たぶん、人間の大好きな田辺さんが愛情を込めて書いているからだろう、敵役でさえどこか愛嬌があって憎みきれない。「くんくん、若いおなごの肌の匂いはたまらんなあ」となぜか作中でひとりだけ大阪弁をしゃべりながら、姫を手籠めにしようとする典薬(てんやく)の助(すけ)のいやらしさ。とんでもないエロ爺さんには違いないのだが、『カモカのおっちゃん』に出てきそうな中年男の下ネタを聞いているようで、私は思わず笑ってしまう。
よりにもよってなぜこのタイミングで、というときに下痢腹になり、「わやや!」と嘆きながら姫の前から逃げていくシーンも秀逸だ。それも、着物の裾から汚物を垂れ流しながら。大雨の夜、姫のもとに通う少将が雑色に見咎められて、牛の糞のうえに尻もちをついてしまうなど、緊迫した展開のなかにふと笑いを誘う下世話なシーンがうまく挟み込まれている。緩急をつける巧みな手法は漫画づくりの参考にしたいほどである。
魅力的な物語には魅力的な悪役が欠かせない。『ガラスの仮面』でも、悪役が印象に残るといわれたり、主役の北島マヤを陥れる乙部のりえに意外な人気があったりする。
最初のうちはそうでもないのに、ヒステリーが高じたように、いじめがエスカレートしていく北の方の悪役っぷりも相当なものだ。そこまで自分の感情に正直にふるまえるのがいっそ羨ましい。お針子がわりにこきつかわれて、姫はなにか仕返ししようとは思わないのか、私ならわざと下手くそに縫ってこれ以上仕事を頼まれないように工夫するのにと、イライラしたり、気をもんだり。
そんないじめの根底に本人も気づいていない姫の実の母親の高貴な出自に対するコンプレックスがあると、田辺さんは女の心の奥底を優しく読み解く。それから、姫君の若さと美しさへの嫉妬。いじめは執拗ですさまじいけれど、その気持ちもわかるから、北の方を完全に否定しきれない。もし、私が『おちくぼ物語』を漫画か舞台化したら、感情の起伏の激しい北の方は乙部のりえのようにしょっちゅう白目を剥いていることになるだろう。
少し話はそれるが、小学生から中学生にかけて、毎週日曜日は図書館通いの日と決めていた。漫画と同じくらい本を読むのが好きだった。朝早く自宅を出ると、ボルトやナットを作る工場の廃油の匂いが染みついた町並みを抜けて、今の京セラドームの近くにある大阪市の中央図書館に通っていた。あのころは今よりも読書好きな人が多くて、私の漫画家仲間のなかには学校を卒業する前に校内の図書室の本を全部読み切り、「もう読む本がない」と嘆いている人もいたくらいだ。
中央図書館は大阪市内にある図書館の中核的な施設だから、蔵書数も多く、館内は本の森だった。そこで片っ端から読んだ本のなかに、子供向けの古典シリーズとして書かれた『おちくぼ物語』があったのだが、これがさっぱりおもしろくなかった。小学生でもわかるようにあらすじをなぞっただけなので、薄幸の姫が継母にいじめられてめそめそ泣いているだけのお話、という印象しかなかった。同じ古典シリーズでも『今昔物語』のほうがかっこいいヒーロー、ヒロインは出てこないけれど、その時代を生きた人間の匂いが感じられておもしろいと感じた。
だから、大人になって初めて田辺さんの『おちくぼ物語』を読んだとき、これが同じ原作なのか、田辺さんの手にかかるとこんなに素敵な作品になるのかと驚いたのである。
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