書評

明るい「滅びの歌」

文: 岩井 三四二 (作家)

『江戸へ吹く風』 (岩井三四二 著)

 なぜ当初の構想からはずれて、悲劇でなく喜劇に近くなってしまったのだろうか。

 ひとつには、当時の史料でみるかぎり、里見家の状況がそれほど悪化していなかったという事実がある。領地を3分の1に減らされても、里見家内部でクーデターとか一揆とかは起こっていないのである。もちろん混乱はあっただろうが、案外と素直に運命を受け入れているように見える。これでは主人公を苦悶させ暴れさせては、史実に反してしまい、おかしなことになる。

 里見家が混乱しなかった理由は、当時、関東の経済情勢が大きく変化したからだろう。

 北条家が滅びたあとの関東には徳川家が移ってくる。そして家康が天下人になったために江戸の町が大きくなっていく。町が大きくなり、人口が増えればそれを支える食料や燃料、建築資材が必要になる。巨大な需要が突然出現すれば周辺が特需に沸くのは、現代でも江戸時代でも変わりはない。里見家の領国、安房国も、そのお裾分けを得てかなり潤ったのではなかろうか。だから領地を失ってもなんとか食えたので、混乱もなかったのだろう。

 もうひとつの理由は、主人公が里見家の当主ではなく、家来だという点にある。負け組に属したといっても、負けて滅びるのは組織であって、そこに所属する個人ではない。里見家が滅びても里見家の家来は生き残る。実際、伯耆国に配流された里見家の殿さまに従った家臣は、たった8人だったという(これが里見八犬伝の元になったという説もある)。ほとんどの家臣は主家と別れて安房国に残って、新しい道を歩んでいったのである。

 諸行無常、盛者必衰。そうして栄枯盛衰のサイクルがひと回りすれば、古いものは去り、どこからか新しい芽が出てまた成長していくことになる。

「滅びの歌」のつぎには新しい「出発の歌」が控えているのだから、悲しい話にならなくても不思議ではない。というわけで、私の書いた小説としては珍しく明るい結末になった。こういうのもいいんじゃないかとひとりで悦に入っている。

江戸へ吹く風
岩井三四二・著

定価:1680円(税込) 発売日:2012年05月10日

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