子供のころに読んだ『おちくぼ物語』ではむごい扱いをされていた兵部少輔(ひょうぶのしょう)と中納言家の末娘、四の君の関係が、物語を彩るもうひとつの恋として描かれているのも嬉しい。
兵部少輔は馬面で社交も苦手なため、周囲から「面白の駒」とからかわれる恋には奥手の青年である。一方、四の君は在原業平のような貴公子の背に背負われて駆け落ちしてみたいと夢見る、まだ幼さの残る少女だ。
真っ暗ななかで右近の少将になりすましたまま四の君を抱くこともできたのに、「いっときの恋を盗むつもりはないから」と、灯りのもとに自分の馬面をさらけ出す。四の君はその誠実さに打たれ、「愛の深さだけが、男をはかる、私の物指(ものさし)」といって、兵部少輔を受け入れる。このシーンにはホロリとさせられた。ちょっと変人だけど、お似合いのカップル。前もって張っていた伏線を回収するように、兵部少輔が四の君を背負って屋敷から連れ出すところも気がきいている。
ふたりの関係も含めて、原作では執拗すぎる後半の復讐劇も、田辺さんの『おちくぼ物語』ではずっとソフトにアレンジされている。祭りの見物場所をめぐる右近の少将と北の方の牛車争いなどは大人げない感じもするが、『源氏物語』の六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)にも出てくるくらいだから、平安貴族のあいだではめずらしくなかったのだろうか。それとも、紫式部は落窪物語にヒントを得て、あのシーンを書いたのだろうか。紫式部は継子いじめの物語は俗っぽいとバカにしていたようだが。
ひととおり復讐を果たしたあとは、これまでの恨みを忘れて中納言家を守り立ててゆくと約束する。あのチャラかった少将がここまで度量の広い大人の男になったのかと、感慨もひとしおだ。恋を知り、相手の境遇を思いやり、心を寄せることでひとは変わっていくと、田辺さんは優しく語りかけてくる。
どんなふうに古典と出会うかはとても大事だと思う。古典を原作のまま読もうとすると、むずかしい言葉やよく知らない当時の暮らしにつっかえて、頭のなかに映像が浮かんでこない。三日夜の餅、なんだそれ、色や形はどうなってるんだと気にかかり、ちっとも先へ進まないのである。
それが田辺さんの『おちくぼ物語』だと、新婚三日目の夜に食べる紅白の小さな餅と、文中に溶け込むように説明されている。古典の素養が身についているから、家具や調度品、衣類まで具体的に描写できるのだと思う。見たこともない千年前の貴族の暮らしがありありと目に浮かぶ。現在活躍されている女流作家のなかで、田辺さんほど古典の造詣の深いかたはほかにいないのではないだろうか。
だから、古典との出会い方はとても大事。私は自信を持ってこういいたい。現代人がこれから古典を読むなら、田辺さんの『おちくぼ物語』から入ってほしい、と。