林望家が二回目の変貌をとげたのは、私が高校を卒業して大学生になったころである。本書で父は、「地震に強い家をつくる」ために改築を決めた、と書いている。祖父の家と中二階を通じて繋がっていたオリジナルの家は、機能的であり、デザイン的にも美しかったが、いかんせん、中二階の部分に大量の本が保管してあって、しかもその下にはその重い中二階を支える柱がなかったのである。そのため、年とともに、徐々に中二階部分が下に向かって「しなって」きてしまった。下のスペースは車二台分のガレージだったが、端から真ん中の部分に向かって、天井が異常に低くなっているのが一目瞭然だった。あの子供時分の思い出のつまった迷路のような書斎を取り壊してしまうのは残念だったが、地震で中二階が落ち、家が倒壊してからでは遅いので、改築するのはやむを得なかったと思う。この時の改築は、祖母が亡くなった後のことだった。
改築後の新宅は父にとっては理想的な家になったのかもしれないが、結局私がこの新しい家で過ごしたのは一年にも満たなかった。その後十年間にわたってイギリスで医学の勉強や仕事をすることになったからである。やがて、妹も後を追うようにしてイギリスにやってきたため、せっかく改築した林望新宅には父と母だけが残った。
今、振り返って、一番お気に入りの家はどの家だったろうか? 「良い家の思い出」=「良い人生の思い出」である。私の場合は、一番幸せだったのはまだ祖母が元気だった、小学生低学年の頃、家族でイギリスに行く前の時代だと思う。中二階で繋がった自宅と祖父母宅、ドキドキしながら通り抜けた書庫の廊下と書斎、そして狭くても機能的だった唯一の和室で家族全員川の字になって寝ていた思い出、それらを思い起こす時、今でも幸せな気分に浸れる。
やがて私が成長するにつれて家の改築が進められて行き、より時代に即した機能的なものへと変貌していったのだが、それに伴って最愛の祖母の健康が次第に悪化していったのはとても悲しいことである。改築前の、祖母と過ごした楽しい思い出がいっぱい詰まった家や庭はもはや残っていない。
どの時代を過ごした家にも、父の「思想」はしっかりと反映されていたが、祖父母の老化と私と妹の成長に伴い「思想」そのものも変化せざるを得なかった。結果として、徐々に私にとっては居心地の悪い家になっていったのは、なんとも皮肉である。しかし、冷静に考えると、それがつまり、子供が親の家から巣立つためのヒントとなるかもしれない。実家が快適過ぎて、いつまでも子供が独立しなかったら、親としては全く嬉しくないだろうから。
今住んでいる米国コネチカット州の自宅は賃貸アパートメントであるが、数年後には家あるいはマンションを購入して「一国一城の主」となる日が来るかもしれない。その時が来たら、本書を今一度読み返して、自分にとっての理想の住宅を「思想」してみようと思う。
(「解説に代えて」より)
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