「弁護人は被告人質問を開始して下さい」
裁判長の声で、今日の公判がスタートした。もしこれが高裁でなく一審の地裁だったら、自分が裁判員になったとしたら、どんな気持ちで被告人の話を聴くか。傍聴席に陣取った支援者の姿がどう映るのか。何を信じ、何を信じないのか。
気持ちは驚くほど揺れ動く。今日は弁護人側の質問だから被告人に不利なことは訊ねないのだが、そのことを差し引いても、被告人が冤罪被害者であるように思える。一方、一審で有罪が下されたのだから、それなりの証拠はあるんだろうとも考える。
小さな事件が中心とはいえ、ぼくはかなり傍聴経験を重ねているはず。なのに、裁判員だったらと仮定するだけで困惑することだらけである。感情に流されないように注意しつつ証言を追うだけで精一杯だ。
本番では、期間を限定して数日間、集中的に審理を重ね、一気に判決まで持っていく予定だと聞く。重々しい雰囲気に圧倒され、原告側・被告人側の言い分に翻弄され、あれよあれよという間に決断を迫られたとき、何をよりどころに決断するのか。それは、自分が試される場でもある。
ここへきて、ぼくも不安が強まってきた。
ただ、こうも考えられる。裁判員制度開始までの時間を利用すれば、少しは自信を持って決断を下せる自分になれるのではないか。いや、ぜひともそうなりたい。
そのためにも模擬裁判の実施を増やして欲しい。裁判所へ行けば、常にどこかの法廷で模擬裁判をやっていて欲しい。
だが、現在のところ動きは鈍い。制度への理解を深めるためのビデオは数種類制作されているけれど、見ていて「こんなものではないだろう」と突っ込みたくなるものばかりだ。中村雅俊が人情味あふれる裁判長役を演じる一編など、中途半端なドラマ仕立てであることには目をつぶるとしても、エンディングの歌も雅俊となると、やりすぎじゃないかと首を傾げざるを得ない。さらにこのビデオ、監督まで雅俊なのだ。
こういうものを見せられると、法務省の狙いがどこにあるのか、よくわからなくなってくる。やっぱり、現場へ足を運び、せっせと傍聴を重ねていくしかないなあ。いや、良き裁判員になるためではなく、自分が後悔したくないから。
裁判所を出て、日常の慌ただしさに再び戻りながら、ぼくは手帳を広げ、今日見た事件の次回公判日に「傍聴、午後1時半~」と書き込んだ。
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