外村くんは「いい人」なのか?
石本 お客様からの質問に戻ります。「音楽はどういうときに聞いていらっしゃいますか?」
宮下 ご質問、ありがとうございます。私は音楽をかけながら小説を書くということはなくて、音楽を聴くときは音楽だけを楽しんで、書くときは何もかけずに書きます。それぞれとても大事なので、聴きながら書くということがもったいなくて出来ないんです。スイッチを押して音楽を聴き始めたら、歌ったり踊ったりして楽しんで、それからスイッチを消して小説を書くという感じです。そうしないと私はどちらも中途半端になっちゃう感じなので、別々です。本を読むときも音楽はかけないですね。
石本 「物語の風景は書きながら見えていますよね?」
宮下 ありがとうございます。書く時にはもう風景が見えていて、それを文章に書き写しているという感じです。登場人物もこの人はこういうほうが面白いんじゃないかとか自分が考えて書いているのではなくて、書く時にはもういるんです。それをうまく書き留めていくことで物語が進んでいくという感じです。
それがうまくいったときの例ですが、『羊と鋼の森』のなかに「ピアノを食べて生きていくんだよ」というセリフがあります。それを書いた時に、びっくりしたんですよ。「ピアノを食べて生きていくんだよ」なんてセリフは自分では思いつかない。ということは、これはこの子が言ってるんだ、和音がこの瞬間こういうこと言ったんだなって思って。すごく嬉しかったし、もう安心してこの子たちが進んでいくのを書いていけばいいんだなと思いました。物語の風景も登場人物も、なかなかはっきり見えてこないので書くのが遅いんですが、それを書いていくというのが私の小説の書き方です。
石本 「実際にはけっこう違いますが、『羊と鋼の森』に出てくる人はなぜみんないい人ばかりなんでしょうか? 意図してでしょうか? 自然とでしょうか?」
宮下 私は小説のなかでその人のすべてを書いているわけではないと思うんです。例えば、『羊と鋼の森』の秋野さんをいい人かといったら私には分からないです。ただ、最初は嫌なところとかもあるかもしれないけれど、けっこういい人だったねというつもりで書いたのではなくて、嫌なところもあるけれど、そういう嫌な面ばかりを外村くんの前では出さなくなった。というか、今でも秋野さんは誰かに対してはすごい嫌な感じだったり、皮肉屋だったりするかもしれないけれども、いいところも出せるようになったんじゃないかな、というふうに私は思います。
外村くんだって、調律師としては今すごく成長しようとしているけれども、違うところで出会った人からは「ああ、外村か、あのぼーっとしたやつね」くらいにしか思われないかもしれないし、自分の興味があるところ以外ではそんなに親切でもないと思うんです。それをいい人って言っていいかなって言ったら、そうでもないんじゃないか。ただ、物語のなかで進んでいくのには、私はやはりいい面を書きたいと思っているので、そこをどうしても書くということだと思います。みんないい人ということではないんじゃないかなというのが私の正直な気持ちです。
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