2026年6月27日、東京・渋谷の大盛堂書店にて、金子玲介さんの最新作『私たちはたしかに光ってたんだ』(略称『わたひか』)の刊行を記念したトークイベントが開催されました。ゲストは作詞家・小説家の児玉雨子さん。青春バンド小説『わたひか』を軸に、お二人の出会いから音楽と小説の関係、そして目指すべき小説像まで、縦横無尽に語り合っていただきました。(前後編の前編)

左:児玉雨子さん 右:金子玲介さん

『ボボボーボ・ボーボボ』から始まった友情

金子:仲良くなったのは漫画『ボボボーボ・ボーボボ』がきっかけでしたね。

児玉:そうそう! ちょうど2.5次元舞台が初めて上演されるタイミングで開かれた作家の集まりで、「自分以外に誰も行かないだろうな」と思って異端ぶって話していたら、金子さんが「私チケット取ってます!」って(笑)。こんな近いところにも仲間がいたのかと驚きました。

金子:ステージ最前エリアのチケットが3万円くらいしたんですけど、児玉さん、それを取ってましたよね。

児玉:それしか当たらなかったんですよ! 奥歯がたがた震わせながら入金しました。それから金子さんとは『ボーボボ』の話ばっかりして。『ボーボボ』は2000年代に「週刊少年ジャンプ」に連載されたギャグ漫画で、コマとコマの間に全然脈絡がなくて、その論理性の跳躍が特徴であり魅力なんです。

金子:私はそういう意味で、『ボーボボ』はめちゃくちゃ現代文学的だと思ってるんですよね。脱線に次ぐ脱線でなかなか本筋に戻ってこなかったり、定石を無視した未知のボケを連発したり。純文学寄りのギャグ漫画だなと感じます。

児玉:書き出しも「300X年 地球はマルハーゲ帝国が支配していた」という感じで、いかにこの漫画が“バカ”かが一発で伝わる。これ以上の書き出しはないですよね。

金子:最高の書き出し。憧れます。

児玉:そんな話で盛り上がっちゃって、全然小説の話をしなかったですよね。でも考えてみたら、デビューしてから、というか社会人になると、ああいう出会い方ってなかなか貴重ですよね。『○○』を書かれた△△さん、という肩書きが先に来てしまうから。お互いにフラットに「好きな作品の話ができるひとだ!」と思える出会いができたのは、すごくよかったなと思っています。そういえば金子さんはいつ頃書き始めたんですか?

金子:高校2年ですね。

児玉:私も高2です!

金子:え、そうだったんですか! 私と児玉さんは1993年生まれの同学年なので、まったく同じ時期に、ってことですよね。初めて知りました……。それくらい小説以外の話ばかりしてたってことですね(笑)。私はデビューまでに公募の新人賞への投稿期間が13年くらいあって。その大半をいわゆる純文学の賞への投稿に費やしていたんです。最終選考までいったことも何度かあったんですが、受賞には至らず。その後エンタメに転向して、メフィスト賞を受賞し『死んだ山田と教室』という小説でデビューすることができました。

児玉:私は自分が何であるかを言うときは「作詞家」が先に来るんですけど、それより先に小説を書いていました。当時はジャンルへの意識は特になくて、書いていた小説が短かったから純文学の賞に投稿していました。二次・三次選考までは進んだことがあったんですけど、そうこうしているうちに作詞のほうが仕事になってきて。その後、文芸誌で小説を発表させてもらえるようになってきました。

「人生に間違いなんてない」と高らかに歌う『わたひか』

児玉:忘れないうちに『わたひか』の話をしましょう!(笑)

金子:そうですね(笑)。今年の4月に出た6冊目の単行本で、青春ガールズバンド小説です。主人公は瑞葉(みずは)という女性で、高校入学直後にクラスメイトの朝顔(あさがお)に誘われて女子4人のバンド〈さなぎいぬ〉を結成するところからスタートします。15歳から20歳まで瑞葉がバンドに属していた時間軸と、26歳現在の大人になった瑞葉の時間軸とを行き来しながら進む小説です。

『私たちはたしかに光ってたんだ』書影

児玉:私が『わたひか』で一番好きだったところは、たくさんの「普通」をかけがえのないものとして書いていること。小説家もある意味そうなんですが、ステージに立つ仕事をしている人がその仕事を辞める、つまりステージを降りるとき、「普通の世界に戻る」という表現をされることがあるじゃないですか。ずっとその表現に違和感がありました。「普通の世界」と言うけれど、実際は「普通」という言葉では片づけられないくらい多様で、複雑で、色とりどりで。この小説は、その「普通」と言われる世界の多様さと豊かさをすべて肯定しているんですよね。そこが好きです。単純化せず、そのうえでその人生に「間違いなんてない」ということが高らかに書かれているのがよかったです。

金子:ありがとうございます。うれしいです。

児玉:気になっていたことが一つあります。小説冒頭でバンドの各パートを体のパーツでたとえるシーンがあるじゃないですか。ボーカルが「顔」でギターが「腕」、ドラムが「脚」でベースが「心臓」。とても単純に考えたら「心臓」はビートを打つもの、つまりドラムにすると思うんですよ、鼓動のイメージで。ベースを「心臓」にしたのはなぜなんですか?

楽器を手で触る感覚が文章に

金子:中学のころ、友達とバンドの各パートを身体でたとえたら何になるかという話をしたことがあったんです。ベースって聴こえにくいじゃないですか。ライブ会場に行くと音が大きいから聴こえるんですけど、CDや音源だとかなり意識しないと聴こえない。

児玉:特にJ-POPのベースは音量小さいですよね、これは根深い問題です。

金子:ドラムは打楽器だから他の音の中でも目立つんですけど、ベースは聴こえにくい。でも、ベースがないと音楽として成立しないじゃないですか。見えないけど必要という意味で「臓器」なんです。

児玉:そうか、「臓器」としてだったんですね! 単純に考えたらドラムだろうとさっき言ったんですけど、これは金子さんの考えに異議を唱えたいとかじゃなくて。頭の中だけで考えたらドラムを「心臓」としちゃいそうなところをしないのは、金子さんが楽器を触ったことがあるからだなと思ったんです。

 これは具体的な話というよりは漠然としたイメージの話なんですが、小説家の方が音楽について書くときって、コード(和音)や和声の話が多くなる印象があって。音楽理論は身体性に依存しない小説と相性がいいのだと思います。

『わたひか』の描写ってそれとちょっと違うんですよね。たとえば「オクターブ奏法でぐりぐり八分音符を鳴らしていく」という表現が作中にあるんですが、「ぐりぐり」という表現から、金子さんはベースを演奏したことがあるのかな、と感じました。弦が太いから力がいるし、音自体もそういう感じがある。理屈ではなく、手で触った感覚から来ている表現なのかなと。

金子:実は、ベースは今作を書き始めるときに初めて買って練習したんです。もともと高校のときに1年間バンドをやっていたんですが、そのときはギターボーカルだったのでベースを触ったことはありませんでした。小説の構成を考えるうえで、「心臓が取り替えられる」というイメージを書きたかったから、主人公の担当楽器はギターではなく絶対にベースじゃないといけなかった。だからベースを買って、チャットモンチーの「シャングリラ」が弾けるようになるまで練習しました。

注:『私たちはたしかに光ってたんだ』作中で、主人公の瑞葉が所属するバンド・さなぎいぬは初めてバンドで演奏する楽曲としてチャットモンチーの「シャングリラ」を選んでいる

児玉:えっ、そこまでやったんですね。

金子:瑞葉が初心者としてベースを始めて「シャングリラ」をある程度弾けるようになるまでの過程は、私が経験した同じプロセスを基に書きました。

「シャングリラ」をみんなで初めて演奏するシーンについて「臨場感がある」と言っていただくことが多いんですが、あのシーンを書くときはパソコンの前に座って、太ももにベースを置いて、音源を聴きながら自分でも弾いて、音源を止めて書いて、弾いて書いて、弾いて書いてって繰り返しながら書いたんですよ。

児玉:すごい! だから身体表現が豊かだったんですね。他にも、作中に登場するライバルバンド「シグナルズ」のボーカル・赤眼鏡こと七海(ななみ)のセリフも印象的で。コードで難しいことをしているけど、何よりメロディーがいい、という評価の仕方をしていて、あそこ、読んでいてすごく唸りました。

 音楽クレジットでは、メロディーを書くのが「作曲」で、コードや楽器の組み合わせなど、鳴っている音を調整するのが「編曲」と分けられます。これは作・編曲両方で仕事している方に言われたのですが、コードワークを含めた編曲は、いろんな知識が必要でむずかしいものでありながら、ひとつひとつ勤勉に学んでゆけばある一定の水準まで磨かれる領域だと言われました。一方メロディーを書く「作曲」は、その実、才能や瞬発力としか呼べない領域もあると話してもらったことがあります。だから七海のそのセリフは、ちゃんと音楽を、作曲をやり続けてきた人ならではの言葉だと思いながら読みました。

金子:ありがとうございます! ちなみに、そんなシグナルズの七海を主人公に据えたスピンオフ掌編「信号」がWEB別冊文藝春秋にて公開中ですので、皆さまこちらも是非!

左:児玉雨子さん 右:金子玲介さん

金子玲介(かねこ・れいすけ)
1993年神奈川県生まれ。慶應義塾大学卒業。『死んだ山田と教室』で第65回メフィスト賞を受賞し、2024年単行本デビュー。「2025年本屋大賞」にノミネートされる。著作に『死んだ石井の大群』『死んだ木村を上演』『流星と吐き気』『クイーンと殺人とアリス』がある。26年4月、最新作『私たちはたしかに光ってたんだ』を刊行。

児玉雨子(こだま・あめこ)
作詞家・小説家。神奈川県出身。アイドルグループ、声優、テレビアニメ主題歌やキャラクターソングを中心に作詞提供を行う。2021年に小説『誰にも奪われたくない/凸撃』(河出書房新社)を刊行。2023年に『##NAME##』(河出書房新社)が第169回芥川賞候補作にノミネート。同年に文芸エッセイ『江戸POP道中文字栗毛』(集英社)、2025年に『目立った傷や汚れなし』(河出書房新社)を発売。

「ひどい世の中だからこそ〈光の作家〉を目指しましょう」小説家の金子玲介と作詞家・小説家の児玉雨子が“愛と希望を叫ぶ作家”舞城王太郎から受けた影響とは〉へ続く