
『坂の上の雲』に格別の人気があるのはよくわかる。日露戦争は物語としていい話なのだ。勝った戦争である。しかも、弱いものいじめではなく、強い相手に対する逆転劇である。言ってみれば、最初から勝算は無く、前半(旅順攻略戦)何本もシュート(総攻撃)を打つのだが点が入らず、やきもきしているところ、やっと一点ねじこんだものの、選手の疲労の色は濃い。さらに、後半(日本海海戦)になれば、渋滞(大西洋からの大遠征)で会場到着が遅れていた国際的主力選手(バルチック艦隊)が加わって、失点は覚悟せねばならない。日本ピンチ。ところが、その主力選手を相手に、温存していたスーパーサブ(連合艦隊)が予想を超える大活躍で大量点ゲット、試合終了。盛り上がるのはいうまでもない。
だから、この戦いが『坂の上の雲』が出るまでは、そのヒーローである乃木将軍と共に、人の口にあまり上ることがなかったのは、不思議といってよい。しかしこの本によれば理由は明らか、「戦前の」出来事だからである。「戦前」の出来事が戦後どのように扱われていたのか、ことに戦後生まれにとってどういう意味を持っていたのか、そこのところを関川さんはこう書く。「(中学、高校の歴史の時間、『絶妙の配分が授業で行なわれ』日本近代史はいつも途中で時間切れ)となると少年は、自分は歴史の流れとは無縁に、孤絶して『新生』させられたのだと考えざるを得ず、それが『団塊』の世代に共通する感覚となりました」
この説明は、同じ世代に属する私にはよく分かる。戦前は無きものとして、それに背を向けて戦後は生きられたのだ。しかし一度だけ、戦後、司馬作品の登場前に、日露戦争が脚光を浴びたことがある。映画「明治天皇と日露大戦争」である。当時の私たちにとっては、すでに会社も映画もアヤしいものであった新東宝が、変な映画を作って、不思議な人気を博しているというのが感想であったが、関川さんはそれを、私たちより上の世代、「戦前人」が、「ひさかたぶりに『歴史の連続』を見」に行ったのだ、と教えてくれる。
そして、それから十数年経って、戦前の歴史が切断ではなく、封印されていた「戦後人」に、日露戦争とその群像を描いた司馬遼太郎の『坂の上の雲』が登場する。書き出しは絶妙である。「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」。この「小さな」を関川さんは、列強と比べたときの当時の日本のことととらえている。司馬もそのつもりで使っている。そうやって、一つの戦いに挑んでいく小さな国家が語られるのだ。
出来上がった小説は、しかしながら、例えば成長物語としての『竜馬がゆく』とくらべれば、巻をおくあたわずといった種のものではない。読者は幾度となく立ち止まり、司馬の感想と述懐と検討とに付き合わされる。そして、全体はある種の憂愁、関川さんのいう「無常」に覆われている。これは面白いことである。『坂の上の雲』を読んで、明治はよかった、健康だ、私たちもこうした国家を、と語る読者より、著者の方がよっぽど醒めている。このスタンスは、関川さんの著作にも通じる。関川さんは戦後についていくつもの書物を物しているが、その中に、戦後の経済成長を振り返って、「日本再生」と叫ぶ気分など全くない。そこに漂うのは、司馬の日露戦争以降の日本へのまなざしと共通する、関川さんの戦後以降の日本に対する「無常」感である。
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