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真田幸村物の「定本」決定版。歴史の信繁、文学の幸村(後編)

真田幸村物の「定本」決定版。歴史の信繁、文学の幸村(後編)

文:高橋 圭一 (大阪大谷大学教授・江戸文学研究)

『真田幸村』 (小林計一郎 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

     ○

『厭蝕太平楽記(えんしょくたいへいらつき)』は大坂の陣に取材した実録の代表作である。前節に列挙した幸村を始めとする大坂方の活躍、家康の危難等はこの作に集約されている。成立は、かつては幕末と推測されていたが意外と早く、明和年間(一七六四~七二)以前のことらしい。十八世紀後半には、大坂ではこの本を種に講談も読まれていた。徳川方が連戦連敗し、家康・秀忠共に切腹しようとする過激な本作は、現存する物すべてが手書きの写本。にも関わらず、古書店のカタログには、しばしばごく安価で登載されている。このことは残存する本の夥しさを証明しているのであって、江戸時代中期以来の人気の程が窺える。

 それ以前の作品にあった家康礼賛の姿勢がなくなり、家康が全くの悪役になっていることが本作第一の特徴である。鐘銘事件では自分を呪う意などないことを知りつつ、大坂攻めの口実とする。加藤清正を毒殺するのも、片桐且元を大坂城から追い出させるのも家康である。戦さは下手で、秀忠ともども幸村に追いまくられて逃げまどっている。

 幸村は、片桐且元に軍師としての才能を保証され、彼にスカウトされて入城し、直ちに小幡景憲を関東の間者と暴いて、一味の者と共に追放する。『難波戦記』の怨みを晴らしている。入城前から片桐と相談して準備をしてきた出丸には、銅蓮火砲という武器を備える。幸村は大坂城中の総軍師として、後藤基次・木村重成・長宗我部盛親・息子大助の「四天王」を始めとする諸将を、自由自在に働かせる。大坂方が勝利した鴫野・今福の戦い、塙団右衛門の夜討ち等は、すべて軍師幸村の命令に従って行われた。幸村は関東方の動きを天文によって残らず見通しているので、戦いに負ける理由が無い。また家康の居場所を、頭上に立ち昇る黄気によって正確に察知し、度々狙撃するものの、運のやたらと強い家康に常に今一歩のところで逃げられてしまう。夏の陣、平野(ひらの)の大焼き討ちでも、大勝利は得たが家康を仕留めることはできず、幸村は秀頼とその子国松を守護して後藤基次らと薩摩へ行く。幸村は当初秀頼らを受け入れなかった薩摩の武士たちを、自らの機略によって信服させたが、やがて薩摩の地で病を得て没する。秀頼も幸村の後を追うように亡くなる。

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 軍師について、少し説明を加えておこう。軍師が活躍したのは、戦国末の精々数十年の間のことであった。その軍師が、泰平の世には軍学者となった。高名な軍学者として、甲州流の祖小幡景憲、その分れである北条流の祖北条氏長、山鹿流の祖山鹿素行等が挙げられる。軍学者は『孫子』『呉子』『六韜』『三略』『太平記』さらに『難波戦記』などを、大名やあるいは弟子たちに講義し、注釈書を編み、軍(いくさ)の記である軍記を著作した。

 軍学者たちは世が世なれば己れは軍師として采配を揮ったとして、自作中に軍師を創作したがった。彼等が著した近世軍記の主役は軍師である。前掲『川中島の戦』には、宇佐美駿河守定行(海音寺潮五郎氏『天と地と』の重要な脇役)が、謙信の軍師などではなく、実は定満という名で謙信配下の将校の一人にすぎなかったようで、『北越軍記』の筆者で紀州藩の軍学者宇佐美定祐が自分の先祖のことをわざと大々的に書きたてたものであろう、との指摘がある。

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真田幸村
小林計一郎・著

定価:本体1,050円+税 発売日:2015年10月20日

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