループに相応しく、法律からの逸脱をものともしない。春原は警視庁に勤めている立場を利用して、警察内部しか入手できない情報をグループに流す。比米倉は類稀なハッカースキルを操り、街中にある監視カメラや電子機器をことごとく支配下に置く。そして鳥海がずば抜けた頭脳を活かして作戦を立て、ターゲットに対する復讐——殺害を実行する。その暗躍っぷりにはある種の爽快感があり、この逸脱っぷりを楽しんでもよいのだろうかと後ろめたい快楽も伴うことで、一級のエンターテイメントとして仕上がっている。
ただ、〈ハングマン〉も一切の感情なく殺人を犯せるわけではない。むしろ殺人に加担する「判断」は、途方もなく重たい後悔を生涯にわたって背負うことになる、ともすれば誰よりも苦しむことになる選択肢でもあるだろう。
では、なぜ殺人を犯す判断を〈ハングマン〉は下すのか、あるいは下せてしまうのか?
それは冷静な判断力を鈍らせる最も大きな原因であり、私たちが人間である限り逃れられない概念——「私情」が深くかかわっている。
たとえば1巻にあたる『祝祭のハングマン』は春原瑠依が〈ハングマン〉として鳥海と比米倉の仲間に加わるまでを描いた物語だ。その背景にあるのは、春原の父親も勤務している中堅ゼネコン会社の社員の連続不審死。明らかに悪意を伴った連続殺人にもかかわらず巧妙に事故として偽装されているため、春原は警察として捜査しながらも、核心に至る証拠を見つけられない。さらに春原の父親までもが巻き込まれ、亡くなってしまう。
どう考えても父親は殺されたのに事故として処理され、さらには父親が被害者となったことで捜査からも外されてしまう——自ら動きたいのに動けない春原が陥るのは、周囲に対する不信であり、犯人に対する強い憎しみだ。そしてその憎しみは、「警察」として本来守らなければいけない規律に不自由さを感じさせ、「娘」である私が自ら事件を解決せねば——犯人に復讐をしなければと、判断力を鈍らせる。警察であれば本来当たり前に備わっているはずの倫理感覚と燃えたぎる復讐心のあいだで板挟みになった春原は、やがて復讐代行グループ〈ハングマン〉と関わりをもつ決断をする。その顛末をリアルに描くことで、〈ハングマン〉が背負っている復讐という行為がいかに重たく、追い詰められた末の最終手段なのかを示すのだ。
また、2巻にあたる『ハングマン 鵜匠殺し』でも、人間に備わっているはずの判断力を私情によって鈍らせていく過程が、現代に蔓延る「闇バイト」「オレオレ詐欺」「劇場型投資詐欺」といった事件を通じてさらに深く描かれていく。作中で詐欺に遭った人々がつられるのは「割のいいバイトの誘い」「おカネばらまき企画のリポスト」「未公開株の投資の誘い」と、見るからに怪しいとわかるものだ。しかし、生活の先行きもわからない切迫した状況下においては、そうした甘言が、天から垂らされた蜘蛛の糸のようにうつる。堅実に生きてきたはずの人間が道を踏み外してしまうさまを切実に描いた筆致は、冷静な判断ができていればこんな詐欺に騙されるはずがないなどと、無神経な自己責任の押し付けを許さない。
いくつもの詐欺をめぐる物語はやがて、それらのすべてに関わっているらしい〈ショウ〉と呼ばれる黒幕の存在に近づいていくことになる。闇バイトやグループ詐欺は、恵まれない人間に誤った「判断」をするよう誘導することで罪を被せるシステムが出来上がっており、捜査をしても大元となる黒幕まで辿り着けないことも多い。そのシステムをいかに食い破って巨悪を打ち倒せるか——〈ハングマン〉が挑むのは、法の隙をつくことで罪から逃れようとする悪質な犯罪だ。
それは言い換えれば、ときに誤った判断を下してしまう人間の——あるいは人間によってつくられる社会の——不完全さを悪用する人々に対する抵抗ともいえるだろう。
そして〈ハングマン〉の最たる魅力は、自分たちこそが正しいと盲信しているわけではないところにある。彼らは決して殺人を正当化するわけではない。あるいは開き直るわけでもない。法律が裁けない巨悪を裁こうとする彼らに備わっているのは、誤った判断を下してしまう人間の不完全さを利用するのではなく、自ら引き受けようとする覚悟だ。「罪を犯している」という点では変わらない〈ハングマン〉と巨悪との確固たる線引きは、罪の覚悟によってなされている。
〈ハングマン〉シリーズはまだまだ続く。彼らが果たして正義なのか悪なのか、あるいはそのどちらにも属していないのか——これからも慎重に読み進めながら判断していきたい。
あわいゆき
2000年生まれ。文筆家・書評家。現在は都内の大学院で芸術学を専攻し、国内最新の文芸を幅広く読む。書評やレビュー、インタビュー記事などを中心に、各媒体に寄稿している。
〈ハングマン〉シリーズは第1巻『祝祭のハングマン』が文春文庫で、第2巻『ハングマン 鵜匠殺し』が単行本で好評発売中です。










