
- 2015.04.15
- インタビュー・対談
元林務官が執念の取材で追究した、ヒグマによる史上最悪の惨殺事件の真実
「本の話」編集部
『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』 (木村盛武 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
――その取材された成果を、事件発生50年後にあたる昭和40年、旭川営林局誌『寒帯林』において「獣害史最大の惨劇苫前羆事件」として発表されました。これが『慟哭の谷』の原型であり、作家の吉村昭さんがこの事件を題材にした名作『羆嵐』を書かれるきっかけとなったそうですね。
昭和49年ごろ、当時私は旭川営林局に勤めていたのですが、営林局に吉村昭先生から電話があって、「獣害史最大の惨劇苫前羆事件」を小説化したいので、直接お会いして了承を頂ければ、という内容でした。率直なところ、素人作家の自分が書いたものが、有名作家である吉村さんの目に止まったというのは、大変うれしかったです。なんでも、吉村先生が講演のため留萌を訪れた際、地元の記者に聞かされて、初めて苫前三毛別事件のことを知ったとのことでした。
それから吉村先生が編集者の方と旭川にお見えになって、私のもっていた資料やデータなどを示しながら、打ち合わせをしました。吉村先生は、熊に関する小説を当時既に九篇ほど発表されていましたが、「熊に関する実際のデータがなくて困っていた」とお話しになっておられて、特に数字やデータに興味を示されていましたね。
東京に戻られてからも、何かわからないことがあると、しょっちゅう電話がかかってきました。非常に熱心でしたね。ところがあるとき、電話で吉村先生が「申し訳ない」と謝られるんですね。何事かと思ったら、「1年で小説に仕上げる約束でしたが、まだ出来に納得いってないところがある。あと1年、猶予をいただけないでしょうか」と。こちらとしては、否も応もないのですが(笑)、いかにも吉村先生らしいお気遣いでした。
――三毛別事件が、数あるヒグマの食害事件のなかでも、とりわけ異彩を放っているのは、何と言っても、当該のヒグマの残忍性・執拗さが際立っているからだと思います。木村さんは本書のなかで「魔獣」という言葉で表現されていますが、この「魔獣」はなぜ生まれたのでしょうか。
事件の起きた時期は真冬で、本来であればヒグマは冬眠しているはずです。ですが、このヒグマの場合、どうやら苫前に現れる以前に、別の地域で猟師に追われ、冬眠に入る機を逸して、いわゆる「穴持たず」となってしまった。それで究極の空腹状態となり、旭川や天塩地域でも女性を襲ったとの証言がありました。事実、退治された後に解剖したところ、証言に一致する被害者の脚絆などが出てきました。手負い・穴持たず・空腹という要素が重なって、異常な執念と凶暴性を持つに至ったのではないか、と思います。
――本書の功績として、木村さんの調査で改めて明らかになったヒグマの習性もありますね。
例えば、一般に動物は火を怖がる、とされていますが、ヒグマの場合はその限りではありません。実際にこの事件では、明々とかがり火を焚いていたにも関わらず、ヒグマは何度となく集落を襲っています。それから、ヒグマにとって「獲物」は所有物ですから、遺留物があるうちは、そこから立ち去りません。この事件でも、「遺体」を自分の所有物とみなして、通夜の席にまで乱入しています。それから、通夜の席に乱入したことでも分かりますが、人間側の人数の多寡は関係ない、つまり10人いようと20人いようと襲うときは襲う、ということです。
――先程のお話にもありましたが、木村さんご自身も学生時代と林務官時代にヒグマと接近遭遇されています。ヒグマが近くにいるときというのは、どんな気配や匂いがするものなのでしょうか。
遭遇したケースによりまちまちなのですが、言葉では形容しがたい、一種異様な臭気がしたような記憶があります。気配については、ヒグマがいそうな場所では、やはりかなり緊張していますので、そのせいで過敏に気配を感じ取っていることもあると思います。何かの気配を感じても、実際には、ヒグマはいないということもある。
――今年で三毛別羆事件の発生から100年が経ちましたが、今年1月にも北海道標茶町で森林の伐採作業をしていた男性がヒグマの被害にあっています。今回の文庫化にあたり、『慟哭の谷』の内容に加えて、木村さんの別の著書『ヒグマそこが知りたい 理解と予防のための10章』から、ヒグマが人を襲ったケースを検証した二つの章を特別収録していますが、こうした悲劇を避けるためにどうすればいいのでしょうか。
まず、これは世間的に大きな誤解があるところなのですが、「ヒグマは冬は冬眠しているから警戒しなくてよい」というのは間違いです。むしろ、冬のほうが危険といえるかもしれません。ヒグマが冬眠する巣穴は、山奥ではなく、むしろ林道など人里に近いところに多い。しかも冬眠といっても、熟睡しているわけではなくて、言ってみれば半覚醒状態で、近くで大きな物音がすれば、当然起きますし、なかには、巣穴から半分身体を出して冬眠しているのもいます。最近では、スノーシューなどを使って、冬山を歩き回るレジャーもありますが、例えば木の下部に穴が開いているのを見かけたら、絶対近寄るべきではありません。
夏の場合であれば、熊鈴を持って歩くのは当然として、もうひとつお勧めしたいのは、蚊取り線香を腰から吊るすことです。ヒグマに限らず熊というのは、目はあまりよくなくて、耳と鼻で状況を確認します。けれど熊鈴だけですと、例えば渓流や滝など水音によってかき消されてしまうケースがある。そんなときでも、蚊取り線香の匂いがすれば、熊は人間の存在を察知して、避けてくれます。
人間の存在に気づけば、熊は自分から先に避けます。人間だと分かっていて、向かってくるのは、まずいません。
ということは、熊と人間の不幸な事故は、99%人間の側に責任があるといってもいいかもしれません。日本は国土の約70%が森林におおわれた森林国です。そうである以上、熊についてての正しい知識と対策を学ぶことは、非常に大事なことです。事件から100年という節目の年に文庫という形になった本書が、その一助となれば、著者としてこんなに嬉しいことはありません。そうなってこそ、不幸にも事件により亡くなられた方たちの魂も慰められるのだと思います。
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