不幸のどん底にいる姫君を救う右近の少将は正統派のイケメンヒーローだが、最初のうちはけっこうチャライ。美男でモテモテなのをいいことに、とうぶん定まった妻を持つ気はなく、浮気性の若女房を相手に遊びまわっている。姫君のことも「親に内緒でこっそり盗んで、可愛くなければ捨ててしまえばいい」くらいにしか考えていない。おいおい、ヒーローがこんなに軽くて大丈夫なのか、と不安になるほど軽いが、姫と出会って本物の恋を知ってから、少将の心に変化が生まれていく。
親の後ろだてがない自分を妻にしても、あなたのお役には立てないからと遠慮する姫に少将の返す言葉がカッコイイ。
「それ(見返り)を期待しなければいけないほど、私は無力な男ではない。私ののぞむものは、あなただけですよ」
こんな口説き文句をいわれて、恋に落ちない女性がいるだろうか。その言葉のとおり、姫を二条の屋敷に迎えてからは、自分の力だけでどんどん出世していく。一夫多妻制の時代に妻はこの女性だけと思い定め、権門の右大臣家からの縁談にも耳を貸さない。まぁ、なんていい男だろう!
世をはかなんで嘆いていた姫君もこれだけの男に愛されることで、「何が起きても辛抱できる勇気が出ました、昔のわたくしは死んで生まれ変わったのだから」と気持ちが強くなっていく。この作品は若いふたりの成長の物語として読むことができるだろう。
主人公ふたりの恋に比べると、阿漕と帯刀の関係はもっと現実的で生活感にあふれている。『おちくぼ物語』がユニークなのは、貴族に仕えるこのふたりの召使いが大活躍することだと思う。身近で等身大のキャラクターだから親しみもあるし、食べ物の話や日常の雑事がこと細かに出てくるのも興味深い。
たとえば、初めて姫のもとを訪ねる少将のために、デートを盛り上げようと、帯刀は母親に頼んでお菓子をたくさん用意してもらう。卵を入れた餅や米の粉を練って油で揚げた菓子、焼いた煎餅などなど、「くだもの」とひと口に呼ばれていた平安時代の菓子のことが、わかりやすく説明されている。一夜を過ごした姫と少将のために、せめてもの朝食を用意しようと台所に駆け込み、キリキリと立ち働く阿漕の姿もリアルだ。
タイトルは覚えてないが、こういうシーンを読むと、高校生のころに読んだ田辺さんのジュニア小説を思い出す。あのころは中高生向けのジュニア小説の発刊が相次ぎ、私もいろいろ読んだのだが、筋立てにドキドキはしても、登場人物に親しみを感じることは少なかった。ところが大阪に住む姉妹を主人公にした田辺さんの作品は、まったく様子が違っていた。会社から帰るなり「長いこと立ってたから疲れたわ」とかいって、姉は脚をポンと放り出し、ビール瓶でふくらはぎのマッサージを始めるのだ。
ビールなんて飲んだこともない中高生向けの小説で、ビール瓶でふくらはぎをゴリゴリとはずいぶんな描写だと思うが、子供心にもこういう人っているよねと一気に共感することができた。田辺さんに興味を持ち、小説やエッセイをいろいろ読むようになったのは、このジュニア小説がきっかけだったと思う。
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