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時間のジレンマを乗り越えて 白石一文の小説技法<br />

時間のジレンマを乗り越えて 白石一文の小説技法

文:榎本 正樹 (文芸評論家)

『幻影の星』 (白石一文 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

 大江健三郎、村上春樹、そして白石一文。三人の小説家に共通するのは、同質的で反復的な世界を描きつつ、それを小説を小説として成り立たしめる根本的な「原理」として方法論化している点だ。

 ここで重要なのは、同質的な世界が繰りかえし提示されながらも、同時にズレが組成されている点だ。作品同士が反復性を孕みながら、微妙なズレを内にふくむ形で独立して存在している。「反復」は小説家としての「同質性」を、「ズレ」は小説家自身の「移動」をそれぞれ担保している。ここで「小説の運動」と「小説家の運動」は、ほぼ同義といってよい。私たちは、一つひとつの作品に刻印されたズレの意味こそを読みとらなければならない。なぜならズレの中に、その作品の中心的命題が集約しているからだ。

『幻影の星』は、二〇一一年六月四日土曜日から七月十八日月曜日までの四十五日間の物語である。作中の要所で、○月○日○曜日というふうに物語の現在時が示される。これらによって、読者は震災後の渾沌とした状況や、当時の自分自身の体験を想起しながら、熊沢武夫と滝井るり子を見守るポジションに立たされる。本作は「オール讀物」の二〇一一年八月号から十一月号に連載された。連載の準備期間などを考慮に入れると、震災直後にすでに構想が開始されたと想像される。

 東日本大震災は多くの小説家に多様な反応を引き起こした。震災をダイレクトに反映させた作品を発表した者。震災を含む状況を間接的に描いた者。小説ではなくノンフィクションの形で発表した者。震災を特別視せず、通常モードで創作に向かった者。あえて沈黙を守った者。態度に差こそあれ、あの未曾有の事態が小説家の想像力に影響を及ぼさぬはずはない。書き手の態度がどのようなものであれ、3・11以後に発表されたすべての小説は「震災後の文学」としての意味をもたされる。

 震災後、白石は被災地に赴き取材を重ねる。そして、従来から構想していた物語を大幅に変更して本作の執筆に傾注する。『幻影の星』は震災を直接的には描いていない。長崎への原爆投下(一九四五年)や諫早大水害(一九五七年)の悲劇の歴史的延長として、震災をとらえ直している。物語の開始時は、震災から三カ月近く経過した六月上旬だ。物語の舞台は東北ではなく、東京と長崎である。震災に対する関東圏と関西圏の受け止め方のズレや、関東圏で子供を産み育てることをめぐって対立する武夫の上司の角田課長と妻の認識の違いなど、震災が日本全体にもたらした断絶の構造を、この作品ははっきりと描いている。震災後の日本を覆ったどんよりとした空気感を正確に捕まえ、表現している。しかしそれらは、物語の流れの中で必然的に表現された副次的な要素に過ぎない。

 震災をダイレクトに描かないスタンスから選びとられた設定が、武夫のレインコートとるり子の携帯電話をめぐる謎である。コートと携帯電話は「複製」されて、持ち主の元に戻ってくる。さらに、コートのポケットにしまわれていたSDカードと、携帯電話のストレージ領域には、未来に撮影された写真が記録されていた。私たち読者はここで、同一のモノが同時に存在し、未来の写真が現在にワープしてくるという現実的には起こり得ない現象を受け容れることを余儀なくされる。「とても現実にはあり得ない、とんでもない出来事」を出発点に、それを「あり得る出来事」へと読み替えていく主人公の思考と体験のプロセスこそが、本書最大の読みのポイントである。

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文春文庫
幻影の星
白石一文

定価:561円(税込)発売日:2014年09月02日

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