贅沢なミステリだというのはそういうことだ。終盤になると、これらすべてにふさわしい解決がもたらされる。恐ろしいのは、それぞれの解決がミステリらしいクライマックスとして仕立てられていること。先述の16章と同じである。毎回毎回、「ああ、これがミステリの快感だよなあ」というカタルシスをおぼえるのに、「でもまだページがある! そういえばあの謎が残ってた!」という嬉しい驚きが襲ってくる。頭から尻尾まで餡(あん)の詰まったタイ焼きのようだ、という言い回しがあるが、本書以上にその言葉にふさわしいミステリは、アガサ・クリスティーの『ナイルに死す』くらいしか思いつかない。餡の充実度は『ナイルに死す』より上な気もするほどだ。
たくさんのミステリを束(たば)にしたような『さよならの手口』が、「すべてのミステリ・ファンにおすすめできる」というのは、束にされたひとつひとつが、さまざまな味わいを持っているからである。全体としては端正な私立探偵小説(ラストの一行はレイモンド・チャンドラーの名作『ロング・グッドバイ』へのオマージュだし)。ある事件にはひえびえとした悪意をめぐるサスペンスの肌合いがある。卓抜なアイデアの犯罪計画もあれば、コミカルな顛末で解決される事件もある。悪意を描いていても後口が爽快なのは、脇役との対話などに最上質のユーモア・ミステリの味わいがあるからだ。
葉村シリーズはそういうミステリなのだ。前作『悪いうさぎ』は、私立探偵小説ではじまって、終盤、ディック・フランシスのような壮絶な孤立無援サスペンスに雪崩れ込むし、『依頼人は死んだ』や『プレゼント』には、ホラーとしてもすぐれた作品も、クリスティーの名作をひねったような本格ミステリも、パトリシア・ハイスミスのように怖い短編もある。本書の精緻きわまるプロットを代表に、どれも精妙な計算のもとに組み上げられているからマニアも唸らされるし、書きぶりは軽快でユーモラスだから誰だって気持ちよく読める。「悪」をめぐって深い余韻を残す作品だって少なくない。
ミステリの楽しみ全部入り。それが葉村晶シリーズなのだと私は言おう。そして、それを可能にしているのは、けっしてへこたれず(本書では物語の進行にともなってどんどん傷が増えてゆき、最後には文字通り満身創痍になる)苦境にあってもユーモアを忘れない、葉村晶という素晴らしく魅力的なキャラクターに他ならない。
本書のラストで、彼女は「探偵」としての自分を取り戻す。彼女なら、どんな種類のミステリだって演じられるし、解決できるはずだ。すべてのミステリ・ファンを満足させられる物語を、彼女なら紡ぐことができるだろう。
葉村晶、あんたならできる。ガンガン働いてくれ。待ってるぜ、おれたちみんな。