――文春文庫『吉原暗黒譚』は誉田さんの作品の中で唯一の時代小説です。誉田さんご自身が時代小説の愛読者だったとか、何か書かれるきっかけというものはあったのでしょうか。
誉田 デビュー作の『妖の華』(文春文庫刊)の主人公が何百年も生きてきた吸血鬼という設定なので、彼女の江戸時代の話(「妖の絆」未刊)を書くのに調べ始めたのがそもそものきっかけでしたが、現代文明とは異なる生活というものに興味もありました。その違いを知る面白さはもちろんのこと、逆に数百年の時間と空間を経ても共通点を見出せることに更なる面白さを感じます。工業技術など当然違いますが、例えば水道や下水のようなライフラインは江戸時代の当時もすでに存在していたり。それを実際にはどう処理していたのかというようなことを知るのは楽しかったですね。
石川英輔さんがお書きになった『大江戸神仙伝』という本がありまして、これは現代人が江戸時代にタイムスリップするSF小説なんですが、石川さんは江戸時代のことを書くなら、自分で江戸の生活をして、肌で感じてみようと、お釜でご飯を炊いてみたり、日時計を作ったりして、現代の利器を使わずに江戸の生活を実践したんですね。
現代と違って当時はこういうふうなやり方で処理していたんだ、というのが石川さんの本や江戸の資料からわかってきました。ということは、今我々が現代で体験しているようなことを、やり方を考えさえすれば江戸でも起こせたかもしれない、もしくは同じような社会現象があったかもしれない、と思い、今回の小説の中に取り入れてみました。
例えば、花魁のレンタルをやったらどうなるだろうか。遊女の格もあるので店がおいそれと看板の花魁を手放すことは難しいでしょうが、破格の値段で請け出せば可能かもしれません。請け出した花魁を中級の店にある程度の金額でレンタルすれば、店側は店の格以上の花魁を置けるし、遊女も早く年期が明けます。困るのは請け出された店です。現代でレコード、ビデオのレンタルが始まったときも同じようなものだったのではないでしょうか。レンタルによって起こるトラブルって面白いのではないかと考えました。
――今のお話にもあったレンタルされた花魁が謎の狐面集団に殺されていきます。その花魁殺しを追うのは吉原詰めの貧乏同心、今村圭吾。タイトルにあるように、吉原がクローズアップされています。
誉田 吉原は現代日本でいえば歌舞伎町ですね。歌舞伎町を舞台にしたハードボイルド的小説が数多く書かれており、それらは「ノワール」とも呼ばれたりします。じゃあ、吉原ノワールをやってみようと。それを日本語にしたのが『吉原暗黒譚』なんです。
遊郭というのはお金がものをいう場所でした。ひと晩遊ぶのに百両からかかる店もあれば、きり店といって鉄漿溝(おはぐろどぶ)に近いところの何文でというお店もあります。遊ぶ者は財力でしか評価されない、明確に支配階級である武士の身分も意味をなさない世界です。そんな江戸、吉原の粋ってなんだろう、無粋ってなんだろうと突き詰めて考えると、それはお金をきれいに落とすかどうかなんです。「お前さん、粋だねえ」と遊女がいうのは、キャバクラでホステスが「社長、シャンパン、取っていい?」といって、「おう、どんどん取れ」と客が応じるのと同じです。おだてられていい気分になって、女に転がされている。ところがその裏では女が稼いだお金をさらに巻き上げている男がいる。吉原の粋などという独特なものではなくて、嫌らしい男がいて、狡猾な女がいて、その上に更に老獪な男がいるというシステムは、現代とまったく変わらないでしょうということを描きたかったですね。
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