「三回目の候補で受賞できてよかった」「僕も三回目の候補で受賞。三回目ぐらいまでが楽しめるかもね。そこから先はだんだん楽しめなくなってくる」〉から続く

『極楽征夷大将軍』(上下)文庫化に際して、2023年に本作で直木賞を受賞した垣根涼介さんと直木賞の先輩でもある池井戸潤さんとの受賞記念対談を、2023年「オール讀物」9・10月合併号から再録します。

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時代小説を書く難しさ

池井戸 そもそも歴史小説って、普通はすぐ書けないじゃない。

垣根 いやいや、池井戸さんなら書けますよ。

池井戸 書けない。だって、たとえば着物の着方とか、当時の小物の名称とか、どんなご飯が出てきてとか、そういう風俗の知識がないし、全然分からないから。

垣根 僕だって分からないですよ。

足利市鑁阿寺を取材する垣根さん

池井戸 今回の『極楽征夷大将軍』で、冒頭に幼い頃の足利兄弟の会話が出てくるじゃない。あそこで「梅雨」っていう言葉が出てくるよね。それを見て、「あれっ?」と思って。「梅雨」って鎌倉時代でも言ってたのかなと、すぐ調べた。そしたら当時、「梅雨」って言葉がしっかりあったんだよ。垣根さん、すごいなと思って。ちゃんと調べてるんだと思って。

垣根 いや、すみません。調べてなかったですね(笑)。

池井戸 えっ、調べてないの? なんだよ(笑)。いつ、どんな言葉が使われていたって難しいでしょう。仮名の音ひとつとっても今よりもっと数が多かった時代もある。この時代にどんな言葉があって、何がなかったか……。

垣根 それは、最低限は必ず調べますよ。

池井戸 歴史の背景だとか、考察とか、しっかり勉強したの?

垣根 もちろんです。僕、こう見えて努力家ですよ(笑)。

池井戸 どのくらい? ゼロからじゃないよね。垣根さんは学生時代は日本史を専攻してた人なの?

垣根 いや、世界史でした。

池井戸 僕と同じだ。じゃあ徳川幕府よりもブルボン王朝のほうが詳しかったりするんじゃないの?

垣根 どっちもそんなに詳しくないですよ(笑)。何だろう。歴史が好きっていうより、僕の今の書き方で小説の優位性を生かすためには歴史小説に行ったほうがいいな、というところから必要に迫られて勉強して、こういう書き方になったんです。だから多分、歴史好きの方のアプローチではないと思いますね。

垣根 例えば、今回の足利尊氏だと、大河ドラマの『太平記』が有名ですけど、あの勇ましい尊氏像に違和感があったんです。僕は違和感がまず最初に来ますね。「この人は本当は、そんな人じゃなかったんじゃないかな?」って。

池井戸 そんなこと思うのがまずすごいよね。僕は大河を見ても思わないね。

垣根 僕が池井戸さんだったら、岐阜に生まれてなんて幸せなんだろうと思ってますよ。

池井戸 どうして?

垣根 書く武将がいっぱい居るからです。織田信長でしょう。可児才蔵……。

池井戸 斎藤道三とか?

垣根 そう、斎藤道三とか。明智光秀だってそうです。日本の有名な武将って半分ぐらい岐阜から出ていたり、関係していますからね。

池井戸 これまでまったく目につかなかった。

垣根 たぶんそこに興味がないから目につかないんですよ。

池井戸 そうだね。武将は全くスルーしていて、僕の目についたのは消防団というわけで(笑)。

垣根 池井戸さんは、そっちの方が好きな人なんです。

 

お互いの小説観を探る

垣根 昔からよく思ってたんですけど、池井戸さんって、発言がひとつひとつ常に地に足がついている。

池井戸 そんなことないよ。結構テキトーなこと言ってるよ。

垣根 いやいや。世の中の仕組みが見えたうえで物事を言っている。だからもし、池井戸さんに歴史時代小説を書いてもらえるなら、岩崎弥太郎を書いてほしいな。

池井戸 岩崎弥太郎か……。

垣根 あとは、大隈重信も。結構いけるんじゃないかな。

池井戸 書けないんだよ。この前、福沢諭吉を書こうかと思って、構想を練り始めたんだけど……。

垣根 えっ? 書く気満々じゃないですか。

池井戸 彼が若いときに大坂の適塾に行って勉強するんだけど、その当時の風俗が全然書けそうになくて。雰囲気が分からないんだよね。

垣根 それは書かなくていいじゃないですか。

池井戸 まあ、いいかもしれないけど、全く分からなくて書かないのと、分かっててあえて書かないのは違うでしょう。本当にこれでいいのかって疑問に思うとそこで止まっちゃうわけ。『半沢直樹』だったらもっと簡単に書けるわけだし。

垣根 せっかくの機会なので、もう少しいろいろと普段聞けないことを聞いてみてもいいですか?

池井戸 僕に聞いてみたいこと? 何でしょう。

垣根 池井戸さんは、「みんな知ってはいるけど、よく分からないお金の話」みたいな新書やビジネス書は書かないんですか? 例えば、銀行の信用創造ってあるじゃないですか。銀行が預金と貸し出しを連鎖的に繰り返すことで、お金が増えていくって話ですが。それって銀行が通帳にゼロをいっぱい書くだけで、実際にお金がないのにお金があることになっちゃうとか、理屈は分かっても、なんか気持ち悪くてモヤモヤする。

池井戸 それをノンフィクションとして? だったら書かない。

垣根 それはなんでですか?

池井戸 他に書く人が居るので。他の人でも書ける内容のものを僕が書く意味ってないじゃない。作家で一番大事なのはやっぱりオリジナリティだし。僕がそれを書くとしたら小説にする。

垣根 やっぱりそうですか。

池井戸 例えば、銭関係の探偵、《ゼニ探》みたいなキャラクターを作って、そのキャラクターが信用創造みたいなお金周りの謎を解いていく短編集にする。読むと面白おかしくその仕組みが分かるみたいな。そういうものだったら僕が書く意味があると思うんですけど。

比叡山延暦寺 根本中堂の石碑 ©アフロ

貨幣経済の仕組みが最も発達していた「応仁の乱」直前

垣根 僕がそもそもなんでこの話をしたかというと、実は、経済に興味を持ち始めたのが、『室町無頼』という作品を書こうと思って中世の資料を見ていたときなんですね。資料を読むと、官寺の比叡山延暦寺が資産運用として金貸しをして、庶民を泣かせてたんだと知った。これまで哲学書とか思想書は結構読んできたけれども、それだけを知っていたとしても、世の中のほんの片面しか見てなかったんだなってことにすごいショックを受けたんです。そのショックが『室町無頼』に繋がった。そこから、お金って何だろうってすごく考えるようになったんですよ。それまで、お金なんて全然興味がなかったのに、お金って動かさないと腐るんだということも分かった。さらに調べていくと、明治以前で、最も貨幣経済の仕組みが発達していたのが、実は《応仁の乱》の直前だった。さっきの比叡山の話と合わせて、これは書く意味があるな、と思いましたね。

池井戸 そういう観点から書いているとは全く思っていなかった。確かに『室町無頼』でお寺がお金を貸していたという話は「へえ」と思って関心を持って読んだおぼえがあるけど。あのエピソードが根っこにあって、そこから膨らんだ話だったんだ。

「ウォール街のプロが厳選したヘッジファンドは、長期的には何の変哲もないインデックスファンドに負けてしまう。僕には足利尊氏の人生がインデックスファンドに重なって見えた」〉へ続く