武川佑の最新作『悪行の王 切支丹陰陽師』は、陰陽師でありながらキリシタンに改宗した実在の人物・賀茂在昌と、戦国武将であり歌人としても知られる長岡藤孝(のちの細川幽斎)がバディを組み、本能寺の変へと至る戦国京都を縦横に駆け巡る歴史ミステリだ。
戦国時代を舞台とした作品を中心に活躍し、大藪春彦賞を2025年受賞した武川が、今回初めて畿内を主舞台に選んだ理由とは? 夢枕獏「陰陽師」への敬愛ゆえの葛藤、キャラクター造形の試行錯誤、そして本能寺の変をめぐる独自の歴史解釈まで、たっぷりと語ってもらった。
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頭の引き出しに眠っていた“切支丹陰陽師”
――賀茂在昌というキリシタンの陰陽師に注目された理由から聞かせてください。
武川:以前に何かを調べていたときに、たまたまキリスト教の洗礼を受けた陰陽師がいたということを知りまして、面白い人がいるなと思って頭の片隅に置いていました。ただ、やはり史料がそれほど多くない。陰陽道に関する論文はいくつか出ていますが、それだけでは書けないな、何かほかのものと絡めたり、何かテーマがないと書けないなという感触があって、一応ストックとして頭の中に収めていたんです。
――そのアイディアが動き出したのは、どんなきっかけでしたか。
武川:2022年に小説誌の「オール讀物」から、夢枕獏先生の「陰陽師」シリーズ35周年を記念した、陰陽師トリビュート執筆のお話をいただいたときです。最初は武田の陰陽師にしようかと迷ったり、いろいろ試行錯誤する中で、私の印象に非常に残っている、夢枕先生の名短編「ものや思ふと……」(『陰陽師 付喪神ノ巻』所収)には、歌を詠むことの大好きな鬼が登場します。
安倍晴明と遭遇し、最後に鬼はどこかに消えてしまうのですが、その鬼がどこへ消えたのか……後日譚として書いたのが「遠輪廻(とおりんね)」という作品です。戦国時代を舞台にこの話を書こうとすると、最初は「歌だったらやっぱり長岡藤孝かな」という発想が浮かびました。そこに陰陽師を配置するとしたら、「あいつだ!」と思って、賀茂在昌が頭の引き出しから出てきたという感じでしょうか。
――戦国武将たちと陰陽師の関係は、当時どういうものだったのでしょう。
武川:やはり戦に行くときに吉凶を占うという役割がありましたし、たとえば有名な長篠合戦の屏風絵にも、織田方に六芒星の縫い取りの羽織を着た、陰陽師らしき人物が描かれています。大体どこの大名も陰陽師、あるいは卜占的なものを必ず頼っていましたし、同時に暦を読むというのも彼らの重要な仕事でした。
夢枕獏「陰陽師」シリーズへの愛と葛藤
――そもそも武川さんが陰陽師に興味を持ったきっかけも、夢枕獏さんの「陰陽師」シリーズだと聞いています。
武川:高校時代に「陰陽師」の大ブームがあって、実は岡野玲子さんの漫画版から入ったんです。私は漫画っ子なので漫画から先に読んで、それから夢枕先生の原作を読みました。本当に衝撃を受けましたね。
日本におけるファンタジーといっていいのか分かりませんが、歴史と妖怪、人ならざるものとの関係。「ゆこうゆこう」ではじまる物語、晴明と源博雅との会話の読後感、お酒を飲んでいるシーンとか、すべてが心を奪うものでした。
――今回「陰陽師」ものを書くにあたって、夢枕さんの文体などを意識されましたか。
武川:陰陽師トリビュートのお話をいただいたとき、文体を寄せてみたいと思って写経したんですよ。でも、すぐに無理だと思いました。夢枕先生の文章は、ごく短い一文と一文の間に、書かれていないイメージの奔流があって、それを全て切り捨てて、残した一片の美しい文字だけを一文として入れている。そのすごさがよくわかって、私にはどうやっても真似できないな、と。
夢枕先生ご自身がトリビュートをお許しくださったとはいえ、愛読者である私と書き手の私の間では常に葛藤がありました。私の中の愛読者としての自分が「お前ごときが」と言うものですから(笑)。
バディは「かっこいいおじさん同士」では成立しない!?
――長岡藤孝はこれまでもさまざまな作品に登場する有名人物ですね。武川さんが改めて藤孝に注目された理由を教えてください。
武川:二条流の古今伝授を授かり、のちに細川幽斎と名を改めて一流の文化人だったことは間違いないですが、正直なところ、戦国のゲームチェンジャーかと問われると少し難しい。ただ、歌と陰陽師というテーマを軸にしたとき、藤孝という人物の「複数の顔」がものすごく面白かったんです。武将でありながら歌道の継承者でもあり、明智光秀とは長年の盟友でもある。このバランスは書き応えがありました。
――在昌と藤孝、バディとしてはどのように仕上げていきましたか。
武川:最初、賀茂在昌はもう少し物分かりのいいおじさんという設定だったんです。でも、いざ藤孝と組み合わせてみると、「かっこいいおじさんとかっこいいおじさんが話している」という状態になってしまって、全然うまくいきませんでした(笑)。
これは違うと思ったのですが、藤孝は史実上のスタンスがあるのでキャラクターをあまり変えようがありません。ならば、在昌をもう少し言うことを聞かない奴にしてみよう、と。そうして、織田信長の命令にさえごちゃごちゃ言うところを、藤孝がたしなめる掛け合いにしたら、するっとうまくいきました。
もともと在昌は嫡子ではないにしろ、陰陽師の家に生まれながらキリスト教に改宗して出奔するという、ある意味で大胆な決断を現実の人物として下しています。それを考えると、物分かりのいい人ではなくて、もう少し行動力があって自我の強い人だったはずで、都での官位とか、賀茂家の後を継ぐとか、そういうことにはあまり興味がなかった人だろうというところから、今のキャラクターが作られていった感じです。
作中での在昌にかなり口が悪い場面もあるのは、ちょっと夢枕獏先生の「陰陽師」に出てくる蘆屋道満への憧れかもしれないですね(笑)。在昌はトリックスター的な要素があって、不思議な服装をしているし、ちょっと斜に構えたところもある。
どちらかというと源博雅に似ているのは在昌ではなく、藤孝のほうかもしれないですが、博雅ほど心がきれいでも純粋でもない。最後のほうでの明智光秀との関係性ではすごく純粋な側面も見えるけれど、自身の出陣の理由を息子の忠興に言い聞かせる場面では、まだ計算が働いていてというような、より複雑な人物として描きました。
本能寺のクライマックスへ向かう「暦」の謎
――武川さんはこれまで武田や上杉もの、東国の武将を書かれてきたイメージが強いですが、今回の作品は近畿地方が主な舞台になりました。
武川:そうなんです、畿内の武将を本格的に書くのはほぼ初めてで、有岡城攻めを描いた1話目(鯨観音)はどこまで行くのかな、という若干の手探り感で書きはじめました。それでも、クライマックスのひとつとして本能寺の変があるだろうな、というのはなんとなく構想としてはありました。
武田の陰陽師も書きたいと思ってはいて、『甲陽軍鑑』でも民間陰陽師のような存在が確認できます。ただ、信玄は後半生に天台宗に傾倒しており、陰陽師をそれほど重要視していない感じもしました。うまくはまるかなと考えたとき、やはり畿内のほうがやりやすいとも考えたんです。
――作中では暦のずれという要素も、後半に進むにつれて大きな軸になっています。
武川:当時の宣明暦は制定から700年ほど経っているので、実際にずれていたのは確実です。日月食の予想も何度も外れているというところで、そのずれをもしかしたら本能寺の変で使えるかもしれないと思いついたのが「首二ツ」を書いていたときでした。
実際、天正10年(1582年)1月、当時の陰陽師頭だった土御門久脩や在昌らが安土城に呼び出されて、信長から当時の暦について諮問されています。おそらく、それは武田攻めがあったからで、京暦と東暦(三嶋暦)に差があると、連絡や作戦遂行のときに不便が生じる。この日に攻めてね、と言っても実は日付が違っていたということになると困ることから、何とかしたいという強い意識が芽生えていたんだと思います。
陰陽師が暦と深く関わっているのは当然で、この年、本能寺の宿所にも土御門久脩は呼ばれているのに、在昌が行った形跡がありません。なぜ行かなかったんだろう、あるいは呼ばれていたけれど行かなかったのなら、と想像を膨らませて終盤の物語を考えました。
光秀の挙兵をめぐる藤孝の葛藤と決心
――本能寺の変に関する藤孝の動向について、武川さんなりの解釈を聞かせてください。
武川:私の想像ですが、藤孝は明智光秀による変の企てを事前に知っていたように思います。直前の愛宕山の連歌会には、信長の出陣に同行する準備のため、一旦丹後に帰っていたので出席していませんが、実は、その前に光秀から打ち明けられていたのではないか――ただ、藤孝と光秀のやり取りを記したものは、後年、ほとんど処分されたと考えられるので、真実は確認できません。
そこで藤孝は即断即決せず熟考し、周辺の状況を見た上で「信長に対して挙兵する決意はつかない」という判断をしたんだと思うんです。一方、心情としては長年苦楽をともにしてきた、しかも、息子の義理の父でもある光秀を切り捨てることは、いくら乱世とはいえ、かなり心が痛んだのではないでしょうか。
本能寺の変の後、藤孝は愛宕山を訪ね和歌を詠んでいるのですが、それは慰霊に近い行動だろうと思います。羽柴の世になって大っぴらにはできないけれど、光秀が死んだあとも悼む気持ちを藤孝は持ち続けていたし、できることなら一緒に戦いたかった気持ちもあったのかもしれない。でも、家のためにはそれが不可能だったということなのだと思います。
――本能寺の変をめぐる意慾的な創作が、近ごろ相次いで刊行されていますね。
武川:2022年以降、光秀の当日の動向について、二次史料の概説書が刊行され、実際光秀が本能寺にはいなかったかもしれないという話が話題になりました、すると従来の本能寺の変で起きたとされていたことと、実際には違う出来事が起こっていたのかもしれないという議論が、ちょっとしたホットテーマにもなっていました。
また、秀吉の毛利攻めからの中国大返しについても、信長が親征でその道を通るためにあらかじめ整備していたから、秀吉がその道を使えたという話もありますし、山崎合戦で秀吉自身は後方に布陣していたという説も注目されています。
私も、秀吉は山崎の戦いでは直接交戦していないだろうと考えています。ただ、摂津先方衆として元々光秀方であった中川清秀と高山右近を先陣に出して、秀吉はそれより後ろにいるというのは、当時の慣例としてごく普通の行動です。こういう細かいところで、従来の一般的な解釈がうまくふるい分けられ、また違う景色が描けると作家としては感じています。
スーパーナチュラルではなく“ナチュラル”なもの
――本作では在昌が用いるさまざまな呪法や超常現象など、武川さんの従来の作品より、超自然的な要素が増えている印象です。
武川:実は、私は超自然的(スーパーナチュラル)なものが好きで、これまで抑えていたというのが正しいんです。ただ、こうした要素が好きなのは、「現実から遊離した空想」が面白いからではなく、中世人の感覚として超自然的なものや神仏の加護というのは、自然に信じられていた時代だったからということが大きいですね。
呪術やまじないと武将との距離は、現代の私たち以上にずっと近かったはずです。たとえば、兜の前立てに信じる仏様を彫ったり、動物や神仏、太陽や月をモチーフにした前立てを作ったりというのは、現代から見ると人智を越えたものにすがっているように映るけれど、彼らにとってはごく自然なことでした。
もちろん、この作品では一見スーパーナチュラルに見えるけれど、リアリティのレベルで「ありうること」として書くということには、非常に気をつけています。作中で光秀の進軍を抑えるべく、在昌が橋を折った場面がありますが、史実でも瀬田の唐橋は落ちており、追撃を防ぐ時間稼ぎのため光秀方が壊したとも言われています。
夢枕獏先生の「陰陽師」では、晴明はさまざまな式神を使役していますけれど、藤孝が「式神を使うとは、面白うござります」と言うと、在昌は「信じるな、兵部。かの晴明じゃあるまいし」というような返しもする。平安朝の安倍晴明像よりは、もう少し近代に近い意識を持った陰陽師として在昌を設定しました。紫色の香が漂っている間はちょっと変なことが起きて、それが晴れるとぱっと現実に変わるという構造も意識しました。超自然的なものが存在したかどうかは読み手の判断次第、という書き方をしているつもりです。
――陰陽師がキリスト教に改宗するというのは、当時としてはどういう位置づけになるのでしょう。
武川:陰陽道はあくまで学問なので、キリスト教に改宗しても理屈の上では矛盾しないんです。「陰陽師で切支丹とは、二股が過ぎよう」と言われたりもしていますが、宗教と学問は別の話ですから。ありといえばありですよね。実際にはそんな人物はいなかったでしょうけれど、仏教徒の陰陽師が矛盾しないように、キリスト教徒でもおかしくはない。
むしろ、この時代に地球を半周移動してきたヨーロッパの人たちの航海術も天文術も、明らかに優れていることは、誰の目にも明らかだったわけです。それを学びたいという気持ちは、在昌のような学者には自然な欲求だったんじゃないかと思っています。
大仏殿地鎮祭、吉野花見の歌会、田辺城の籠城
――本書の続きを書く構想はありますか。
武川:書きたいんです。構想はいろいろとあるんですが、書きたいことのひとつは、秀吉が大仏殿を建てるときの地鎮祭を在昌が任されているんですね。土御門家はそのころ中央にいられなくなっていて……秀吉は陰陽師弾圧をしたと言われることもありますが、実際は土御門久脩が排斥されたのは秀次事件に連座してのことです。秀吉と陰陽道のつながりはそれなりにあった。そのあたりを書きたいですね。
もうひとつは、秀吉晩年の吉野の花見です。そこで歌会が開かれていて、徳川家康、伊達政宗などの大名が全員そろって歌会をやっていた。幽斎(藤孝)ももちろん参加しているのですが、その場でちょっとした怪異が起きたりもしていて、そこを書きたい……あとは藤孝が籠城した田辺城の戦いも絶対に書かなきゃ! 関ヶ原の戦いがはじまり田辺城に籠った幽斎は、西軍を相手に絶体絶命の窮地に陥ったのですが、歌道の弟子である中院通勝たちが、幽斎が死んでは古今伝授が途絶えてしまうと、後陽成天皇の命を携えて慌てて駆けつけた。あのシーンも全部書きたいです。
――さらに長いスパンで、武川さんが作家として書きたいテーマはありますか。
武川:今はぼんやりとですが、全編合戦の小説を書きたいと思っています。まだ全然話になっていないけれど、最初から最後まで戦っている話で、ヒロイックではなく陰惨なものにしたい――戦国時代を書いていながらリアルな戦争を書かないのは、私にとっては嘘だという気持ちがどうしてもあるんですね。具体的には朝鮮出兵の撤退戦を書きたいと思っています。
武川佑(たけかわゆう)
1981年、神奈川県生まれ。書店員、専門紙記者を経て、2017年、甲斐武田氏を描いた書き下ろし長編『虎の牙』でデビュー。同作で、歴史時代作家クラブ賞新人賞、21年『千里をゆけ くじ引き将軍と隻腕女』(文庫化にあたり『悪将軍暗殺』に改題)で日本歴史時代作家協会賞作品賞、25年『円かなる大地』で大藪春彦賞を受賞。その他の著作に、『落梅の賦』『かすてぼうろ 越前台所衆於くらの覚書』『龍と謙信』などがある。









