伊藤まさこ本人と出会う前、不覚にも僕はたまたま本屋さんで手にした『まいにちつかうもの』という本を買ってしまっていた。彼女がふだんの暮らしの中で使っている生活道具たち、食器やら鍋やら布に寝具、おもちゃ、スリッパ、掃除機までパラパラと写真で紹介されている。ただそれだけの本だ。ただそれだけと言いながら、どうして僕はそれを買ってしまったのか。他のどこかでも見たことのあるようなちょっとおしゃれなものたちが、おそらく彼女の生活空間の中で、写真に収まっている。「かわいい」と「ここちいい」がキーワードだけれど、その「かわいい」は、「さびしい」を少しだけはらんでいるのではないか。シンプルで安定感のある生活道具に囲まれた日常の背後には、「あやうい」がひっそりとかくれているのではないか。もちろんそれは僕の勝手な妄想にすぎないけれど、そんな彼女の生活に対する愛情というのか眼差しがまっすぐだから、その本を商品カタログのように薄っぺらなものではなく、リアルなインパクトを感じさせるものにしているのだろう。そして僕は、彼女自身の愛情が決して満たされてはいないと想像している。伊藤まさこが同世代の女性たちにとってカリスマで、支持されつづけているのは、かわいさや、あんしんの背後にかくれているさびしさやあやうさが、多くの人々の気持に触れているからだろう。もう少女の年はとうに過ぎても「かわいい=さびしい」「ここちいい=あやうい」は、日本の女性にとって普遍になっているのだ。
やがてご本人が、雑誌の取材と称して、奥能登の僕の家にもやってきた。うちの庭には、大きな杉の木があって、高い枝からながーいブランコが下がっている。僕が娘のために作ったものだ。仕事もそこそこに、庭でカヴァ(スパークリングワイン)を一本空けると、彼女は、そのブランコに乗りたいと言い出した。長いブランコにすっくと立って、大きくこぎはじめて大はしゃぎ。この人は、丈の短いプリントのワンピースを着て、このままどこか空の向こうに飛んで行ってしまうんじゃないかと、僕は少々心配した。そんな感じの人だ。かわいさとさびしさと、あんしんとあやうさと、洗練と野生が同時にあって、疾走している。
そんな人が家の中から外へ、街へとすたこら飛び出して行ったのが今度の本だろう。もちろんかわいい、すてき、おいしい、が貫かれているけれど、単なるペラペラしたようなかわいさではなく、すっくと背筋ののびた感じに好感が持てるのだ。もちろん、この本を片手に僕が東京の街を歩くことなんて絶対にあり得ないけれど、もしできることなら、まさこちゃんに一軒くらい連れて行ってもらえるとうれしいかもね。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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