この三十時間徹底インタビューが行われたのは、武満さんがまだお元気な頃で、私もまた元気な頃だった。後に出てくるが、三十時間のインタビューが行われたのは、この特別企画の第一回目を書くためであって、その後その続きを書くために、何度も何度も続きのインタビューが行われているから、全部を通算したら、その倍の六十時間どころではない、おそらく三倍以上の百時間くらいのインタビューが行われているはずだ。そのあたりが曖昧な書き方しかできないのは、インタビューが時間と場所をきちんと設定して行われたものではないからだ。武満さんは、興が乗れば、いくらでもしゃべってくれた。
わたしは人にインタビューしてものを書くことを多年にわたって仕事にしてきた人間だが、これだけのロングインタビューは他にしたことがない。武満さんもされたことがないはずだ。この連載がはじまってすぐに、あちこちで評判になった背景には、武満さんがこれまでよそではしゃべってこなかったことをしゃべっているということがあったようだが、その背景にあるのは、わたしが学生時代から、現代音楽に興味をもって、人がめったに聞かないようなものまで、上野の文化会館の上のほうにあるレコードライブラリーに通うなどして聞き込んだり文献調査をしたりしていたということがある。そのころ聞いていちばん感激した曲の一つが、シェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」の「シェマーイスラエル(イスラエルよ聞け)」の唄い出しの低い低い極低音の部分だなどという話をすると、武満さんとすぐに話が合った。その頃だったと思うが、武満さんが親しい友人に「ぼくはあの人にだったら、何か問われたら、全部しゃべってしまおうと思っているんです」といっていたという話を間接的に聞いて、望外の幸せと思った。
その頃から、いつも複数の仕事を同時進行でかかえる仕事をしてきたが、どれをいちばん大事にしているのかと問われれば、これがある間は、これを最上位にしていた。他の仕事でこの連載が飛んだのは、田中角栄が急死して私のところに仕事が殺到したときだけだ(三〇七頁参照)。
それくらいこの仕事を大切にしていたから、武満さんがガンにかかって入院してしまったときは本当にショックだった。全身の力が抜けて、武満さん関連の仕事をする気力を一挙に失った。最近私自身が体調をくずし、気力体力を失った。このまま放っておくと、あの連載が死んでしまうぞと注意を受けた。あらためて読み直したら、これが面白い。この原稿を死なすわけにはいかないと思った。そんなことをしたら、武満さんにも申し訳ないと思った。あれを本にしないかという申し出はこれまでもいろんなところからあるにはあったが、私にその気がないので、話は全部途中で止まっていた。
連載完結後十八年。ここにあらためて、この連載を最初に世に出してくれた文藝春秋から本にする次第である。
(「はじめに」より)
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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