本屋に行くだけで時間の流れがちがう
――小道具の使い方も秀逸です。とくに「パーキングエリア」の「腕時計は、なかった。」という書き出しはぐっときました。少年にとって腕時計は最高の宝物ですから。
吉田 ぼくは高校のときに腕時計をなくしたことが、本当にあるんですよ。いまだにあの腕時計は思い出しますね。
――この作品集のラストには、「楽園」という、手触りの異なる小説があります。これは、筒井にとっては「もうひとつの時間」のなかに生きているような男の話です。筒井には日常の時間が流れているけれども、この男は過去のどこかで時間が止まっている。現実の時間のほうが仮の時間で、まるで腕時計のない時間を生きているような、現実の向こう側からこちらを見ているような感覚があります。
吉田 「楽園」は、この作品集に入れようと思って書いたわけじゃないんですよ。でも、時間ということでいえばここに入れるために書いたような短篇になっています。ふたつの時間が同時に流れている感覚というのは、一瞬だけ、そのふたつが交差するところだと思うんですよ。それが別のカップルの話として書いてあるんですね。これが『春、バーニーズで』の最後に入って、よかったと思います。
――こうやってお話を伺っていると、吉田さんが文學界新人賞でデビューして、処女作が本屋さんに並んで、芥川賞をとって……という時間の流れのなかで、ひとつの世界が生まれてきたのだという手ごたえを感じます。それがこうやって作品集となって、また本屋に並んでいくわけですね。
吉田 ぼくは『最後の息子』が本屋さんに並んでいるのを見たとき、すごくうれしかったんですけど、それよりも前から本屋に通っていて、たぶん、公園が好きというぐらいの感じで本屋も好きなんです。ぼくはよく引っ越しをするんですけど、それぞれ住んでいた町の本屋にも通ったので、どこにどんな本が置いてあるかということもよく覚えています。そういう自分の好きなところに自分のものが置いてあるというのは、うれしいですね。
――たしかに、本を読むということは、もうひとつの時間に浸ってゆく快楽といえるかもしれません。
吉田 本屋に行くだけでもちがうんじゃないですか。それだけで、ちょっと時間の流れがちがってくるんですよ。
それにたとえば映画なら、恋人とふたりでも観られるじゃないですか。でも、本というのは絶対にひとりでしか読めない。それが本なり小説なりの特徴だと思います。絵や写真だって一緒に観賞することはできるけれども、小説だって、一緒に観賞したいものはありますよね。
本をプレゼントするのは、そういう意味があるかなと思うんですよね。ふたりが横に並んで一ページずつ読むって、絶対に無理でしょう(笑)。一緒に映画に行く感じと一番近いのが、自分が読んだり買ったりした本をその人に渡して、その人が読んでくれたときの感じだと思うんですね。
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