あれから長い時間が経った。そして今回、再び留学のチャンスが巡ってきたとき、迷うことなくロックフェラー大学を選んだ。これはいわゆる「サバティカル」と呼ばれる制度で、勤続何十年かのご褒美として、本籍の大学から離れて、再充電したり、異なる研究機関で新たな刺激に触れたりできる制度である。
二十五年ぶりに戻ってきたロックフェラー大学は、緑溢れる静かなキャンパスの佇まい自体は何も変わっていなかったが、内実はすっかり様変わりしていた。私の知っている教授陣や研究者たちは散り散りに散らばり、あるいは引退していた。かわりに新進気鋭の若い研究者たちが新しいテーマに取り組み、女性教授の数も飛躍的に増えた。そして皆が最先端のバイオテクノロジーの話に夢中だった。ここで研究者と交流し、セミナーに出席し、論文を読み、自分の生命観をより進化・深化させるべく、勉強しなおす日々を開始した。今回の逗留における私の立場は、もはや貧乏ポスドクではない。客員研究員。文字通りお客さんだ。昔ほどプレッシャーや焦燥にさいなまれることもない。時間的にも経済的にも余裕ができた。その分、若い体力とエネルギーは失われてしまったが、今回はもう少しこの街ニューヨークを楽しもう。
本書にもあるとおり、ここ十年、二十年のあいだにニューヨークはすっかり様変わりした。昔に比べずっと安全になった。とはいえ、何がいつ起こるかわからないから街を歩くときは油断できない。地下鉄やバスの座席に座る際には、シートに得体のしれない液体がこぼれていないか確かめないとならない。歩道にはゴミ箱が設置されているというのに、あらゆる紙くず、カップ、ペットボトル、木切れ、ピザの破片、犬の糞などが散らばっていて、歩くのも一苦労。横断歩道の信号は全員無視。しかし車の方も容赦なく曲がってくるので、流れにつられて渡ると危ない。夜中でもたえずサイレン、クラクション。夏は蒸し暑く、冬はモスクワより寒い(特に去年と今年は厳冬だった)。モノはすぐ壊れ、荷物は時間どおりに届いたためしがない。ドアは異常に重く、家賃は恐ろしく高い。公的機関の仕事は遅く、書類がいつまでたっても届かない。日本では当たり前のことがすべてチャレンジとなる。こんな不自由で、カオティックな街にどうして世界中から人々が集まってくるのだろう。
その答えは本書を読めば明々白々である。ニューヨークが誰に対しても公平だからだ。ニューヨークはここへ来たあらゆる人を拒まず、等しく接する。生まれた場所、言葉、文化、習慣、目や肌の色、さまざま差異をもつ人々の、とぎれることのない流れが、ニューヨークをニューヨークとしつつ、ニューヨークを絶えまなく変えつづける。手前味噌になるけれど、街そのものが、まさに私のキーワードである「動的平衡」を保った生命体なのだ。ここでは、すべてのものが分解と合成の危ういバランスの上にあり、常に更新される。いつも新しい何かがどこかで生まれている。
それゆえ岡田さんの本に描かれる「魔法」も尽きることがなく、とけることもない。これが岡田エッセイの謎に対する私の答えである。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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