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〈特集〉司馬遼太郎 短篇小説の世界<br />司馬遼太郎にとっての短篇の意味

〈特集〉司馬遼太郎 短篇小説の世界
司馬遼太郎にとっての短篇の意味

文:関川 夏央 (作家)

『司馬遼太郎短篇全集』 (司馬遼太郎 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

暗くて華やかなロマンチシズム

 大和国北葛城郡当麻(たいま)町竹内(たけのうち)は司馬遼太郎の母の生家であり、石器や土器を拾ったのはその地である。そこには二上山の山頂の南側の鞍部を越え、飛鳥の地と難波の津を結ぶ古道が走っていた。それは大陸の息吹を大和に運ぶ道であった。

「風が絹のように柔らかい。光が、たわむれるように肌にまつわる。此処には、人間の膚骨を刺戟する何ものもない。このようなくにに住む者達は、一体、悪というものを知っているであろうか。悪を知らなければ、おそらく善をも知るまい」(「兜率天(とそつてん)の巡礼」)

 渡海し、さらに竹内峠を越えてきた古代秦氏の先祖にこういわせている司馬遼太郎は、少年の頃より陸と海とを走るその道から、遠く大陸の草原と砂漠を見はるかしていたのである。その意味で彼が作家への道を歩むことは石に彫られていたかのように必然であったし、その初期作が日本人の出てこない「説話」であったこともまた必然だったのである。

 司馬遼太郎の短篇小説には竹内街道や当麻村にゆかりのある主人公が少なくない。役小角(えんのおづぬ)(「睡蓮」)、飛び加藤(「飛び加藤」)、果心居士(「果心居士の幻術」)などである。これらの人々には大陸渡来のにおいがある。そして彼らはみな人間離れした「幻術」のつかい手である。合理の精神に満ちた作家であるはずの司馬遼太郎にして、これはどうしたことだろう。

 宗教記者であった四八年夏、二十五歳の司馬遼太郎は京都北西の山中、まさに深山幽谷というべき地にある志明院(しみょういん)という真言の寺を訪ねたことがあった。「もののけ」が出るとされたその寺で、彼は実際もののけのしわざを体験したのだ、とさらっと語っている。もののけは、年ごとに明るさを増す俗界の夜に耐えがたく、ここまで逃げてきたものらしいと語ったあと、つぎのようにつづけた。

「結局、私自身にもそういった雑密(ぞうみつ)的原始感情に感応するところがあるからでしょうね」「根っこのところでは日本人が伝統的にもっている暗くて華やかなロマンチシズムのようなものにもつながっているのではないでしょうか」(「密教世界の誘惑」『司馬遼太郎全集』第12巻月報27)

 こんなセンスが、一連の不思議な傑作短篇を生んだのである。そしてまた、「電気のない闇というもののすばらしさを、宮崎さんのアニメでひとつ表現していただきたいものですな」(「宗教の幹」宮崎駿、堀田善衞との鼎談)と宮崎駿に「もののけの物語」を発想させる契機のひとつともなったのである。

司馬遼太郎の原点と生成のプロセスを俯瞰

 では「合理の人」司馬遼太郎は、どのようなとき、「怪・力・乱・神」をえがくのだろうか。

 司馬遼太郎の歴史小説は、彼自身の言葉を借りれば「“完結した人生”をみることがおもしろい」から書かれつづけた。しかし「完結した人生」は誰にとっても他人ごとではない。自分の人生もやがて「完結した人生」として相対化され、虚空の輝く塵となりかわるのである。そういう、歴史そのものが人に感じさせる「つらさ」に耐えかねたとき、また多少の倦怠を感じたとき、この作家は「怪・力・乱・神」をえがくのだと思われる。

 歴史の支配する世界から束の間身をかわし、自らを安んじようとして「怪異」と「幻術」の短篇は書かれた。「しかし、その行先がまた、感傷的な自然の世界でもなく、私小説的な日常の世界でもなく、なおかつ歴史の影を濃く帯びた修羅物の世界であることは、興味深い」という山崎正和の感想(「君子が怪力乱神を語るとき」)は、司馬作品の注意深い読者のそれだろう。

 しかし一九六一年頃、司馬遼太郎三十代の終り前後から、「怪異」の短篇は書かれなくなる。やがて短篇は、長篇小説の主人公とはなりにくいが、司馬遼太郎が興味をそそられる人物の「列伝」の色彩を帯びる。それは革命時代の政治的畸人や、歴史の激流ゆえに一瞬の輝きを偶然放った平凡人などである。傑作「奇妙なり八郎」「おお、大砲」は、その過程で書かれた。

『司馬遼太郎短篇全集』(全十二巻)は、司馬遼太郎の手練の技をたのしみつつ、同時にこの二十世紀後半の日本文学を代表する作家の原点と生成のプロセスを俯瞰し得る仕事だと思う。

司馬遼太郎短篇全集 第一巻
司馬遼太郎・著

定価:本体1,714円+税 発売日:2005年04月14日

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司馬遼太郎短篇全集 第二巻
司馬遼太郎・著

定価:本体2,000円+税 発売日:2005年05月13日

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