- 2015.10.30
- インタビュー・対談
この小説、ものすごく久しぶりに書いたので、ちょっとやりすぎたなと思って――吉村萬壱×若松英輔(後編)
「本の話」編集部
『虚ろまんてぃっく』 (吉村萬壱 著)
ジャンル :
#小説
物語がその人を選んで宿るとき
若松 自分がわからないものを自分で書いているって、小説家として大変すぐれている。ご本人を目の前にして言うのもなんですけれども、改めてそう感じました。いつも親しくさせて頂いているので、偉大な作家であることを時々忘れますけど(笑)、書いているときの吉村さんはすごいんだ、と。
吉村 若松さん、ときどきこうやって持ち上げてくれるんです(笑)。これを鵜呑みにしてよいものか……自分ではわかんないですわ。
僕、書いているときは、(後ろに倒れて)こういう感じで書いていますね。で、腰が痛くなるとやめる。僕は風が吹いてこないと音が鳴らない楽器のようなもので、いつもは仕事場の平屋の古民家で、一日12時間、赤ちゃんみたいに眠りながら、風が吹くのを待っている。寝るのは明け方の5時頃、起きるのが昼の2時くらい、それからごはん食べて昼寝するともう夕方でしょう。夕ご飯食べて、酒飲んで、それからダラダラして……。
若松 もうちょっとお仕事しましょうよ(笑)。
作家が言葉を使うのではなくて、言葉が作家を用いるときがある。これはバルザックもドストエフスキーも言ってます。そうした体験をかいま見ることができて、読んでいてとても楽しかった。作家は、どうしようもできない。創作する自由を奪われていて、言葉が勝手に歩き始めて、作家がそれについていくしかないんだ、という場面が、何回もあって、そのことが頼もしく、素晴らしいと思いました。
吉村 書き出すとき、僕は計画表もなくて、最初の一行から順番に書いていくんですが、自分の守備範囲、書けそうなところを書いている時は苦しくないんですけど、面白くもないんですよ。ところが、ちょっと自分の手に余るなあというところを書き始めるとき、たちまちものすごくしんどくなる。そういうときは途中まで書いて捨てたりするけど、何日かたって読み返してみると、これが面白い。そういうしんどい書き方、あかんなあと思いながら書く時が、案外良かったりする。反対に、一気に書ける時は、すごくいいか、ダメダメかどっちか。いずれにせよ、守備範囲の中だけで書いているとつまんない。
若松 「書けない」と言っている人には、その人の「分」を越えた問題がその人に訪れている証拠なのではないでしょうか。
批評家の役割とは、作品の優劣を論じることではありません。その人の限界を少し越えた問題を抱えて生きている作家と、共に時代にむかって問いを投げ掛けることだと思うんです。私にとって吉村萬壱はそうした作家です。
物語がその人を選んで宿る人は少ない。吉村さんみたいな小説家に出会えたことを私は幸せだと思います。
吉村 じゃあ、僕が寝ながら宿るのを待ってるのは正しい?
若松 正しいのでしょうね。まあでも、ちょっと待ち過ぎな気はしますけど(笑)。
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