金丸強右衛門(かなまるすねえもん)という戦国武士を主人公にしているが、この小説が面白いのは、強右衛門の、戦さでの勇ましく戦う姿よりも、変わりゆく時代のなかで、武士が次第に武士らしくなってゆく姿を描いているところにある。どうして、そんなことが起ったのか。そこにこの小説の眼目がある。
強右衛門は安房の国(現在の千葉県南部)の小大名、里見家に仕える武士。時代は、戦国の末期、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻め、天下統一してゆくところから始まる。やがて栄華を極めた秀吉が死ぬと、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康の世となる。さらに大坂冬の陣、夏の陣に勝利した家康は完全に天下を掌握する。
この約二十五年間が舞台になる。戦乱の世から徳川幕府の時代へ。小説のなかに、何度か「世の中が変わる」という言葉が出てくるが、激変の時代である。
とはいえ安房の小藩、里見家(当主は義康)には、時代を動かす力などない。ただその時々、力を持つ者に従ってゆくしかない。はじめは秀吉に、関ヶ原の戦いの時にはどちらにつくか迷いに迷うが、結局は家康に。節操も何もない。生き残るために、いま誰がいちばん力を持つかを見きわめ、その力に従う判断をする。
強右衛門はその小藩に仕える下級武士。揺れ動く時代に翻弄され続けている。天下大乱のとき、地方の下級武士はいかに無力か。自分で流れを作ることは出来ない。ただ流れに巻き込まれながら、溺れないように必死に泳ぎきるしかない。
秀吉の北条氏攻撃、いわゆる小田原攻めに里見家の百人衆の一人として強右衛門も戦さに加わる。そこでいまふうに言えばカルチャーショックを受ける。
「それにしても小田原の陣は、驚きの連続だった」。海には、安房では見たこともないような二千石を越える秀吉方の大船が何艘も停泊している。さらに大船から伝馬船に移されている荷を見て驚く。大量の米俵。小田原城にたてこもる四万の軍勢に対し、攻める秀吉軍は二十万以上。その大軍を支えるには大量の米を必要とする。
安房の小国の田舎侍である強右衛門は大船と米によって天下を狙う秀吉の力をまざまざと思い知らされる。これではとても勝てない。秀吉の意に従うしかない。
小田原攻めは当然のように秀吉の勝利になる。戦いらしい戦いもなく結着がついた。里見家は勝者の一員だった。ところが強右衛門は安房の領地の佐古村(現在の館山市の北)に帰ってみると、秀吉の力によって自分の領地が減らされているのを知る。
妻女は「それにしても、いくさには勝ったというのに、どうして所領が減るのでしょうか」と嘆く。当然の疑問である。強右衛門は「世の中がなあ、変わったのよ」と答える他ない。下級武士の悲哀がこめられている。
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