現代史の軸でありつづけるEUの前身が、ECSC……欧州石炭鉄鋼共同体であることをご存知の方は少なくないでしょう。締結は第二次世界大戦後の一九五一年。欧州の戦乱の主役でありつづけたフランスとドイツが、当時の戦略物資である石炭と鉄鋼を共同で調達する仕組みをつくることによって、モノの面から、戦争をできなくしようとしたのです。
そのように、欧州の歴史は、現代に至るまで、戦争の歴史でした。十九世紀の初めに、ナポレオン戦争という、[プロの傭兵ではない国民軍が産業革命以降の大量破壊兵器を使う戦争]によって、つまりは、[戦(いくさ)の終わらせ方を知らないアマチュアの軍隊が、そこそこで被害が収まらない兵器を使う初めての戦争]によって、戦争が国土を壊滅させることを経験したにもかかわらず、なお、それを真に学習するためには、二度の世界大戦の火蓋を切らねばならなかったのです。
しかし、だからこそ欧州は平和の貴重さを骨身に染み込ませ、成熟へのピッチを上げました。多様性の確保こそが成熟のメルクマールだとすれば、欧州は、成熟への道をひた走っていると言えるでしょう。もとより人類は、種として生き抜いていく手段を、社会をつくる、即ち多様性を確保することに求めたわけですから、欧州は、人類の営みの先端を行っていることになります。
そういう欧州で、徳川家康のみが、日本の戦国武将のビッグネームとなっているのは、しごく当然と言えるでしょう。なにしろ、彼の打ち立てた江戸幕府は、欧州が戦争に明け暮れているさなか、実に一六〇三年から一八六七年まで、あるいは一八六八年まで、二百六十余年の長きに渡って平和を維持したのです。これは、私たち日本人が、世界から十分な尊敬を受けてよい歴史です。そして私は、『黒書院の六兵衛』を読み終わったいま、この二百六十余年の平和を現出させたバックボーンこそが、『黒書院の六兵衛』であるという気がしています。
ゆっくり目に、語っていきます。
歴史の宿命として、“後出しジャンケン”は避けられません。即ち、いま現在の常識で、過去を語ろうとします。十分とは言えずともサイエンスの知見が行き渡り、まがりなりにも民主主義のルールが有効な今日の状況から、中世の魔女狩りを語ったり、帝国主義時代を語ったりする。日々の思い込みが、歴史のありのままに蓋をして、数え切れないステロタイプを生みます。