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徳川二百六十余年の平和を現出させたバックボーンこそが、『黒書院の六兵衛』

徳川二百六十余年の平和を現出させたバックボーンこそが、『黒書院の六兵衛』

文:青山 文平 (小説家)

『黒書院の六兵衛』 (浅田次郎 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 そういうステロタイプのひとつに、“太平の世にうつつをぬかす武士”というのがあります。戦乱が絶えたことで、武家はすっかり牙を抜かれ、のほほんと暮らしていたというわけです。残念ながら人間は、受け入れにくい事実よりも、受け入れやすい嘘に馴染みがちです。私は、これも、受け入れやすい嘘に極めて近いと思います。

 武家にはさまざまな定義がありますが、私が最も好むのは、武家とは「自裁」できる者である、という定義です。みずからを裁いて、みずからに死を与えることができる者が武家というわけです。武家が政権を握る正当性は「自裁」できる処にあり、江戸時代の死刑は、「自裁」できる唯一の身分である武家が、みずからに死を与えることができない武家以外の身分の者に、“温情として死を与えてやる”仕組みでした。

 その意味で武家は、極めて精神性の高い軍人です。そういう武家が平和にうつつを抜かしていたというのは、やはり“後出しジャンケン”でしょう。武家政権である江戸幕府は、組織体制も一貫して軍団でした。軍団のまま、民政を含めた行政を担い、二百六十余年の平和を保ったのです。おのずと、精神性の高い軍人ほど、アイデンティティーの危機に直面せざるをえません。本来、武家は軍事の専門家なのです。だからこそ、戦国が終わって何年経とうと、腰に大小を差しています。なのに、現実にやることは行政であり、経済運営です。いったい自分たちは何者なのかと、思い悩むほうが自然でしょう。

 しかも、武家は本質的に経済が得意ではなく、おしなべて貧乏でした。貧乏の直接の理由は、豊作になるほど市場価値が下がる米で財政を回したことで、だから、なんでカネで徴税しなかったのかなどと揶揄(やゆ)されるのですが、これはまさに“後出しジャンケン”です。そもそも江戸幕府の初期には今日的な意味での、マネーサプライとしてのカネが存在しません。カネができてからも徴税技術がなかったし、小さな政府だったのでマンパワーもなかった。そして、なによりも、武家はカネがきらいでした。カネを賤しいものとする賤貨思想はけっしてお題目ではなく、武家の体幹にあったことは、さまざまな例から窺い知ることができます。その意味でも武家は、極めて精神性の高い軍人でした。

 むろん、武家のなかには、ステロタイプ通りの武家だっていたことでしょう。しかし、すべての武家がそうではなかったし、むしろ、少数派だった。さもなければ、二百六十余年の平和を現出できるはずもありません。

 江戸の行政はけっして簡単ではなかった。とりわけ、百万都市、江戸はたいへんでした。なにしろ、全国から食えなくなった者たちが流れ込むのです。江戸の町民の多くはそうした流動民で、明日は大川に身を投げているかもしれない連中が今日はケラケラと笑っています。遠山の金さんが温情裁きを見せるのは、そうでもしないと流動民の不満が爆発して、世の中の成り立ちが危うくなるからです。そういう危うさを克服して、武家は平和をつなぎつづけました。

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